桜の木の下



一迅の風が、桜の花と彼の髪を悪戯に揺らす。


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春の暖かな陽気に包まれて、前に座る彼はハンドルを握る力をすこし強めた。僕と同じ漆黒の髪が風に靡いて揺れるのを、目を細めて眺めた。感嘆しながら桜が綺麗だと零す彼の声は、喜びを隠しきれずに上擦っていた。その様子が愛らしいと形容するにぴったりで、僕はばれないように喉を鳴らして笑った。気付かない彼はきっと、満面の笑みを浮かべているのだろう。僕は向かい風に目を瞑り、彼と同じようにそれに視線を向ける。舞い散る薄紅色の花びらはまさに日本の風物詩だろう。彼の愛するライオンズブルーの青空に映えて、いっそううつくしい。まるで去年のあの時みたいだ。

「……そうだね渋谷、すごく綺麗だ」
「ここ毎年すっげー綺麗なの!おれ気に入ってるんだよ!だから村田にも見せたくてさぁ」
「光栄だね。こんなに綺麗な桜並木は初めてだよ」
「ほんとに?」
「本当。ありがとう、渋谷」

有利の背中に額を当てて呟くと、彼の肩が僅かに跳ねたのが分かって思わず吹き出す。彼はとても分かりやすい反応をしてくれるので、僕はいつまでも退屈しない。肩越しに覗いた耳朶がほんのり赤いことに気付いて、でも零れそうになる笑みは堪えた。僕が煩悩に苦しんでいると、有利はつっかえながらそういえばさ、と切り出してきた。

「なーに?」
「去年はさ、中学の卒業式だったんだよな!」
「――――……、」

有利がなにげなく言った、その言葉にどきりとした。自分が先刻思い返していた出来事を見透かされたのかと思った。もちろん彼にはそんな能力はないし、あったとしてもそんなことをする人間じゃない。ああ、有利は人間じゃなくて魔族だけれど。そういうことじゃなくて。背後にいて表情が分からない僕のことを怪訝に思ったのか、呼びかけてくる彼に曖昧な返事をする。桜に見惚れてた、なんて常套句を口にする日が来るとは思わなかった。幸いにも僕の小さな嘘は気付かれなかったらしい。きっと目を合わせていれば、一瞬で見抜かれていただろうとも思うけれど。ごめんね有利、ちょっとびっくりしたんだよ。

有利はこちらの気持ちを知らないまま、笑ってブレーキを握る力をゆるめた。坂道を滑っていく車輪は回転を速め、僕らの頬を叩く風はすこしだけ強さを増す。僕は彼の腰に回す腕の力を僅かに強めて、肩口に頭を乗せた。せめて今だけでも、この坂道を下ってしまうまでは、きみの温もりを感じていたい。

舞い散る桜の種類も景色も違っている。だけどあの日と同じことはひとつだった。"桜の木の下で彼とふたりきり"、ただそれだけ。


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足元の砂利を踏み締めて歩く。卒業式が終わった後の校舎裏には、僕以外に誰の姿もなかった。それもそうか、とすこし自嘲気味に僕は笑う。卒業式の恋のジンクス、第二ボタンを受け取る告白スポットは昔からの慣習に従って校舎裏ではなく、体育館裏だ。俯きながら歩いていた僕は、不意に視界を横切ったなにかに目線を上げた。ふわり、風にその身を踊らせて舞っていたのは桜の花びらだった。例年通りであればこの時期に桜が咲いていることは珍しいのに、今年は随分と早咲きらしい。とは言っても、ほとんどが咲き始めか蕾のままだけれど。舞い落ちる花びらに手を伸ばせば、僕の手の平の上に着地した。緩やかな春風に揺れ動くそれが今にも飛んでいってしまいそうで、潰さないようにそうっと花びらを閉じ込める。ほら、捕まえた。そう思わず頬を緩めた瞬間、ごうっと耳元で風が唸った。前方からの突風に煽られて僕はバランスを崩す。後ろに倒れ込みそうになって、反射的に目を閉じた。けれどいつまで経っても衝撃は訪れない。気付けば背中に暖かい体温を感じる。支えられた体勢のまま、僕はゆっくりと後ろを振り返った。そして瞠目する。どうして彼が、ここに。

「…………渋谷……」
「大丈夫か?村田」
「……なんで、きみがここに」
「なんだよ、おれがここにいちゃ悪い?」
「そうじゃなくて…」

そうじゃない、そうじゃないよ渋谷有利。触られたままの背中が急に熱を持ち始める。心臓はばくばくと高鳴ってうるさいし、顔には出ていないだろうけれど発火するように全身が熱い。漆黒の髪を風に揺らし、大きな黒曜石のような瞳が僕を見つめている。双黒、僕とおなじいろ。とても高貴な尊い漆黒だ。こんなに近くで彼を見たのは初めてで、彼に触れたのも初めてだった。これが本当に、僕が長いあいだ求めていた存在なのだろうか。本当に?

「あー……村田?大丈夫なら、その、離れてもらえると嬉しいかな。この体勢はちょっと…」
「え、あっ、ごめん」
「別にいーよ。ていうかお前もなんでここにいんの?」
「僕は……なんとなく、かな」

僕の答えを聞いた有利は一瞬驚いたように目を丸くして、それからふわりと微笑んだ。桜が舞い散るよりも優しい笑顔に、鼓動が痛いほど鳴り響く。手の平の中の花びらでさえ、彼の微笑みには勝てやしないだろう。それほど柔和で淡い表情だった。

「おれもだよ」
「………そっか」
「うん。……なぁ村田、」
「ん?」
「桜、綺麗だな」
「――――うん、そうだね」

僕が頷くと、有利は太くてごつごつした桜の幹に右手を添える。青空を桜のコントラストを見上げて、ゆるやかに笑う。そして唇が言葉を紡いだ。

「また、来年も見れるといいな」


一迅の風が、桜の花と彼の髪を悪戯に揺らす。


end.




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