罠に陶酔

※中学時代 ※ポッキーの日


「なーくーらー」

不機嫌な声に呼ばれて振り返ると、そこには頬を膨らませた臨也が居た。窓から差し込む陽光に照らされて黒髪が艶やかな輝きを帯びている。

「なんですか、臨也さん」
「暇」
「……そうですか」
「なにその返事。新羅が掃除当番すっぽかして帰ったから暇なんだけど」

岸谷が居ないだけで大層に暇を持て余しているらしい臨也は、指先で水槽を突きながら呟いた。あからさまに不機嫌な瞳が細められる。狭い水槽の中では臨也の瞳のように真っ赤な金魚が数匹、優雅に泳いでいた。

「俺にどうしろって言うんですか」
「何かやってよ、奈倉」
「は?何を……」
「そうだなぁ…―――あ、」

何かを思いついたらしい臨也は唐突に破顔すると、自らの鞄を漁りはじめる。数秒後、顔を上げた臨也は何かを手に持っていた。臨也はパイプ椅子に座っていた俺に笑みを浮かべながら擦り寄ってきて、俺の心臓は不自然に高鳴った。赤くなる顔を誤魔化そうと顔を逸らすと、臨也が手に持っている物が一瞬だけ視界に入った。ちらりと見えたそれは見覚えのある赤と茶のパッケージだ。しかし、既視感があるというだけで実際に何なのかは判別できなかった。臨也がそれを後ろ手に隠してしまったからだ。

「い、臨也さん、急になんですか」
「ふふ、何だと思う?」
「……分かりませんよ」
「もう降参?随分と諦めが早いね」
「諦めが肝心だって言うじゃないですか」
「そうだね、君には難しかったね」

爽やかな笑顔で言われると腸が煮えくり返りそうになったが、保身の為にも我慢する。これ以上、自分の立場が悪化したらどうするんだ。もう死んだ方がマシなことになるかもしれない。そう自らに言い聞かせて俺は口を噤んだ。

「お馬鹿さんな奈倉くんが分からないようだから教えてあげよう」
「……はい」
「じゃーん、ポッキー!」

先ほどまでとは打って変わって妙にハイテンションな臨也が取り出したのは、紛れもなくポッキーだった。パッケージをゆらゆらと揺らしながら臨也はにっこりと微笑む。

「……ポッキー……」
「そう、ポッキーだよ。奈倉も好きでしょ」
「あ、はい。好きですけど」
「なに?妙に歯切れが悪いね」
「いや、その……ポッキーならいつも食べてませんっけ」

反応に困った俺が頭を掻きながら問うと、臨也はがくりと肩を落とした。大仰に溜息まで吐きながら、俺を呆れ混じりの瞳で睨みつける。

「……奈倉さぁ、知らないの?」
「な、何をですか」

落胆を隠しもしない臨也に慌てて聞き返すと、彼は顔を上げて俺の瞳をじっと見つめた。それから軽く頬を膨らませて首を傾げる。つまらないと言いたげな表情で。

「今日はポッキーの日なんだよ」

初めて聞いた言葉の響きに俺が黙り込むと、臨也は焦れったそうに眉根を寄せた。ポッキーのパッケージを乱雑に開けると、一つの袋を手に取って開ける。バリッという音とともに袋が開いて、甘いチョコレートの香りが鼻孔を擽った。

「……本当に分からないんだね。今日は何日?」
「えーっと、11月11日…?」
「そう。1が4つ並んでいる日だろ?だから、1を並んだポッキーに見立てて命名されたんだよ。最近だとプリッツも含むのが通説で、ポッキー&プリッツの日って言われてるらしいけど」
「……あぁ、なるほど。そういうことなんですね」

言われてみれば、朝からポッキーを持った女子生徒が居たような気がする。しかもその大多数が箱を握り潰しそうになりながら、臨也に熱視線を送っていたような―――

「ねぇ奈倉。じゃあ、ポッキーゲームは知ってる?」

笑顔とともに告げられた台詞に俺はぱちくりと目を瞬かせる。それから言葉の意味を理解して、思いきり咳き込んだ。

「うわ、急にどうしたの」
「す、すみませ…」
「どうしたの、奈倉?顔が真っ赤だけど」
「なっ……なんでも、ないです!」
「そう?」

臨也は動揺を誤魔化そうとする俺を覗き込んでくる。にやにやとした笑みを浮かべたまま、臨也は一本のポッキーを手に取った。細い指先で弄びながら、固まっている俺に肩をすり寄せる。からかっていることを隠す気はさらさら無いらしい。

「ね、奈倉」

臨也は不意に声を潜めて俺の名を呼んだ。悪戯っぽい声色に導かれるように、俺は視線をずらす。燃えるように煌めく紅玉の瞳に捉えられ、反射的にごくりと喉が鳴ってしまう。たっぷりと誘いを含んだ妖しい眼差しに理性が揺さぶられる。ここで踏み外してしまえば終わりだ。そう理解しているはずなのに。

「……い、ざやさ…」

臨也は諮問するように俺に詰め寄ると、強く腕を掴んだ。吐息がかかるほどの距離で、臨也は首を傾げた。囁くように嫌?と尋ねられて、俺の中で理性が崩壊していく音が聞こえる。こんな悪魔のような甘言に逆らえるわけがなかった。

「―――…嫌なわけ、ないじゃないですか」

やっとのことで絞り出した声はすっかり掠れていた。臨也は満足げな笑みを浮かべ、手に持っていたポッキーを唇に咥えて俺に差し出す。その誘いを無下に断るほど馬鹿ではない俺は、差し出された片方に食らいついた。視界の端で、真っ赤な瞳がゆっくりと細められるのを目にしながら。


(貴方に溺れる)



end.




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