under one umbrella

Endless Summer様 提出作品 ※中学時代


艶やかな黒髪の下から覗く紅玉にも似た瞳は、曇った窓硝子の外を静かに見つめていた。何かを憂うような表情のまま、臨也は机に肘をついて雨を眺める。現在はホームルームの最中だというのに、教師が話す内容など霞みがかかったように聴こえていない。元より臨也にはそんなものを聴くつもりは無かった。退屈そうに綺麗な瞳がゆっくりと細められる。昼を過ぎた頃から降り出した雨は一向に止む気配はなく、教室の中の空気も湿りを帯びていた。肌に纏わり付くような湿気が不快で、臨也はゆるく頭を振った。漆黒の髪が揺れ、それだけで奇妙なほどに彼の整った容貌が浮世離れして映る。

「……以上で、ホームルームを終了します」

ようやく耳に届いた教師の声を合図に生徒が立ち上がる。臨也も緩慢そうな動作で立ち上がると、学級委員の生徒の声に合わせて頭を下げた。ホームルームが終わり、解放された途端に教室内は喧噪に包まれる。クラスメイト達の会話を聞き流しながら、臨也は横に掛けてあった鞄を手にした。机の中の教科書を数冊納めると、金具を留めて椅子を引く。ふと教卓のほうに目線を移動すれば、眼鏡の男子生徒が教師に話しかけていた。その目がきらきらと好奇心に輝いていて、臨也は溜息を吐く。

――――嫌な予感しかしない。

「おい、新羅」
「あっ折原くん!ちょうどいいところに来たね。君にも口添えをしてほしいんだ、この前の……」
「嫌だ」
「ええっ」
「どうせまたろくでもないことを考えてるんだろ。俺は協力する気ないから」
「ひどいよ折原くん!僕たち友達じゃないか!」
「友達だからこそだよ」
「うう、そんなぁー……」

落胆する新羅を無視して、臨也は苦笑いする教師に笑いかけた。教師も新羅に困っていたのか、臨也が気を利かせたことに感謝しながら足早に去っていった。教師の後ろ姿を見送ると、教室の中には臨也と新羅を除いて数人の生徒しか残っていない。この雨天だ、みんな早く帰りたかったのだろう。自分もさっさと帰ろうと振り返ると、急に学ランの裾を引っ張られた。何事かと視線を落とすと、新羅が眉根を寄せてこちらを見つめている。どこか怒っているようにも見えなくもない。臨也が首を傾げると、新羅は黙って黒板の隅を指差した。そのままそちらに目を遣れば、日直の下に新羅の名前がある。

「先生を逃がしてくれたんだから、日直の仕事ぐらい手伝ってくれるよね?折原くん」
「…………新羅」
「別に怒ってるわけじゃないよ。ただ手伝ってほしいんだ」

――――目は笑ってないくせに何が怒ってない、だ。

臨也は本日何度目になるか分からない溜息を吐いて、しぶしぶ黒板消しを手に取った。教卓の中から引っ張り出した日誌をぐいっと新羅の胸に押し付けてやる。真っ白なチョークの粉が学ランにかかるのを出来るだけ防ぎながら、臨也は黒板の文字を消しにかかった。身長が届かないところは背伸びをするしかなくて、そのたびに背後で押し殺した笑い声が聞こえてくるので苛立って仕方なかった。振り返って怒鳴りつけようとすると、新羅は素知らぬ顔で日誌に文字を綴っている。臨也はあとで殴ってやる、と物騒なことを呟きながら、それでも律儀に黒板消しを続行したのだった。

「あー終わった……新羅、そっちは書き終わったのか?」
「うん。終わったよ」
「それなら、あとは施錠するだけだな」

臨也はそう言って、傘立てから自分の傘を引き抜いた。真っ黒な大きい蝙蝠傘だ。日誌を閉じて顔を上げた新羅は、窓の外にちらりと視線を投げる。それから臨也の傘を見て、困ったように眉根を下げた。臨也がそれを怪訝に思って傘立てをもう一度見ると、新羅の傘は無い。忘れ物と思しきぼろぼろのビニール傘しか残っていなかった。

「……施錠は僕がするよ、鍵の返却も。ついでに職員室で傘を借りたいし」
「君に限って珍しいね。傘、忘れたんだ?」
「ああ、うん。今日はちょっと朝忙しくて……同居人と話し込んでいたら天気予報を見るの忘れてたんだよね」
「…………ふーん」

何気なく新羅が口にした"同居人"という言葉に、臨也は僅かにぴくりと指を動かした。それから新羅が嬉しそうな表情を戻してしまう前に、黙ったまま背を向けた。手に持っていた鍵を新羅に渡さずに後ろの扉へ向かい、内側から鍵をかける。そして不思議そうな顔をする新羅の手を引いて教室の外に出た。前の扉にも鍵をかけ、そのまま廊下を歩き出す。後ろから新羅が動揺したような声を上げるのもお構いなしだ。

「ちょ、ちょっと折原くん!鍵なら僕が……職員室に用があるのは僕だし、君は先に帰ってもいいんだよっ?」

気遣うように新羅がそう言うと、ようやく臨也は足を止めた。階段に差し掛かったところで、開け放たれたままの出窓からは雨が降り込んでいる。リノリウムの床には小さな水たまりが出来てしまっていた。その水面を見つめながら、臨也は小さく呟きを零す。珍しく逡巡するような臨也の表情に、新羅はすこしだけ驚いた。

「傘、ならいらないだろ」
「えっ?」
「……ここに、あるだろ。傘」
「で、でもそれは君の傘だろ?僕が借りるわけには、」
「そうじゃない」
「え?ああ、もしかして折りたたみ傘もあるの?」
「……そうじゃない!」
「ええっ、じゃあどういう……」
「だからっ……!」

歯痒い会話にじれったくなったのか、臨也は新羅の手を掴んでいた指にぎゅっと力を込めた。顔を上げて、ずいっと右手に持っていた蝙蝠傘を突き出す。その勢いに圧倒されて、新羅はぽかんと目を丸くした。臨也は気まずそうに視線を逸らしたまま、歯切れ悪くごにょごにょと呟いている。新羅がそっと呼び掛けると、こちらがびっくりするほどに肩を跳ねさせる。蝙蝠傘を掴む臨也の手は震えていて、相変わらず言葉は不明瞭で要領を得ない。珍しいこともあるもんだなぁ、と新羅がどこか暢気に思いながら臨也の顔を見ると、彼の耳朶が真っ赤に染まっていることに気がついた。その瞬間、新羅はようやく臨也の言葉の意味を理解した。傘がいらない理由をやっと悟ったのだ。

「……折原くん」
「な、んだよっ!」
「分かったよ。傘は借りない。君の傘にお邪魔させてもらうよ」

にっこりと微笑んで新羅がそう言うと、今度は臨也が目を丸くする番だった。ぱちぱちと真っ赤な瞳を瞬かせ、たっぷり三秒ほど固まった。それからじわじわと頬に熱が込み上げてきたのか、赤くなりながら傘を持つ手を下ろしていった。顔が見えない絶妙な角度で黙り込んでしまった臨也に、新羅はくすくすと笑みを零しながら歩き出す。

「鍵を返したら早く帰ろうか。ねぇ折原くん、帰りに本屋に寄りたいんだけど」
「……嫌だ。俺はさっさと帰りたい」
「でもどうしても買いたい本があるんだよ。この前言ってたやつ」
「あの食虫植物のやつだろ。だから嫌なんだって」
「そうだよ。聞いてないと思ってたのに、よく覚えてたね」
「…………うっさい」

悪態を吐きながらも、臨也は新羅の手を離さないままだった。そのことに気付いていながらも、新羅のほうも指摘はしてこない。職員室が近くなれば離さなければならないことは分かっていたが、今はまだこのままでいたかった。少し体温の高い臨也の手と、少し冷たい新羅の手。アンバランスなのにしっくり来るような奇妙な感覚があった。

――――どうしてだろう、ひどく心地いい。

楽しそうに笑う新羅の横顔を眺めながら、臨也は黙って手に込める力を強めた。僅かな時差があって、新羅も手を握り返す。それがくすぐったくて恥ずかしくて、臨也は奇妙な感覚の正体がなんとなく掴めたような気がした。

月曜日の放課後、気怠くて憂鬱な気分に包まれていたのが嘘のようだった。窓の外では未だ雨が降り続いているが、それも今では気にならない。肌に貼り付く湿気も鬱陶しく感じられることはなく、雨音も耳障りではなかった。それをおかしいと思いながらも、臨也は思わず笑い出しそうになっていた。口角が持ち上がるのを押さえられず、新羅に気付かれないようにそっと忍び笑う。

――――ああ、嫌いだったはずの雨も今なら好きになれそうだ。


(この気持ちの正体は、きっと)



end.




ホーム / 目次 / ページトップ

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -