ほしにねがいを

※七夕


ルネからミナモにかけての二週間に及ぶ海底調査を終えたオレは、民宿モナミで一時の休憩をしていた。あちらこちらフィールドワークをしているせいですっかりここの常連になってしまったオレは、ここの親父さんにも顔を覚えられている。優しい親父さんはオレのことを孫みたいに思っているらしく、世話を焼いてくれている。一昨日ここに着いた時も、先月も調査の帰りに泊まったにも関わらず豪華な食事を振る舞われた。他の民宿よりも値段は安く、しかし部屋もサービスも行き届いているここに、そんな余裕があるとは思えないのに。それでも親父さんの好意を無下になどできるはずもなく、オレは有り難くそのもてなしを受けた。ミナモ特産の海産品や野菜は新鮮で美味しく、女将さんの料理の腕もかなりのものだ。母の料理が大好きなオレだが、女将さんの料理はまた別格だと思う。

そうやってミナモでの休息を楽しんでいたオレは、あるテレビ番組に目を奪われた。マッスグマの毛繕いを終えて部屋から降りてきたオレは、親父さんがテレビの前に陣取っていることに気がついた。親父さんはテレビが大好きで、初めて出会ったときにもテレビの邪魔をして怒られたことを今でもよく覚えている。今日は何を見ているのだろうか。ミナモ付近のフィールドワークは終えているし、午後の予定は特に無いのでオレも一緒にテレビを見ようか。マッスグマを抱き上げ、オレは近くにあった座布団に腰を下ろした。テレビの画面を覗き込めば、どうやら情報番組らしい。しかしただのニュースというわけでもないらしく、画面の中央でなにかがきらきらと光っている。

「……なんですか、これ?」
「おや、ユウキくん。これかい?これは千年彗星と言うらしいよ」
「千年彗星……?」
「千年に一度だけ見える彗星らしい。だから千年彗星」
「へえ……初めて知りました」
「ああそうか、ここ最近はずっと話題になっていたんだが、ユウキくんは知らなかったんだな」
「二週間、テレビも新聞もろくに見てませんでしたから。ハルカやミツルとは連絡は取っていたんですけど」

群青色の空に輝く千年彗星は学者の想定した模擬写真らしく、しかしそれでも彗星の美しさは容易に想像できた。

「そうだユウキくん、これも知らないかな?千年彗星が見えるのは七日間なんだ」
「えっ、たったそれだけなんですか!?」
「うん。そして七日間の間だけ眠り繭から目覚めるというポケモンがいるんだ」
「それ…………もしかして、」
「知っていたかな?そう、ジラーチだよ」

伝説のポケモン、ジラーチ。父の文献で幼い頃に読んだことがある。明確な記録は残されていないが、非常に希少なポケモンだ。そしてジラーチには、願いを叶える力があるのだと。

「千年に一度なんて気が遠くなるような時間だがね」
「でもそれが本当ならすごく神秘的です。……それに、研究者としても気になることです」
「ユウキくんは本当にポケモンが好きなんだな。近い将来、博士を越えてしまうかもしれない」
「そんなことは――――」
「……ユウキくん?」

ふと視線を戻した先のテレビには見たことのある町が映っていた。青い海に囲まれたちいさな島、ムロタウンだ。そしてカメラは浜辺の洞窟付近を映し出す。現地のリポーターが話すには、千年彗星が最も美しく見える場所が、ムロタウンのはずれにある浜辺らしい。その浜辺の奥に見える洞窟に、オレの視線は釘付けになっていた。

「いしの、どうくつ……」

急に、とても懐かしい気持ちになった。二年前、旅をしていた時に初めてあのひとにあった場所。ただのお使いだと思っていたのに、あのひとに出会ってオレの世界が鮮やかに変わっていった。フラッシュで照らしても薄暗い小部屋では彼の顔もはっきり見ることはできなかった。それでもあの時、彼に手紙を渡して言葉を交わした。たった数分にも満たないやり取りでオレの中の何かが確実に変化を遂げた。

「ユウキくん、どうかしたのかい?」

気付けばオレはマッスグマをボールに戻し、立ち上がっていた。不思議そうな親父さんの言葉に答える時間も惜しくて、部屋に戻って荷物を纏めて階段を駆け下りる。目を丸くしている親父さんと女将さんに申し訳程度に挨拶をして宿泊料金を払うと、オレは民宿から飛び出した。岬の方へ走りながら腰のベルトからスーパーボールをひとつ掴んで投げる。光に包まれて大空の下にその姿を現したオオスバメの瞳が興味深そうにオレを見る。そんなに慌ててどうしたの?そう訊きたそうなオオスバメに思わず苦笑しながら、オレは軽く口笛を吹いた。瞬時に低空飛行に切り替えたオオスバメに走り寄って飛び乗る。崖の上空をゆったりと上昇しながらピィッと鳴いたオオスバメの首に手を回し、オレは行く先を告げる。軽く振り向いたオオスバメが理由を知りたそうな顔をしていたけれど、それについては後で教えてやるよと誤魔化しておく。目を細めて呆れたような顔をしながらも、オオスバメは進路を北東へと切り替えた。頬を切る風は暖かく、日差しは柔らかい。オレは空を見上げて息を吐くと、オオスバメの首に顔を埋めた。

今すぐに、会いたいひとがいる。


×


ムロタウンに到着したのは日も傾きかけた夕方だった。久しぶりに訪れたムロタウンは何も変わっていない。船着き場には小舟が停泊していて、よく見るとそれはハギろうじんの船だった。相変わらずピーコちゃんと仲良くやっているのだろうか。トウカ付近に訪れることがあったらフエンせんべいでも持って遊びに行こう。今度出したときには訳を聞かせなさいよね、と言いたげなオオスバメを宥めてボールに戻すと、オレは浜辺へと向かった。途中、集会場から賑やかな声が聴こえていたが、また流行語を決めて楽しんでいるんだろう。小さな島ながらも活気に満ちているこの町の人は、みんな暖かくて優しいのだ。

「あれ?ユウキくんじゃないか」
「……トウキさん!」

浜辺で何やらポケモンと向き合っている人影に呼び止められて目を凝らすと、ムロジムリーダーのトウキさんだった。父についてフィールドワークをしていた頃から何かと遊んでくれたお兄さんで、彼の手持ちもマクノシタもオレに懐いてくれている。トウキさんの背中からひょっこり顔を出したマクノシタはひょこひょことこちらに走り寄ってオレの腰に抱き着いた。

「こらこらマクノシタ」
「あはは、いいんですよ。お久しぶりですね、トウキさん」
「ユウキくんこそ。今日はどうしたんだ?フィールドワーク?それとも、千年彗星の噂を聞いた?」
「……鋭いですね」
「毎日のようにテレビでやってるからね。でもキミがフィールドワークじゃないなんて珍しい」
「そんな、ただの興味本位ですよ。千年に一度しか見れないなら見ておきたいじゃないですか」
「そうだね。……ほらマクノシタ、ユウキくんから離れるんだ」
「ごめんね、マクノシタ」

名残惜しそうなマクノシタを撫でてやると、細い目をいっそう細めて笑った。かわいいなぁと和みながら顔を上げると、トウキさんが何やら嬉しそうにオレを見ていた。首を傾げると、手招きをされたので近づくと耳打ちをされる。その内容に驚いてオレが声を上げると、悪戯が成功した子どものようにトウキさんは笑っていた。少しだけ、悔しい気持ちになる。

「……また今度、遊びにきますね」
「楽しみにしてるよ。ボクもマクノシタも」


×


トウキさんとマクノシタに見送られてオレはいしのどうくつに入っていく。一階はまだ明るいが、地下を進むにはフラッシュが必要になる。オレはキノガッサにフラッシュで照らしてもらい、先を進むことにした。視界が狭く、道も広くはないので用心して進まなければ危ない。慎重に進みながらオレとキノガッサは地下一階を抜け、地下二階へと進む。時折足元を駆けていくココドラに躓きそうになったり、天上に貼り付いていたズバットに脅かされながらやっとのことで地下二階の出口に辿り着いた。キノガッサを戻し、小部屋へと続く一階の回廊を歩いていく。その間、トウキさんの言葉が脳内をリフレインしていた。

『――――ダイゴさんなら昨日、ここに来ているよ』

彼がここに居るという確証はなかった。ただ会いたかったから、初めて出会った場所に来た。会えなくても自己満足に浸れれば十分だと、そう思っていたのに。――――ダイゴさんがここにいる。それだけで心が躍った。嬉しくて仕方がなかった。

「……緊張、するなぁ……」

小部屋の数メートル前で深呼吸を何度も繰り返す。ここから先には行き止まりの小部屋しかないはずだ。ここに居なければ、きっとこれから当分ダイゴさんに会える機会は無いだろう。どきどきと早い鼓動を繰り返す胸に手を当てて、ひときわ深く深呼吸。そうしてオレは歩き出した。僅かに光が差す、小部屋の入り口へ。

薄暗かったはずの部屋の中は記憶の中の風景よりも明るく思えた。そして小部屋の中央でこちらに背を向けて立っている男性は紛れもなく、ダイゴさんだった。スカイブルーの髪に紫のラインの入った黒いスーツ。すらりと背の高いスタイルも細いうなじも、前に会った時と変わっていなかった。

「ダイゴ、さん」

震えそうになる声で名を呼べば、くるりと振り向いたブルークォーツの瞳が真っ直ぐにオレを捉えた。その瞳が驚きに見開かれ、ダイゴさんは手に持っていた真っ白な石を落とした。石の陰に隠れていた彼のココドラも不思議そうにオレを見上げている。

「ユウキくん……?」
「えっと、お久しぶり……です。お元気でしたか?」
「う、うん。……ユウキくんは?」
「オレも、元気です。ずっとフィールドワークとか研究とか……相変わらずです」
「そっ、か」

ダイゴさんは落とした石を拾うことも忘れたようにオレの方に歩み寄ってくると、はにかむように笑った。涼やかな目元が細められて、途端に彼が幼く見える。オレもつられて思わず笑うと、ダイゴさんは嬉しそうに肩を揺らした。それからココドラが彼の落とした石を拾ってとことこと歩いてきたので、屈み込んで拾ってやるとその石は一部が赤く輝いている。オレがそれを覗き込んでいると、ダイゴさんは恥ずかしそうに微笑んで口を開いた。

「その石はね、ぼくのお気に入りなんだ」
「ここで採れたんですか?」
「そうだよ。これはね、ルビーの原石なんだ」
「ルビーの……?本物、なんですか?」
「そうだよ」

ダイゴさんはオレの手から原石を拾い上げると、頭上に翳した。赤い輝きが光に透かされてうつくしく輝く。ふと見上げると、前は塞がれていた天井の中央、彼が立っていた場所の真上に穴が空いていた。室内が明るく感じた理由は、どうやらこれだったらしい。

「天井が……」
「ああ、先月クチートの密猟者がここに入ったらしいんだ。その時に相当騒いだらしくて空いたらしい。」
「どれだけ暴れたんですか、そいつら」
「それは分からないね。まぁおおよそ、イワークかハガネールでも出したんじゃないかな」

こんな狭い場所で大型ポケモンを出せばそうなるのは当たり前だろう。呆れて言葉も出ないが、しかし吹き抜けのようになっているお陰で小部屋の中は前よりもかなり明るい。薄暗くてあの時は見えなかったダイゴさんの顔も、射し込む光できちんと見ることができた。

「ユウキくんはどうしてここに?……もしかして、千年彗星かな」
「……そうです」
「そうか。やっぱり気になるよね、こういうものは」
「学術的な興味も、あるんですけど」

おとぎ話みたいな伝説に興味があるなんて、子どもっぽく思われただろうか。そう思って誤魔化そうとすると、ダイゴさんはゆるく笑って手を振った。

「いいよ、別に隠さなくても。……ぼくも似たようなものだから」
「…………ダイゴさんも?」

驚きに目を見開くと、ダイゴさんは照れたように笑う。少し話そうか、そう言って彼は手近な岩に腰掛けた。促されてオレも近くにあった岩に腰掛けると、ダイゴさんはルビーの原石を手中で転がしながら話し始めた。

「ジラーチは願いを叶えてくれると言うだろう?ぼくは親父の影響で石に興味を持ったんだけれど、その時に千年彗星やジラーチの眠り繭についても聞かされたことがあってね。千年彗星は勿論、ジラーチの眠り繭はとても美しく、宝石のようだと聞いた。そしてジラーチの願いを叶える力……子供心にはとても魅力的だったんだ」
「……オレも、同じようなものです。願いを叶えてくれるって聞いて……それで、」
「ふふ、よかった。ぼくたち一緒だね」
「お揃い、ですね」
「……それに今日は七月七日、七夕だからね。もしかしたら本当にジラーチが姿を現すかもしれない」

ダイゴさんはそう呟くと、天井から空を見上げた。夕陽が沈みかけている空は薄い紫色で、薄らと星の輝きが見える。彼のブルークォーツの瞳が真っ直ぐにそれを見上げるのを眺めながら、オレはダイゴさんがずっと持っている原石にふと目を落とした。大事そうに彼が持っているこの原石はここで採れたものだと言っていたが、今日採れたばかりには見えない。もしかしてこの石はダイゴさんにとってのお守りなんだろうか。

「……ユウキくん?どうしたの?」
「えっ、あ、その石……ルビーはダイゴさんの宝物なんですか?」

反射的に訊いてしまってから訊かないほうがよかったのだろうかと思ったが、彼はオレの予想に反して微笑んだ。それから困ったように眉根を寄せながら原石をオレに見えるように差し出す。

「そうだね、ぼくの宝物だ。……ああ、もう言っちゃってもいいかなぁ」
「え?」
「――――この原石はね、初めてきみに出会った日に採掘したルビーなんだ」
「……あの、日にここで……?」
「そうだ。きみが親父の手紙を持ってきてくれる少し前に出てきたんだ。ここにはルビーは無いと言われていたのに、初めてぼくはここでルビーに出会った。……そして、きみに出会った」

どうしてだろうね、運命ってこういうことなのかなぁ。照れ臭そうに笑うダイゴさんの表情が柔らかくて、オレは静かに話に聴き入っていた。ジラーチの神秘的な伝説よりも、確実に惹き込まれていた。これが本当ならどれだけ嬉しいことだろう。あの出会いは運命だったのだと、信じてもいいのだろうか。

「そう、だからぼくの宝物。このルビーを見ていたらユウキくんのことを思い出してしまって。随分と会ってないなぁって思ったら、なんだか会いたくなって」
「――――……、」
「会えるはずもないのに、知らず知らずここまで来ていた。……勝手に足が向いていたんだ」
「……ダイゴ、さん」
「ああごめん、ぼくの勝手な思い込みだってことは「ダイゴさん!」

立ち上がったオレは、苦笑するダイゴさんの手を気付けば握っていた。目を丸くするダイゴさんの冷たい体温を感じながら動悸が止まらないのを感じる。もしも彼の話が本当ならば、オレたちは同じきっかけで今日、この場所この時間に来たということだ。

「ユウキくん?」
「オレも、同じです。……千年彗星のニュースでこの洞窟が映っているのを見て、ジラーチのことを思い出して、ダイゴさんに……会いたくなって。オオスバメに乗ってここまで……会えるわけがないって、そう思ってたけど止められなくて」
「それ、本当に……?ユウキくんも同じだったって……」

オレが頷くと、おおきく見開かれたブルークォーツの瞳が驚きに揺れる。夕陽が沈んで薄暗い闇に包まれた洞窟内は、出会ったあの時と同じ明るさになっていた。だけど今は違う。あの時は遠くて見えなかったものを、今ははっきりと近い距離で見ることができた。ぎゅ、とダイゴさんの手を握る力を強めれば、彼もまた何も言わずに握り返してくれる。言葉を上手く選べないオレに、ダイゴさんはただ静かに微笑みかけてくれた。

「……そうか、もう叶っていたんだね。ぼくの願いも、きみの願いも」
「ジラーチは、今夜現れないかもしれませんね」
「ふふふ、そうだね。でも……あの日出会った運命も、ぼくたちの願いも、ジラーチのお陰なのかもしれない」
「千年前から、オレたちの運命は決まっていたって言うんですか?」
「どうだろう。本当のことはジラーチに訊いてみないと分からないさ」
「……ええ、そうですね」


×


見上げた先の千年彗星は藍色の夜空にきらきらと輝く。ジラーチに願いを託したオレたちが出会えたことが、ジラーチの力なのかは分からない。それでも確かに、また会いたいと思ったときには会えるような気がした。満天の星空の下、今度は願いを託すのではなく自分たちで叶えよう。

そしてオレたちは指切りを交わす。


end.




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