Take it easy

※陽介先天性女体化


まだ夏の名残が残る、日射しが厳しい九月。その日の体育は持久走の授業で、俺がグラウンドを走っていると女子がいる場所から悲鳴が聞えてきた。振り返ると人だかりが出来ていて、どうやら誰かが倒れたようだった。距離が離れていて誰かまでは特定出来なかったが、その女子の髪色がブラウンだったことで背中を流れる汗が一気に冷えたような感覚に陥った。まさか、そんなわけが。走る速度が無意識の内に落ちて、気が付くと俺は立ち止まっていた。後ろから走ってきたクラスメイトがどうしたんだよ、止まったら5周増やされるぞ、などと声を掛けてくるのも遠くから聞こえるようだった。後ろから体育教師が怒鳴っているような気がしたが、それさえも聞こえない。集まった女子の中からショートヘアーの女子が出てきて、俺の姿を見つけるなりこちらに走ってきた。里中だ。

「月森くんっ!!」
「里中、今倒れたのってまさか」
「花村だよ!貧血起こしたみたい!」

里中の口から陽介の名前が出た瞬間、俺は走り出していた。陽介は朝からあまり体調が良くなかったらしく、顔色も冴えなかった。なのに来週がロードレースの本番だから出るんだと意地になって出たのが裏目に出たらしい。里中も呆れたように今日は見学すればいいと言っていたのに、陽介は何故かムキになって出席したのだ。本当に体調が悪いなら先生も休ませてくれるだろうと天城が言っても聞かなかった。

「月森くん!」
「天城、陽介は」
「こっち。すぐに日陰に移動したんだけど熱中症なのか貧血なのか分からなくて……しかも今、女子の先生が備品整理に行っちゃって居ないの」
「保健委員は居ないのか」
「それが山下さんは休みで……」

木陰で横たえられた陽介の傍に座っていた天城は、目を伏せて心配そうに呟く。陽介は息苦しそうに呼吸を繰り返していて、里中も他の女子も不安そうな表情を浮かべていた。このままでは相乗効果で女子のモチベーションも下がってしまいそうで、俺は静かに息を吐くと陽介の身体をそっと持ち上げた。所謂、お姫様抱っこという形になってしまったせいで女子が一気に黄色い悲鳴を上げた。しかしそんなことに気を取られるよりも先に、俺は彼女の体重があまりにも軽くてひどく驚いた。羽のような、という表現は流石に些か過剰だろうが、それでも抱えた身体は軽すぎた。

「うわお、軽々だねぇ月森くん」
「お姫様抱っこ……」
「あんまり冷やかすなよ、二人とも」
「あはは、ごめんごめん」
「あ……少女漫画みたいだったから、つい」

里中と天城の反応に苦笑して、確かにお姫様抱っこはやりすぎただろうかと思った。周囲の女子の好奇の目が少しばかり痛い。

「……取り敢えず、陽介は俺が保健室に連れて行くよ」
「分かった。あ……でも、男子の先生にはどう説明するつもり…?」
「月森くん、立ち止まっただけじゃなくて女子の所まで走ってきちゃったからねぇー…」
「――――考えてなかった」
「あー……月森くんってそういうとこ抜けてるよね」
「……二人から言ってくれないか?」
「え、あたし達から?」
「頼めないか?あの先生、男子には厳しいけど女子には甘いんだ」
「……分かった、じゃあ私達がなんとかするから、月森くんは連れて行ってあげて」
「あぁ、後は頼んだ」
「りょーかい!」

笑って頷いた二人に感謝し、俺は陽介の身体を抱え直して保健室がある校舎へ向かって歩き出す。日射しは、容赦なく背中をじりじりと照らしていた。


×


「貧血ね」
「…………熱中症じゃ、ないんですね?」
「まぁこの残暑っぷりだとそう思っても仕方ないかもしれないわね。でも彼女の場合は典型的な貧血よ。きっと何か無理をしていたんじゃないかしら」
「無理、ですか……」

保健医の言葉に安心して一気に全身の力が抜けたが、陽介の無理というものに心当たりがありすぎて思わず黙り込んだ。陽介自身が一人で抱え込んでいることも多いが、俺が戦闘で気を回せずに無理を強いていることも多いのかもしれない。しかし、ベッドの上で静かに寝ている陽介は幾分か顔色も良くなってきていて安堵する。額に浮かんだ汗を濡らしたタオルで拭ってやっていると、覗き込んできた先生は僅かに好奇心を孕んだ目で俺を見てきた。なにやらにやにやとしている。

「な…なんですか……?」
「いや、月森くんって転校してきてからクールだとかそういう噂しか聞かなかったから意外だったのよ。実際、委員会でもそんな雰囲気だったし。ねぇ、彼女と付き合ってるの?」
「なっ……!」
「あらあら真っ赤じゃない。若いって羨ましいわ。まさに青春ねぇ」
「先生、からかわないでくださいよ」
「だって、今時こんな少女漫画みたいなシチュエーションに遭遇するとは思わなかったもの。授業中に倒れた彼女をお姫様抱っこで運んでくるなんて。それに貴方、落ち着いてはいたけど目が必死だったわ」
「…………」
「別にからかってるわけじゃないわ。それって素敵なことだもの」
「……素敵?」
「そう。好きな人の為に必死になれるって、すごく素敵なことよ」

微笑んだ先生はとても優しい表情を浮かべていて、俺は黙って頷いた。陽介の寝顔に今はすっかり安心しているが、あの時はひたすらに必死だった。

「……じゃあ、お邪魔虫は退散するわね。私、これから出張なの」
「えっ」
「月森くんは一応保健委員だし、鍵は貴方に預けておくわ。彼女が目を覚ましたらきちんと戸締まりをしておいてちょうだい。彼女が目を覚ますまでここに居てもいいから」
「え、でも……」
「私から柏木先生に伝えておくから大丈夫よ。それじゃあね」

先生はそう笑って、荷物を纏めたバッグを持って去って行った。相変わらずの保健医とは思えないほどのフリーダムさに苦笑を禁じ得ないが、それでも陽介の傍に居れることは純粋に嬉しかったので今は黙って感謝しておくことにしよう。また今度、雑務を押し付けられそうな気もしないでもないが。

「…………陽介」

今だけでもこの穏やかな寝顔を見守っていたいと、そう思いながら俺は汗で貼り付いた陽介の前髪をそっと掻き上げた。露になった白い肌に口づけを落とすと、僅かに眉根を寄せた彼女に笑みが思わず零れる。

グラウンドから聞こえる外の喧騒だけが、静寂な保健室に響いていた。


(きみのことが大事なんだ)



end.




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