The wanted one is your word.



感情を表すためのいちばんの方法は言葉にすることである。それは簡単なことのように思えるが、複雑な想いを一言にすることはとても難しい。言葉の受け取り方だって万人が共通しているわけではない。同じ言葉だとしても受け取る側の心理状態や性格によって、その解釈は大きく変わるだろう。しかし言葉はいつでもストレートだ。行動で回りくどく示すよりも分かりやすいこともある。そうかと思えば、逆に伝わりきらずに拗れを招いてしまうこともある。だから感情を"言葉"にする時には気をつけなければならない。それが重要なことであれば尚のこと、相手を傷付けるようなことは決してあってはならない。

言葉とは時として魔法よりも繊細なものである。そして、どんな上級魔法もただひとつの愛の言葉には敵わない。


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バーテミウス・クラウチ・ジュニアは悩んでいた。暖かい暖炉の前で膝を抱え、子どものような格好でバーティはかれこれ一時間は頭を悩ませている。端正な顔を曇らせ、膝のあいだに頭を突っ込むような体勢になっていた。ぱちぱちと炎が燃える音を遠くに感じながら、あーともうーとも似つかない呻き声を漏らす。時刻は既に深夜を回っており、談話室にはバーティの他に誰の姿もない。静寂に包まれた部屋の中でバーティがなぜこんなにも悩んでいるのか―――その原因は彼の恋人にあった。

「レギュラスは、本当に俺のことを好きなんだろうか」

"恋人"という関係にあるとはいえ、それもバーティの熱烈なアタックにレギュラスが折れたというのが二人の始まりだった。それから一年ほどお付き合いは続いているが、全ての主導権をバーティが握っている。レギュラスから何かをねだられたことも頼まれたことも、ほとんど無に等しかった。恋人と言いきるにも二人の関係はプラトニックなものであり、キス以上の行為に至ったことはない。行動に出ようとしても何かにつけて誤魔化されてしまうし、踏み込もうとしてもひらりと躱されてしまう。それはレギュラスなりの照れ隠しなのだろうと、今まではそう思っていた。いま思えばなんと都合のいい解釈だろうか。自分の情けなさに溜息しか出ない。

「…………」

愛されている自信がなくなった理由は、それだけではなかった。レギュラスは感情を言葉にすることが多くない。授業や話し合いの場では自分の意見をきちんと述べるが、普段の生活では自分の感情を隠すような振る舞いをしてばかりだ。これはきっと、レギュラス自身も気が付いていない―――無意識下の行動だろう。しかしレギュラスは、バーティが最も欲している愛の言葉を口にしたこと一度もない。

「……あぁ……」

情けのない溜め息が唇から零れた。バーティは、心の底からレギュラスのことを愛している。美しい漆黒の髪に、澄んだ蒼灰色の瞳、滑らかで白い肌。華奢に見えるが均整の取れたしなやかな体つき、クィディッチのシーカーに抜擢される身体能力。真面目で人を貶めることをしない真っ直ぐな性格、優しく慈愛に満ちたソプラノボイス。その全てがバーティを魅了していた。崇拝にも似た恋は、レギュラスに溺れていると言っても過言ではない。それほど彼にとってレギュラスの存在は大きい。

「もし、愛想を尽かされたら…」

今までずっと恋い焦がれてきた、誰よりも大事だった存在が突然離れていってしまう。そんなことになったら、どうすればいいのだろう。心細さを感じるよりも先に混乱がバーティの頭の中を占めていく。これまで浮かれていた自分が馬鹿みたいだ。なんて滑稽だったのだろう。そんな自虐すらも追いつかない。胸を刺す、じくじくとした痛みにローブの胸元を掴む。バーティは声もなく静かに床へと倒れ込んだ。絨毯越しに冷たい大理石の感触が伝わってくる。身体を包み込む暖炉の温かささえ、自分自身の生温い愚かさに思えて惨めな気持ちになる。疲労のせいか鉛のように身体が重く、気怠さに身を起こす気にもなれない。次第に目蓋が重くなっていき、バーティの視界は次第にぼやけていく。遠のいていく意識の中、誰かの声が聴こえたような気がした。


×


「――――…ティ……バーティ……」

霞みがかった聴覚の遠いところで自分を呼ぶ声がする。優しく身体を揺り動かしているのは誰だろう。重い目蓋を持ち上げることは億劫だ。しかし、温かい光に導かれるようにバーティはそっと目を開ける。眩しい光に襲われることはなく、柔らかな暖炉の炎が包み込むようにぼやける視界に映り込んだ。部屋が薄暗いからなのか、視界はぼやけてはっきりしない。ゆっくりと瞬きを繰り返しているうちに、ようやく絨毯の模様が視認できるようになった。腕を持ち上げ、目にかかる伸びすぎた前髪を掻き上げる。ゆっくりと上体を起こして、ようやく近くに誰かの気配があることに気がついた。俯いているせいで表情は窺えない。それでも、艶やかな漆黒の髪と自分よりも一回り小さい身体ですぐに誰かなのか分かった。気後れして声を掛けることはできず、そっと顔を覗き込む。引き結ばれていた桜色の唇が、僅かに震えたように見えた。握り締められていた小さな拳に、ぎゅっと力が込められる。

「―――バーティ」

静かな声から感情を汲み取ることは難しかった。その声は怒っているようにも呆れているようにも聞こえる。バーティは静かに息を飲んで、ひそやかにレギュラスの拳へ指を這わせた。温かな体温が指先からじわりと伝わってくる。レギュラスはぴくりと肩を揺らしたが、顔を上げることはない。やはり怒っているのだろうか。そう思って手を引きかけると、引き留めるようにレギュラスがバーティの手首を掴んだ。驚いて目を瞠るが、やはりレギュラスは俯いたまま目を合わせようとしない。互いに相手が躊躇しているのを察し、二人の間に沈黙が落ちる。そしてたっぷりと時間をかけた後に、静寂を打ち破ったのはレギュラスの方だった。レギュラスはバーティの手首を握る手に力を込め、漆黒の髪の間からそっとバーティを見上げた。

「……バーティ、僕……ごめん」

躊躇いながら開かれた唇から紡がれた謝罪にバーティは困惑した。長い睫毛に縁取られた蒼灰色の虹彩は、どこか不安そうに揺れている。悲しげに眉を下げて謝るレギュラスは苦しげで、バーティの双眸にはひどく痛々しく映った。

「どうして、お前が謝るんだ」
「……きみが、うわ言を……僕は、それを聞いて…」

ざっと血の気が引き、バーティは掴まれている腕を引きかけた。しかし焦ったように顔を上げたレギュラスに追い縋られて動きを止める。今にも泣き出しそうな顔で見つめられてしまえば、振り払うことなど出来るわけがなかった。

「……なに、を……」
「本当は、そんなつもりはなかったんだ!盗み聞きなんて、したくなかった!」
「……あぁ」
「ほんとうだよ…!でも、聞こえてしまって……それで……」

その悲痛な表情と絞り出すような声に、レギュラスが自分の抱いていた不信を知ってしまったのだとバーティは悟った。恋人を疑うような感情に苛まれ、どうしようもないネガティブに陥り、あまつさえ愛の言葉を乞おうとする、自分の情けない姿を知られてしまった。自分の根底にあるものがただのわがままで、どろどろとした穢いもので満ちているのだと―――レギュラスに知られてしまった。あまりのことにバーティの身体からは力が抜け、ふらついた身体を慌ててレギュラスが抱き留める。額を押さえ、何かに耐えるようにバーティは強く歯を食い縛った。そんな姿を目にしてレギュラスは自分の浅慮さを悔やむ。バーティの腕を掴んでいた手を離すと、彼の両肩にそっと手を添えた。今度は視線を離さぬように、揺れ動くブラウンの瞳をじっと覗き込む。

「……バーティ、大丈夫?」
「……、っ…」
「本当に、ごめんね」
「……レギュラス……俺は」
「ううん。きみが謝ることはないんだよ、バーティ。……僕を疑ってしまうのも、無理はない。悪いことじゃないんだ。疑われてしまうだけのことを僕はした。……きみのことを、傷付けて、苦しめてしまった」
「……え?」
「うまく言葉を選べなくてごめんね。僕はあまり……感情表現が得意じゃなくて。でも、許してほしいなんて烏滸がましいことは言わないよ。僕のことを、恨んでくれてもいい」

ごめんね。レギュラスは再びそう呟いて、バーティの頬に手を滑らせる。びくりと肩を跳ねさせた彼に、込み上げてくるのは罪悪感だった。レギュラスは、自分の不器用さ故にバーティを傷付けてしまった事実を深く後悔した。

「愚かなのは僕のほうだったんだ。それなのに、きみは僕じゃなく自分を責めてしまった。……きみは優しいね」

バーティが唇を開きかけるが、レギュラスはそれを遮るように静かに首を振った。穏やかな言葉で、ゆっくりと言葉を吐露する。今まで言えなかった想いを、包み隠さずにすべて。

「僕はね、バーティ。きみが向けてくれる言葉を口にするのが怖かったんだ。……僕は、とても臆病だから。真っすぐな想いを喜ばしく思いながらも……それに返すことができなかった。本当に、ひどいことをしていたよね」
「きみが、臆病だって…?そんな」
「いいや、僕は臆病者だよ。……昔から、ずっとそうだった」

レギュラスは自嘲するように力なく微笑み、バーティの頬に滑らせた指で彼の目尻を辿った。見えない涙を拭うような動きに、バーティは一瞬泣きそうな顔になる。それを見てレギュラスもまた、つられるように悲しげな表情を見せた。

「いちばん大切な想いを口にすることが、怖かったんだ。自分から言葉にして伝えてしまえば、そこで終わってしまうんじゃないか……きみが、離れていってしまうんじゃないかって。……こわくて……怖くてたまらなかった。そんなことはないのに、疑っていたのは僕だったのかもしれない」
「……レギュラス」
「だから今まで言えなかった。―――臆病で、卑怯でごめんね」

今にも涙を溢れさせそうな表情で、それでもレギュラスは真っ直ぐにバーティを見据えた。少し前まで揺らいでいた視線が嘘のように、双眸は少しも逸らされることはない。

「……愛してるよ、バーティ」

囁くように紡がれた言葉の中には、彼の中にある真摯さがすべて詰まっていた。ある種の決意にも似た愛の言葉に、バーティは呼吸をすることすら忘れてしまった。レギュラスの名を呼ぼうと開いた唇からは、なにも零れ落ちない。いまバーティの全身を衝撃が支配していた。稲妻のようなショックで思考もままならない。ブラウンの瞳を大きく見開いて、ただ瞠目するバーティにレギュラスは柔らかく微笑んだ。

「きみのことが大好きだ」

両手でバーティの頬をそっと包み込む。それから音も立てずに身体を寄せ、バーティの唇に自らのそれを重ねた。ゆっくりと、触れるだけ優しいキスがバーティの硬直をゆるやかに解いていく。魔法の効力から解放されるような感覚に、やがてバーティも静かに目を閉じた。幾度も繰り返される、宥めるような口づけはひどく心地いい。どんな言葉を紡ぐことさえも無粋だと思えた。

「…………」
「…………」

永遠のように思える長い口づけが終わり、レギュラスは眉を下げながらバーティを見上げた。恥ずかしそうに頬を染めながら、それでもバーティからの言葉を待ち侘びている。レギュラスの視線を受けたバーティもまた、ぎこちない表情でレギュラスの手を取った。レギュラスの掌へ恭しく唇を寄せ、そっとキスを落として微笑んでみせる。

「掌にするキスの意味を知っているかい、レギュラス」
「……きみは、それを僕が知らないとでも?」
「いいや。聡明なお前のことだ、もちろん知っているだろう」
「相変わらず、きみは意地悪だ」

バーティは困ったように笑うレギュラスを抱き寄せた。赤く染まった耳朶に吹き込むように囁きかけると、擽ったそうに身を捩る姿が愛おしい。強く抱き締めてやれば、バーティの背中におずおずと手が回された。遠慮がちに肩口へ額を寄せてくるのも、可愛らしくて仕方がない。

「……本当にバーティは意地が悪い」
「拗ねているのか?」
「今まで躊躇っていたことが、急に馬鹿馬鹿しくなってきたよ」
「それはいいことだな。これからは俺相手に躊躇ったりしないでくれ」
「……きみは、それでいいの?」

レギュラスは窺うようにじっとバーティを見上げた。不安げに揺れる蒼灰色の瞳に映され、バーティは暫く黙り込んだ。先ほどのレギュラスの覚悟と同じものを、自分も求められている。そう自然と悟って、緊張感で自然と背筋が伸びる思いになった。それでもバーティの心は変わらない。静かに頷き、柔和に微笑んでみせる。

「―――そうじゃなければ、俺は寂しくて死んでしまう」
「……きみが死んでしまったら、僕はすごく寂しい」
「それなら決まりだな」
「うん。……バーティ、約束するよ」

レギュラスとバーティは、どちらともなく差し出した小指を絡ませた。そしてゆっくりと歌を口ずさみながら指切りを交わす。それはまるで、幼い子ども同士の約束のようだった。


(その約束は決して違えられることはない)



end.




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