ゆるやかに午睡

※お年賀文


ふわり、と音も立てずに背後に現れたゴーストが割烹着の裾を引っ張った。ミナキは動かしていた手を止めてコンロの火を切り、嬉しそうなゴーストの表情につられて笑う。消えたり現れたりを繰り返しながら回廊を進んでいくゴーストは、まるでミナキの心中を表しているように浮き足立っていた。私もこれぐらい素直になるべきなのだろうか、と一瞬考えてミナキは首を振る。らしくないことを考えた自分が馬鹿みたいだ。玄関前で忙しなくゆらゆらと揺れるゴーストを宥め、ミナキはそっと引き戸に耳を寄せた。ざく、ざく、と雪を踏みながらこちらに歩いてくるのが聞こえる。荷物があるのだろう、紙袋とビニール袋が揺れてガサガサと音を立てていた。ゴーストとミナキが耳を傾けていることに気がついて、彼の手持ちのゴースが二匹近づいてくる。なにをしているの?もしかしていたずら?期待するようなゴースたちにミナキは苦笑して、そっと理由を囁いてやる。目を丸くしてくるくるとその場で回り始めたゴースたちの愛らしいこと。ミナキは引き戸の外の足音が大きくなっていることに気付かないまま、くすくすを笑みを零す。ゴーストが急かすようにミナキのシャツの袖を引っ張った瞬間、

「う、わっ」

がらりと引き戸が開けられてミナキはぐらりとバランスを崩した。倒れると思い、ミナキはぎゅっと目を閉じたが衝撃は訪れない。ゆっくりと目を開けると鼠色の瞳がじっとこちらを見下ろしている。ぱちぱち、と瞬きを繰り返してようやく自分が抱き留められていることに気付いたミナキは慌てて身体を起こした。

「す、すまないマツバ、えっと」
「ただいま、ミナキくん。大丈夫かい?」
「お、おかえり……」
「ふふ、またゴースたちとぼくを驚かせようとしていたんだろう?」

にこり、と眠たげな瞳が細められてミナキは何も言えなくなる。ゴーストが呆れたようにこちらを見ているのでなんだか一気に肩身が狭くなってしまった。一方でマツバのゴースたちはケラケラと笑っていたが、主人が静かに窘めるとすぐにゴースたちは姿を消した。ゴーストもそれを追うように姿を眩まし、玄関に二人きりになる。ミナキがマツバを見上げると、ヘアバンドに少し雪が積もっていて思わず笑ってしまった。不思議そうに首を傾げるマツバになんでもないよ、と言いながら雪を払ってやる。それからマフラーを取ると、すっかり冷たくなったマツバの頬を両手で挟み込んだ。冬のエンジュは寒い。少しの外出でも身体の芯まで冷えてしまう。

「……冷たいな。かなり寒かっただろう」
「そんなことはないよ。昨日よりは暖かかった」
「食事の準備は出来ているから、早く着替えてこい。疲れてるだろう、甘い栗きんとんもあるぞ」
「本当かい?嬉しいなぁ」

マツバは心底幸せそうに微笑むと、ミナキの腰を引き寄せて軽く口付けた。触れた唇が氷のように冷たくて思わず肩を揺らすと、マツバは唇を離してどうしたの?と訊いた。唇が冷たい、と呟くとマツバは意地悪そうに唇の端を引き上げた。嫌な予感がする、とミナキは逃げようとしたがマツバの腕がそれを許さない。ぐっと強く抱き寄せられて、今度は深い口づけを施される。冷ややかな唇が何度も触れ、ミナキの体温と混ざり合って冷たさを失っていく。ようやく冷たさを感じなくなったと思えば、ぬるりと舌が口腔に侵入してくる。抵抗しようと逃げる舌はいとも簡単に搦め捕られ、ざらりと触れ合う感触にミナキはびくりと身体を震わせた。好きなように蹂躙され尽くしたミナキが力の抜けた指先でコートの背中に爪を立てると、ようやくマツバは唇を離した。飲み込みきれなかった唾液が唇の端を伝っていくのを慌てて拭い、熱い吐息が零れてしまうのをどうにか抑えながらミナキはマツバを睨み上げる。真っ赤に染まった目元では迫力など無いに等しいが、マツバはごめんと囁いてミナキの頬に触れた。

「……玄関でやることじゃ、ないだろう」
「ごめんなさい」
「お節をお預けにされたいのか?」
「……されたくないです」
「じゃあさっさと着替えてこい。今度やったら食事抜きだからな」
「うーん、それは嫌だなぁ……」
「――――マツバ」
「はいごめんなさいすぐに着替えてきます」

氷よりも冷ややかなミナキの視線を浴びて、マツバは慌てて靴を脱いで自室へと駆けていった。マツバの姿がようやく見えなくなると、ミナキはまだ赤い頬をぎゅっと両手で挟み込んで壁に寄りかかった。結局、私が素直になろうとなるまいとマツバのペースに巻き込まれるのがオチなのだろう。ミナキはそう思いながら熱い息を吐き出した。




×




ミナキが腕によりをかけて作ったお節は豪華なものだった。食材はマツバも一緒に買いに行ったが、黒豆や栗きんとん、伊達巻きの甘さなどは絶妙だった。田作りや数の子の塩加減も最適で、更にはカントーではあまり出ないたたきごぼうまで作っていた。今年は酢の物まで挑戦したらしく、塩加減に苦労したと笑っていたが非常に美味である。元々タマムシの実家にいた頃から母に教わっていたミナキは料理が得意で、居候するようになってからは日を追うごとにその腕は上達している。上品でありながら深みのある雑煮の出汁を啜りながら、マツバは向かいのミナキをそっと窺った。最近読んだばかりの他の地方の文献について話す様はとても楽しそうだ。淀みなくすらすらと語るミナキを眺めているだけでマツバは頬を緩めてしまう。

「……それでなマツバ、シンオウには他にもたくさんの不可思議な伝承が残っているらしいんだ。ゴーストタイプ使いなら気になるんじゃないか?なかなか背筋が冷たくなる不気味なものばかりだぞ」
「へぇ、それは気になるなぁ。ミナキくん、シンオウの伝承についてはどこで知ったんだい?」
「ああ、インターネットで調べたんだぜ。マツバもそろそろネットサーフィンを覚えたらどうだ?」
「……ぼくはそういうのはあまり得意じゃないんだよ。知っているだろう?」
「修験者だからとか、アナログ人間だとかはあまり言い訳にならないぞ。気になるなら苦手でもやってみろ」
「ミナキくんが、教えてくれるならいいけど」
「私が?」
「……ダメ、かな」

駄々を捏ねているようだ、と自覚しながらもマツバはミナキを見遣る。目を丸くするミナキをじっと見つめると、意外にも彼はゆるりと微笑んだ。

「そんなことは言っていないだろう。じゃあ今度休みの日にでも教えてやるさ。使えたほうが何かと便利だからな」
「……ありがとう、ミナキくん」
「あといい加減、ポケギアも使えるようになったほうがいい。ヒビキが再戦したがっていたぞ」
「あー……そろそろ片付けようか」
「マツバ、ちょっと待て。話はまだ」

まずい、このままでは説教が始まってしまう。マツバは残っていた茶を飲み干すと、食器を片付けるべく立ち上がった。それに目敏く気付いたミナキが窘めようとするが、彼の声が飛んでくる前に台所へと逃げ込む。呆れたように溜息を吐くミナキを見遣りながらマツバは食器を片付け、残っていた御菜をタッパーに分けて冷蔵庫に入れた。何か言いたげな表情のまま残りの食器を運んできたミナキから逃れるようにマツバは机を拭くと、足に纏わりついてきたゲンガーの連れて炬燵に潜り込んだ。

「あったかいね、ゲンガー」

マツバがそう言うと悪戯っぽく笑ったゲンガーは、頭からすっぽり炬燵の中に入ってしまった。マツバの足先を冷気がゆらゆらと揺れる。暖かいのか冷たいのかよく分からなくなってしまって、手を突っ込んでゲンガーを引っ張りだすとキシシと笑っている。この調子だと炬燵が冷たくなってしまいそうで、マツバは仕方なくゲンガーをボールに戻した。光に包まれてゲンガーが消えると、台所から戻ったミナキは肩を揺らしている。どうやら一部始終を見ていたらしい。ミナキはマツバの横に座ると、そっと身体を寄せてきた。珍しいことにマツバが目を丸くすると、ミナキはゆるく笑ってマツバの肩に頭を預ける。

「そんな顔をしなくてもいいだろう」
「いや……珍しいこともあるんだなぁ、って」
「マツバも朝から挨拶回りで疲れただろうが、私も昨夜からお節を仕込んでいたんだ。……夜の予定も無いし、このまま寝正月にしないか」
「ぼくは一度出掛けてしまっているから寝正月とは言えないけどね。でも、ミナキくんがそんな提案をするなんて初めてじゃない?」
「そうだろうか……」
「ふふ、そうだよ」

食事をして体温が上がっているせいか、寄り添う身体も暖かい。眠そうな瞳が見上げてくるのが愛しくて、マツバはミナキの身体を抱き寄せた。緩やかに射し込む午後の陽光は柔らかだ。じわじわと込み上げてくる眠気を堪えきれず、マツバは大きくあくびを零す。次第に重くなっていく目蓋に抗うことはひどく難しい。

愛しい恋人の体温を傍らに感じながら、マツバもまた深い眠りの中へと落ちていった。


end.




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