堕胎する感情



そっと後をつけた先は、使われていない空き教室だった。彼の声が聴こえてきて、気配を殺しながら教室に近付く。僅かに開いた窓の隙間から中を窺えば、ブラック家の兄弟が言い争いをしていた。普段は大人しく感情を露わにすることが少ない、弟のレギュラス。彼が端正な顔を歪めて、兄を激しく糾弾するさまはひどく衝撃的だった。廊下や食堂で擦れ違おうとも互いに目線すら合わせず、視界にも入れない。それがあまりにも自然で、口に出さずともレギュラスはグリフィンドールに所属する実兄を嫌っているのだとばかり思っていた。しかし、俺は気付いていなかっただけなのだ。

「僕は、あなたのことが…、っ……」

―――そう、レギュラスは実の兄に想いを寄せていたのだ。現に、レギュラスの声は痛々しくも縋るような響きを孕んでいる。懇願するような声は、俺が知らない切ない声色をしていた。対してシリウスは無表情で、レギュラスの言葉をただ受け流し続けていた。この不気味なほどに静かな男は、本当に"あの"シリウス・ブラックなのかと疑念を抱くほどに。

「……お願い、だから……」

震える声で呟いたレギュラスの頬に雫が伝う。場違いなほどに美しいその涙は、夕闇に包まれた教室でもはっきりと視認できた。床に落ちて跳ねた雫を見つめ、しかしシリウスは未だ口を開かない。目元を赤くしたレギュラスが俯きながら静かに歩み寄るとシリウスは身を引いた。初めて奴が浮かべた表情には、ひどく複雑そうな色が浮かんでいる。今にも消え入りそうな弱々しい声が兄の名を囁く。生き別れになった恋人に追い縋るような、胸が締め付けられるような響きだった。シリウスは口を閉ざしたまま、レギュラスの手を掴む。それからゆっくりと目の前の痩躯を引き寄せて、ひどく優しい手つきでその身体を抱き締めた。

「―――…レギュラス」
「にい、さん」

節くれ立った指がレギュラスの細い顎を掴んで持ち上げる。まるで別人のように優しく顔を寄せた男は濃灰色の双眸を静かに伏せた。夕陽の中、二人の影が重なって音もなく唇が触れる。それからレギュラスの濡れた頬をそっと拭い、シリウスは耳元で何事かを囁いた。あっさりとレギュラスを解放するなり、名残惜しむこともなく奥の扉から出ていく。残されたレギュラスの双眸が翳りを帯びて揺らいだ。美しい顔を歪めて俯き、細い肩を震わせて甘く熱い吐息が零れる。

―――俺はそれに、どうしようもなく高揚を覚えていた。それに気付かないほど馬鹿ではない。しかし奥底に芽生えた歪んだ感情の正体に気付けないほどには馬鹿であった。


(その最果てなどは存在し得ない)



end.




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