Notre Moment



ぱちん、ぱちん、ぱちん。

リズミカルに室内に響き渡る音が心地よい。ちいさな子どもに手を取られたまま、デンジは軽く目を伏せた。黙々とデンジの爪を切っているのは短い髪とおおきな瞳が特徴的な男の子で、すっかり爪切りに集中しきっていた。デンジが戯れに猫っ毛を触ってみても少年は特に気にした様子もなく、動くと危ないですよとだけ言って爪切りを続行する。

ぱちん、ぱちん。

休日の昼下がり、外は快晴で出かけるにもってこいだ。もっともな口実をつけて呼び出した目的はデートだったのに。デンジは揺れ動くつむじを見下ろしながら、どうしてこうなったのだろうと息を吐いた。

「コウキ、」
「……ちょっと待ってください」
「――――……」

呼びかけてもこの調子だ。少年――――コウキには悪い癖があって、集中すると周りがまったく見えなくなるのだ。もちろん長所でもあるが、デンジにとってはあまり喜ばしいことではない。こんなことなら不精せずに爪ぐらいきちんと切っておけばよかった。ジム改造や機械弄りをするデンジは普段であれば短く切っているが、ここ最近はジムリーダーの定例会や召集続きですっかり失念していた。機械を触っていないと落ち着かない癖は直ってきたが、どうやら別の部分で気が抜けてしまうようだ。

「なぁコウキ、もういいだろ」
「だめです」
「爪やすりなんて使わなくていいよ」
「デンジさんは綺麗な爪の形をしているんですから、整えたほうがいいです」

褒められたのは確からしいが、女でもないのにどうして整えなければいけないのだろうとデンジは首を傾げた。そういえば先週ヒカリがジムに来た時、最近ネイルに凝っているのだと言って爪を見せてきたことがあった。ベースコートもしっかり塗って、発色のいいマニキュア(シロナさんに貰ったものだと言っていたから高いやつなんだろう)と小さなストーン、トップコートまで綺麗に塗っていた。桜貝のように輝くそれを見て、コウキは目を丸くしていたし、あのジュンでさえも声を上げていた。

「……あれが原因か……」

集中したら止まらなくなるコウキに女の子が夢中になるような細かい作業はぴったりだろう。ヒカリに罪はないが、あの愛らしい少女を少しばかり恨みたくなった。爪磨きやマニキュアを取り出されるようなことがあれば、全力で断らせてもらうが。

「コウキ、どうせバトルとか機械弄りで傷つけるぞ」
「そしたらぼくがまた綺麗にしてあげます」

さらっと言われた言葉に嬉しいような複雑な気持ちになりながら、デンジはコウキが爪やすりで断面を滑らかにしていくのを眺めた。しゅ、しゅ、と再びリズミカルな音が響いていく。皮膚に擦れることもなく、器用にやすりで爪を整えていく。デンジも機械を弄ることに関してはそれなりに器用だが、こういう作業はきっとすぐに飽きてしまうだろう。

「……なあコウキ、ネイルがしたいならヒカリにしてやれば?」
「ヒカリちゃんはぼくより上手ですよ」
「いや、そうじゃなくて。俺にやっても楽しくないだろ」

デンジがそう呟くと、コウキはぴたりと手を止めてこちらを見上げた。今まで何を言ってもやめなかったコウキが反応したことに驚いて目を見開く。コウキはじいっとデンジの顔を見つめ、不思議そうに首を傾げて呟いた。

「……楽しいですよ?デンジさんだから、楽しいんです」

コウキはにっこり微笑むと、ようやく整え終わったデンジの爪をそっと指先で撫でた。うっとりと嬉しそうな表情でデンジの爪を見つめるコウキのなんと可愛らしいことか。デンジはとうとう堪えきれなくなって、コウキの身体を抱き寄せた。

「わっ……デンジさん、どうしたんですか」
「もう限界。お預け食らってそんなこと言われたらたまんねぇ」
「おあずけ?」
「コウキ、俺を焦らすの大好きだろ」
「?どういうことですか……?」
「――――無自覚ってタチ悪ィな……」

目を丸くしながら聞き返すコウキの身体を抱き締めながら、デンジはおおきく息を吐き出した。幼馴染でかわいい女の子のヒカリよりも、年上で愛想の悪い男の爪を弄りたがるなんて。コウキも大概物好きだな、と思う。それでもデンジだって子ども相手に本気で恋をしているし、いつだって無意識に振り回されてばかりなのだ。

「……俺たち、似た者同士なのかもなぁ」
「ぼくとデンジさんが?」
「そ、」

デンジの言葉にじっと考え込んでしまったコウキはやっぱりどこかずれていて、鈍感この上ない。しかし自分も他人とずれたところがあるのは事実で、そんなところも似ているのかもしれないとデンジはぼんやり思った。物好きで、ずれていて、噛み合いにくい。それなのに一緒にいればそれだけで落ち着くし、愛しいと思う。これも惚れた弱味というものなのだろうか。

「似てない、と思いますけど……。でも、いま考えてることは同じな気がします」
「……言ってみ」

腕の力を緩め、デンジはそっとコウキの顔を覗き込む。スカイグレイの瞳がゆるく細められ、嬉しそうに微笑んだ表情は柔らかだ。微かに頬を赤くしながら、コウキはデンジの耳に手を添えて囁いた。秘密の会話をするように、ひそやかな声で。


「デンジさんが好きだなぁ、ってこと」


end.




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