And,only silence remained.

※カロリア編


冷たく湿った床は今のおれにはお似合いだろう。簡易寝台に這い上がるような気力もなく、石畳の床に両足を投げ出して壁に凭れる。冷ややかな感触が背中を伝ってくるが、特に不快感は訪れない。思いきり大暴れしたせいで、頭はやけに醒めきっている。冷たすぎるぐらいがちょうどいいのだろう。ふと見上げた先では月が煌々と輝いている。そうだ、村田はどこにいるのだろう。右も左も分からないカロリアの土地で、助けを求めた先の領事館(と思い込んでいる場所)でおれは魔王モードで大暴れした。そのとばっちりで捕らえられて、彼はきっと心細い思いをしているだろう。助けなきゃ、村田を助けないといけない。重たい身体を引き摺って、おれは立ち上がろうと鉄格子に手を這わせる。力を込めて鉄の棒を握ろうとして、失敗した。どうしたわけか、手に力が入らない。

「クルーソー大佐、」

甘く艶めかしい声が聞こえて薄闇の向こうに目を凝らせば、上品な色のドレスに身を包んだ女が現れた。おれ達をここに捕らえた張本人のお出ましだった。カロリア領主ノーマン・ギルビットの妻であり、何年も覆面領主としてこの地を統治していた女。まだ完全に機能してくれないぼやけた瞳で見上げれば、彼女はくすりと笑った。闇に目が慣れないのね。そう言って、フリンは手に持っていた燭台を床に置く。

「―――……フリン・ギルビット……」
「ええそうよ、クルーソー大佐。私よ、フリン」

首を傾げながらそう言う彼女は、月明かりと燭台の炎に照らし出されて昼間とは違う色香を放っていた。鉄格子に手を伸ばし、力なく垂れ下がったおれの手にフリンが触れる。バットだこだらけのおれの指に、白魚のような細い指が這わして彼女はいっそ妖艶に微笑んだ。氷のような冷たい指に、背筋を冷たいものが駆け上がる。引き攣ったおれの顔を見て、フリンは満足げに唇を吊り上げた。今の彼女が纏う色香はただならぬものではない。

「な、に……フリンさん、おれに、何の用だよ」

掠れる声でそう問うと、フリンはおれの指をぎゅっと握り締めて顔を寄せた。吐息が耳にかかるほどの近さで、呪詛を吐くように囁く。おれの黒髪黒目を示唆する言葉を。息を詰めるおれに構わず、彼女は指を絡めて笑う。そんなに双黒が重要かと問い詰めてやりたいが、残念ながら今のおれにはそんな気力はなかった。おれが無抵抗なことがよほど嬉しいのか、フリンは最後に一言だけ告げて手を離した。きっとまた、おれの様子を伺いに戻ってくるだろう。遠ざかる靴音をぼんやりとした意識で聞きながら、鼓膜に貼り付いて離れないのは彼女の最後の台詞だった。いつか聞いた彼の言葉と同じそれは、おれを苛むようにしつこくリフレインする。今は彼のことなど思い出したくないのに、相反するように記憶は蘇ってくる。台詞の一字一句、声色まで寸分違わないぐらいにはっきりと。


×


「あなたは特別なんです。あなたこそ、魔王に相応しい」

特別?彼の言った言葉の意味が分からずに、おれは馬鹿みたいに聞き返していた。それに呆れることもなく、コンラッドは静かに微笑んだ。そうです、あなたは特別だ。コンラッドは柔らかく目を細めて繰り返した。爽やかオーラ全開の笑顔は、きっとお袋が見たら卒倒することだろう。勿論うちのお袋だけじゃない、地球の街頭を歩いていれば10人のうち10人が振り返るような顔立ちをしているのだから。そんなスマイルを浮かべたまま、彼はおれの肩に豪奢なマントを載せた。柔らかな白いファーのついた深紅のマントだ。留め具にはきらきらと輝く装飾があって、埋め込まれているのはエメラルドやルビーに似た宝石だ。いったい幾らするのかなんて、一介の高校生男子には想像もつかない。その留め具を丁寧に填め、コンラッドは顔を上げた。

「よくお似合いですよ、陛下」
「……こんなの、おれには勿体ないんじゃないかなぁ」
「そんなことはない。ヴォルフラムも言っていたでしょう、これは魔王の戴冠に相応しいものです」
「魔王、ねぇ……」
「………まだ慣れない?」
「まぁね」

魔王、なんて響きにそう簡単に慣れることは難しい。眉尻をすこし下げて尋ねられると申し訳ない気持ちにはなるけれど。自分がこれからこの国の指導者に、王になるなんて未だに信じられない。でもおれ自身が決めたことでもある。そろそろ腹を括らなければならないだろう。彼はゆっくりでいいと言うけれど、今まで次代魔王を待ち望んでいた人々がすぐ近くに大勢いる。おれが意志を固めなくてどうするってんだ。へなちょこでも精一杯、やるしかない。

「やはりあなたは特別だ」
「なんだよコンラッド、おれはただの高校生だぜ?それともそんなに双黒が貴重?」
「そうではなく。……ユーリ、あなたは皆にとって……俺にとっても、とても特別な存在なんですよ」
「コンラッドにとっても……」
「だから俺はずっとあなたをお護りします。あなたを護る義務が、俺にはある」
「……ずっと?」
「そう。だから不安になることはありません」
「おれが特別だから、コンラッドは護ってくれるの?」
「違いますよ、陛下。特別なあなただからです」

繰り返される"特別"の意味は依然分からない。けれどコンラッドがあまりに幸せそうな顔で言うので、おれもつられて笑った。頭に大きな王冠を載せられて、その重みに少しだけよろめいた。そんなおれの手を取り、恭しい動作でコンラッドは微笑む。そうして彼はこう言った。

「大丈夫、俺はいつもあなたの傍にいるよ」


×


それならば何故、彼は今ここにいないのだろう。

目が覚めればおれが横たわっているのは冷たい床ではなく、簡易寝台の上だった。固い感触が身体を支えている。フリンが兵士に言いつけたのだろう、腕に掴まれた痕がある。乱暴に扱われたのに目を覚まさなかったなんて、我ながらどうかしている。寝台の横に目を遣れば、床には金属製のトレイに乗せられた美味そうな食事がある。昼から何も口にしていないせいで、腹は正直に空腹を訴えた。本能的に手を伸ばしそうになるが、おれはギュンターの言葉を忘れてはいなかった。生憎だけどフリン、あんたの思い通りにはなってやらないよ。情けなくも腹の虫は鳴き続けるが、無理矢理に食事から目を背ける。ぎしりと軋む寝台に倒れ込み、目を閉じた。静謐な闇の中ではなにも聴こえてはこない。閉じた目蓋の裏に浮かぶのは、他の誰でもない彼の姿だった。なぁコンラッド、あんたは言ったじゃないか。確かに約束してくれたじゃないか。あの言葉は嘘なんかじゃなかったはずだろう。


今すぐに、おれはあんたに逢いたいよ。


end.



title by JUKE BOX.




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