チョコレートを巡る、

※バレンタイン


「やぁおかえり、折原」
「……なぜお前が俺の家でさも平然と俺を迎えているんだ」
「やだなぁ折原、怒っているのか?何故怒るんだ、嬉しい癖に」
「……ふざけるなよ、九十九屋」

靴を脱ぎながら、感情が怒りを通り越して呆れに変わっていくのを感じながら奴を睨み付け、脱いだコートをクローゼットに仕舞う。

「何をカリカリしている?……あぁ、」

ソファから立ち上がった男―――九十九屋は俺の傍まで歩み寄ってくると、じっと顔を覗き込みながら何かに気付いたようににやりとした笑みを浮かべた。

「また、静雄か」
「―――そんなんじゃ「じゃあこれは、」

俺が言葉の続きを紡ぐよりも早く、九十九屋は俺の手首を掴んで笑みを消した。そして一瞬だけ俺が顔を顰めたのを見逃さずに口を開いた。

「……この傷は、誰にやられたんだ」
「…………なに、言って」
「惚けるな。避け損なって捻っただろう」
「ッ…!」
「答えろ、折原」
「―――お前には、関係無いだろう…!」

九十九屋の鋭い視線に耐えられなくなって、手を振り切った。すかさず痛みが襲ってきたが、それさえも気にならない程に、九十九屋の見透かす眼光にひどく心が揺さぶられて仕方がなかった。

「……怒っていたと思ったら次はだんまりか」
「…………」
「まぁいい、どうせ静雄なんだろう?」
「……違う」
「…本当に強情だな、お前は」
「っ、…!」

九十九屋はそう呟いて俺の逆の、捻っていない方の手首を掴んで身体を壁に縫いつけた。そのあまりの素早さに抵抗が出来ずに俺は難無く九十九屋に捕らえられてしまう。

「はなっ…!」
「嫌だ」
「……意地が、悪いぞ九十九屋」
「はは、よく言われるよ」
「……直そうという気は無いのか」
「あぁ、さらさら無いね。それに今は…そんな自分の性格なんてどうでもいいんだよ」
「な―――「平和島静雄に、お前を傷付けられたということの方がよっぽど問題だ」

細く、長い指が黒縁の眼鏡を外し、九十九屋の独特な深緑色の虹彩が露わになる。神秘的で綺麗なその色から今度は目を離せなくなり、俺は名を呼ぶ甘い低音に身体の力を抜いてしまう。

「っ、ん…!」

九十九屋の薄い唇が軽く首筋に触れ、それから捻った手首を優しく持ち上げられてそこにも口付けをされた。僅かに奔った痛みに眉根を寄せると、宥めるように前髪を掻き上げられて額にキスを落とされた。

「……折角の綺麗な身体が」
「ひ、ぅ…っ」
「台無しじゃないか」
「ぅ…、あ……つく、もやっ…!」
「―――……なんだ」
「……ごめ、ん……」

込み上げてくる衝動に自然と肩が揺れ、嗚咽が漏れてしまって顔が上げられないままで呟いた。情けなくて、悔しくて、九十九屋の顔を見ることが出来ない。ざわざわと心を掻き乱す不明瞭な感情が、憎くて堪らなかった。

「……はぁ……」

九十九屋が吐き出した溜息に、勝手にびくりと身体が跳ねてしまう。怖かったのだ。九十九屋が怒っているのだろうと容易く理解出来てしまったから。嘘吐きな俺に怒りを向けているのだと、そう解ってしまったから。

「っ…!」
「……折原、お前は本当に爪が甘いな」
「―――え?」

予想とは随分と異なる彼の言葉に驚き、顔を上げれば苦笑気味の九十九屋がそこには居た。

「なに、言って」
「何って、色々とだよ。例えば情報屋の癖に俺に対して嘘が下手すぎるだとか。意外に不器用だったりとか。あとは……そうだな……コートの内ポケットの中のそれの隠し方がド下手、だとか」
「なっ…!」
「バレないと思ったか?甘いな、折原」
「―――…ッ!」

怒ってなかったのかとか、お前はどこまで俺を見てるんだとか、何で気付かれてるんだとか、得意げな顔をするなとか、そんなに優しく笑うなとか。言いたいことはいっぱいあったのに、羞恥がそれらを上回ってしまった俺は一気に顔が熱くなるのを感じた。顔から火が出る、とはこういうことを言うのだろう。こんな状況でそんなどうでもいいことを考えている自分が居て、阿呆らしくなった。

「はは、混乱してるな」
「わっ、笑うな…!」
「いやぁだって、狼狽するお前が珍しくてだな……あぁ、折原」
「何だよ!」
「怒ってないからな、俺は」
「…!」
「ちょっとからかってみただけだよ」
「な―――」
「……悪かったよ、お前を試すようなことをして」

言葉が出ない俺を見詰め、九十九屋は目を伏せて言う。お前が急いで帰ろうと静雄から逃げていたことを知っていながら、悪戯心が首をもたげてしまったと。

「お前―――ッ、していいことと悪いことがあるだろう…!」
「……あぁ。すまなかった」
「馬鹿野郎―――…っ、う…」
「……泣くなよ」
「っ、泣いて、ない…!」
「……そうだな。―――ごめん、折原」

耳朶に落ちてくる声は甘く、低い響きでささくれ立っていた俺の心をやさしく溶かしていった。いつだって、俺を掻き乱すのも宥めるのもどうしようもないこの大人で。それは今までもこれからもやはり変わらないことなのだろうと九十九屋の指にそっと涙を拭われながら、ぼんやりとそう思った。

「……なぁ、折原」
「何、だよ」
「これ、受け取ってくれるか」
「え……、あ…」

とん、と軽い衝撃を胸に感じて、その正体を確かめようと九十九屋の手元に目線を下げれば小さな箱が。真っ黒なその箱は、純白の小さなシルクリボンで慎ましくも可愛らしく彩られていた。

「こ、れ」
「……今日は、何の日か分かってるだろう?」

九十九屋は俺の頭に手を伸ばして髪をやさしい手つきで撫でながらそう、照れくさそうに笑った。

「一応、渡しておきたかったんだよ。その、俺らしく無いだろうってことぐらいは分かっているが……」
「っ、九十九屋…!」

彼らしくなく言葉を濁しながら話す様子に我慢が出来なくなって、無防備な胸に飛び込んだ。厭味の無い軽い香水と煙草の香りを嗅いで、安心感で胸が満たされていく。

「ずるい、だろ……俺が先に……渡したかったのに」
「―――折原……お前……そんなことか」
「……そんなことで悪かったな」
「いや、乙女なお前も可愛いからいい」
「はぁ!?」
「あはは、可愛い可愛いー」
「……九十九屋……」
「んー?」
「刺していいか」
「それは嫌だから丁重にお断りするよ。でも…そうだな、そのお前のチョコレートで刺されるなら構わない、というか大歓迎だ」
「……阿呆じゃないの」
「……そうだ、俺もお前も大概に、阿呆だ」
「―――それを、言うか」
「あぁ、言うね」

真面目な九十九屋の表情に笑いを誘われて吹き出せば、今度は微妙な表情で眉を寄せる彼がまた可笑しくて笑う。

「そんなに笑うなよ」
「不機嫌なお前も可愛いからいい(笑)」
「折原……」
「ははっ、さっきのお返しさ、九十九屋。ざまぁみろ」
「お前は小学生の餓鬼か」
「五月蝿い」
「ったく……お前もくれるんだろう?それ」
「……さぁ、どうかな」
「おい、折原」
「欲しかったら俺を捕まえてみろ…っていうのはどうだ、九十九屋?」
「―――上等だ、折原」
「……そんなに俺のチョコレートが欲しいのか、お前は」
「あぁ、少なくともお前が俺のチョコレートを欲しかったくらいには、な」
「なっ――」
「どうした折原、顔が、真っ赤だぞ?」
「う、五月蝿い黙れ!」
「あっ待てよ、まだ始まっ「スタート!」

不意を突く思わぬ反撃に結構なダメージを受けてしまって、俺はそれを誤魔化す為に九十九屋の腕をすり抜けて玄関へと走る。

一瞬だけ、肌に残る体温が名残惜しかっただなんて、死んでも言うものか。


(それはただの意地の張り合い)



end.




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