きみのとぼくのとどっちにする?

※企画提出物 ※中学時代


「グッピーのフルブラック?」
「そう、すごく可愛いと思うんだよ」

臨也が課題を進めていた手を止めて振り返ると、キーボードを軽やかにタイピングしながら新羅がにこやかに微笑んだ。そのまま手招きをされ、仕方なく立ち上がって新羅の席に近づく。これだよ、と嬉しそうな声で画面を指差され、言われるがままに臨也がそこを覗き込めば熱帯魚の画像がたくさん掲載されたページの中にそいつはいた。色鮮やかな魚たちの中で一匹だけ真っ黒な身体をした小さな熱帯魚。横に小さく書かれた説明文は簡略なものだったが、上に太字で『ソリッド系グッピー フルブラック』と書いてある。扇のように大きな尾びれがまるでドレスのように印象的なそいつを画面越しにコツコツと叩きながら、新羅はうきうきとした様子で臨也を見上げた。真っ黒な瞳がきらきらと光っていて臨也は思わず一歩後ずさる。新羅が嬉しそうな時ほど自分は警戒しなければいけないことは、春からの短い付き合いだが重々に分かっていた。というよりも、分からざるをえなかったと言うべきか。つい先週、「身近な野生生物の観察に行こう!」などと言って臨也を隣県の山深くまで連れ回したことは記憶に新しかったし、あの時に危うく足を捻りそうになったことは鮮明に覚えている。運動神経も体力も臨也より無いくせに、どうして"生物部"という名目が関わるとアグレッシブになるのか臨也にはさっぱり理解出来なかった。ふと、臨也が窓から見上げた空は突き抜けるような晴天で、陽炎が立ち上るほどに太陽がじりじりとグラウンドを照らしていた。生暖かい風が流れ込む生物室は蒸し暑く、シャツの下を流れる汗は止まらない。汗のせいで肌に貼り付いてくる感覚がひどく不快で、傍らにあった下敷きで風を送っても少しもそれは緩和されなかった。夏休みだというのに、どうしてこんな暑い室内に野郎二人で籠っていなければならないのだろうか。

「ちょっと臨也、聞いてる?ねぇ、とっても可愛いだろ?」
「可愛いかどうかは知らないけど……新羅、昨日グッピー系は飼わないって言ってなかった?」
「うーん、確かにそうなんだけどさ、黒の熱帯魚で一番可愛いのがこの子なんだよねぇ」
「…………ふーん」

臨也には新羅の言うところの"可愛い"の基準がいまいち分からないが、確かに凛々しい雰囲気のあるグッピーだとは思った。新羅が開いたばかりの動画では、大きな尾びれを水に漂わせて優雅に泳ぐ姿があった。それを新羅は食い入るように見ていて、さながら獲物を狙う猫のようにも見えなくもない。今にも涎を垂らしそうな顔をしていた。

「……でもさ、なんで黒の熱帯魚に拘るんだ?食虫植物以外何も育ててないから何か他にも育てろって言われて、何か飼おうかって話にはなったけど……新羅ってそんなに熱帯魚好きなの?」
「いや、別に?普通だよ」

しらっと返されて肩透かしを食らったような気分になる。創部したばかりの頃の会話もほとんど噛み合ないまま流れることが多かった気がするが、いつまで経ってもマイペースな彼には慣れない。臨也とは真逆で人間に興味が無い、何を考えているか分からないという部分で岸谷新羅に興味を持ち、入部を承諾したわけだが本当にこれで良かったのかと思うような所が最近では多々あった。しかし、そんな一面も彼の隠された核心に繋がるのかもしれないと臨也は思うが。

「やっぱりすごく可憐だッ…!見てよ臨也、ほら!この愛らしくも優美で艶やかな動き!漆黒の肢体!なんて愛らしいんだ!!」
「……はいはい見てるってば……」

ハイテンションな新羅に呆れながら臨也はポケットから携帯電話を取り出す。ブックマークしていたサイトを開くと、フルブラックとは違う熱帯魚の画像が表示される。全身が黒一色のフルブラックに対し、尾びれだけが真っ赤なその魚は『レッドテール・ブラックシャーク』。名は体を表すとはよく言ったもので、尾びれだけが赤のこの熱帯魚は可愛らしい見た目に反して気性が荒く、同種間でも強い魚だけが餌を独占する傾向がある。

――――新羅がこの様子じゃ、こいつは駄目かもな……。

本当にほんの少しだが、姿と気性のギャップの激しさと紅色の尾びれを気に入っていたブラックシャークを見詰めながら臨也は小さく息を吐く。生物部の活動内容に特に希望などは無いし、何を飼うことになろうが構わないが、それでも心惹かれていただけに寂しさに似た何かを感じてしまう。

「臨也?」
「……え、あぁ、何?」
「なに見てんの?」
「あ、ちょっと新羅…!」

返せよ、と言う前に臨也の携帯は新羅の手中で、取り返そうにも回転椅子に座ったままの新羅が後ろを向いたせいで手が届かない。別に隠れて探していたわけではないし隠すようなことではない。それでも、感じてしまった一抹の名残惜しさを気付かれてしまったら、という焦燥感が込み上げる。そんなことはあるわけがないと分かっていても、新羅には見透かされてしまうような気がして。

「―――臨也、」
「…………何だよ。早く返せって「この子、すごくいいじゃないか!」

くるり、回転椅子ごと勢い良く振り返った新羅に危うく頭突きを食らうところだった。携帯に向かって伸ばしかけていた手をぎゅっと掴まれ、息がかかるほどの距離に近寄られて臨也の身体が硬直した。思いもよらない反応と唐突すぎるスキンシップに頭がついていかない。フルブラックを見ていた時と同じくらい――――もしくはそれ以上に目を輝かせて好奇心を剥き出しにした想定外のリアクションに、臨也はただ目を瞬かせるしかなかった。

「なんで教えてくれなかったの!?この子もすごく愛らしいじゃないか!!小さく控えめな黒の身体に映える真っ赤な尾びれ!対して気性が荒いというこのギャップ……なんて素敵なんだ……」
「…………新羅?」
「すごくいい!ものすごく可愛いよ!フルブラックこそ一番だと思っていたけど、まさかこんなに可愛い品種がいたなんて……」
「あの、ちょっと新羅、フルブラックにするんじゃ」
「あーどうしよう!!迷っちゃうね臨也!!」
「迷うのかよ……」

他人の携帯を握り締め、画面の向こうの熱帯魚にメロメロな新羅を臨也は再び呆れた目で見下ろすしかなかった。というか、そんなに心変わりが早くていいのだろうか。先刻までは賛辞の言葉を浴びせられていただけに、フルブラックが少しだけ気の毒である。パソコン画面に映る、フルブラックの画像が悲しげに見えたような気がした。


×


翌朝、分厚い辞書のような本を抱えて新羅は突進してきた。臨也の背中めがけて。

「あっごめんごめん臨也、つい勢いが止まらなくて」
「っ、……あのな新羅、おま「ねぇねぇそれよりもこれ!!見てよ!!」

痛みと怒りに震える臨也の言葉を遮って新羅が本をがばりと開き、臨也の顔に押し付けるような威勢の良さで見せつけてきた。近すぎて文字も写真も見えたものじゃない。息も荒く何事かを説明しようとする新羅を何とか宥め、臨也はとりあえず部室に向かうことにした。その間も新羅はにこにこと終始上機嫌で、不気味なほどにテンションが高かった。

「……で、何?ていうかその本は?」
「これは熱帯魚カタログだよ!父さんに熱帯魚の本持ってるか聞いたら運良く持っててさー。魚は専門外だとか言ってたから借りてきたんだ」
「熱帯魚カタログって……新羅、そこまでして熱帯魚選ぶのに真剣なのか?」
「いやね、僕も熱帯魚にはそんなに興味は持ってなかったし、まぁ黒ならどれでもいいかなーと思ってたんだけど、フルブラックとかレッドテール・ブラックシャークとか、こんなに可愛いものがいるならもうちょっと調べてみようかなぁと思ってさー。いやいや、魚の世界も奥が深いんだねぇ。帰ってからインターネットで軽く調べただけでもすごい種類だったよ!!」

ぺらぺらといつも以上に饒舌な新羅の勢いに口を挟むことも出来ず、する気にもなれなくて臨也は静かに項垂れた。変なところでスイッチが入るらしい新羅に合わせていたら身が保たないことは分かっていた。しかしそれでも引っ掛かるフレーズが一つ。

――――黒ならどれでもいい、か……。

以前から新羅との会話で腑に落ちないような発言はごくごく稀にあった。その度に臨也はポーカーフェイスを気取って聞き流すふりをしているが、新羅には自覚があるのかどうか疑わしい。そもそも腹の内を全くこちらに見せることのない奴である。多少ばかり不自然なことを言っていてもそれは元々の性格からのものなのか、人間に対する無関心について関わることなのか、それすら判断に困ることが多いのだった。それ故に臨也が未だ、岸谷新羅について知っていることはまだまだ少ない。

――――だからこそ、こいつのことを知りたいって思うんだろうけど。
――――全く、厄介な人間に興味を持ったもんだよね、俺も。

自嘲に近い、しかし後悔とは少し異なる気持ちを抱きながら臨也は苦笑を浮かべて新羅を見詰める。尚も楽しげに語りながらカタログを開く新羅と共に、この平穏な時間を楽しむ為に。


×


「それで、結局どれにするんだ?」
「決まらない……というか決められない……」
「半日かけて黒い熱帯魚だけピックアップしたのに決められないのかよ」
「うう、だってどれも可愛くて」
「あー、もう新羅……」

登校中に買ってきたコンビニのサンドイッチを食べながら臨也は呆れた口調で回転椅子に腰を下ろした。床にカタログを広げ、プリントアウトしたネットの資料も散乱させたままで新羅はひたすら唸っている。唸っているだけで書き出したリストの熱帯魚は一向に減っていない。完全に決めることを放棄していた。

「あのなぁ新羅、可愛いからって全部一緒に飼えると思うなよ。同種で色が違うならまだしも、熱帯魚は飼育水温とか身体の大きさとか餌の種類が異なるんだ。もし一緒の水槽で飼って小さい奴が食われたらどうするんだよ」
「弱肉強食だからねぇ」
「そういうことじゃないだろ」
「じゃあ別々の水槽で飼えば」
「設立四ヶ月のこんな部にそんな部費があると思ってるの?この前に食虫植物を買い込んだせいで残りは少ないんだよ」
「ぶー……臨也のケチ」
「俺のせいじゃないだろ……ったく、早く決めてくれよ」

ごねる新羅に溜息を吐き、臨也はサンドイッチを咀嚼しながら片手でマウスを操作して通販サイトの水槽やフィルターが並ぶページをスクロールする。候補の熱帯魚に最適で、かつ安いものを探すのはなかなか骨の折れる作業だった。他にも必要なものは思ったよりも多く、カルキ抜きの薬や餌、魚の種類によっては必要になる道具も数々あった。

――――これで部費オーバーしたら全額新羅に払わせてやる。

心中で真剣にそう誓いながら臨也は静かに検索を続ける。新羅が決めるまでの時間を潰すにはもってこいの仕事だったが。臨也が黙々とたまごサンドを食べ終わり、ハム&チーズに手を伸ばした時――指が触れるはずのパンに触れず、木の机を叩いた。不審に思って横を見ると、新羅がへらへらとした笑みを浮かべながらサンドイッチを咥えているではないか。思わずがたんと立ち上がり、悔しさと恥ずかしさで新羅の肩を掴んで揺さぶる。

「新羅お前それ俺のサンドイッチ!!」
「ひっへるよ」
「知ってるよじゃねーよ!なんで俺の勝手に食ってんだよ!さっきジャムパンやっただろ!」
「かひぱんはべはくひゃかったひゃら」
「君の気分なんて知らないよ!なんなんだよもう!」

もふもふと思ったよりも速いスピードでサンドイッチを食べ終わった新羅はまたしても勝手に臨也のカフェオレを飲んでにっこりと笑った。実にいい笑顔だった。

「あー美味しかった。僕ってあんまり菓子パン好きじゃないんだよねー」
「……よく覚えておくよ」
「ほんとー?ありがとう臨也!」
「…………ふざけんなよ」
「え?なんか言った?」
「別に」

サンドイッチ一個を食べられたぐらいでいつまでも怒っているわけにもいかず、臨也は心を押し殺して無理矢理笑顔を貼り付けた。そして新羅の肩から手を離して床のカタログと資料を覗き込む。見事にカラープリントした画像が真っ黒な熱帯魚ばかりである。色がついているのが緑の浮き草だけという状態だ。その資料の枚数に呆れを抑えられず、臨也は皮肉紛れに口を開いた。

「こんなにピックアップしたら決められないに決まってるだろ」
「でもさぁ、やっぱり最終的にどっちかで迷いそうな気がするんだよね」
「は?どっちって?」
「んー……一目惚れしたフルブラックと臨也の選んだブラックシャークで、」

何気なく、新羅が零す。背後にいる新羅の表情は臨也からは見えない。それはいつもと変わらない声音とトーンで呟かれた言葉だったのに、臨也の心臓はやけに大きく高鳴った。ほんの一瞬だけ、臨也は言葉を失いかけた。

「――――……別に、俺が選んだわけじゃないよ」
「でもあれすごくいいと思うんだよね。ギャップあるのって高得点だよ!」
「……何でちょっと変態っぽいんだ」
「失礼な!マニアックと言ってくれよ!」
「まぁどっちにしろ、君の変人さに磨きがかかるだけだと思うけどね」

臨也はぼそりと呟きながら床に屈み込み、ブラックシャークがプリントアウトされたコピー用紙を手に取る。新羅が自分の選んだものと臨也が選んだもので迷っている、それが何故だかひどく臨也を嬉しくさせた。胸が少しだけ苦しくなって、頬が熱くなって、気持ちが高揚する。開け放たれた窓から吹き込む湿気を孕んだ夏の風が、コピー用紙を揺らし、臨也の髪を靡かせ、新羅のシャツの襟を揺らす。みんみんとやけに忙しない蝉の鳴き声が響く生物室で、折原臨也は確かに恋という名の感情にこころを揺さぶられていた。


(そんなのきっと、決められない)



end.




ホーム / 目次 / ページトップ

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -