borderline

※主人公→花村←千枝


相棒と俺を呼ぶ嬉しそうな声も、屈託のない明るい笑顔も、いつだって周囲を盛り上げて引っ張るその華やかな社交性も、全てが愛しくてたまらない。

花村陽介という俺の想い人は、現在尚も続いている連続誘拐殺人事件を追う、特別捜査隊の最初のメンバーで、相方――――陽介が言ってくれる所の相棒である。俺と同じく去年の秋にこちらに越してきた、ジュネス八十稲羽店の雇われ店長の息子。御曹司、ジュネス王子なんて大層な肩書きで呼ばれてはいるが、本人もそこに嘲りの響きが無い限りはそう嫌でもないらしい。毎日バイトに精を出し、やりがいを感じているのがその大きな理由なのだろう。以前の陽介ならば、ただただ厭うだけで感じられなかっただろうが。

俺と二人で初めてテレビの中に入った時、陽介は自分のシャドウと対峙した。影の陽介はジュネスの息子という自分を縛る逃れられない立場、地元商店街との軋轢を陽介自身が抑圧していたことを吐き出した。それは、亡くなった想い人であった小西早紀の本心の声を聞いてしまった直後の陽介には堪え難いもので。精神的に大きなショックを受けた陽介はその場に倒れてしまった。俺はその時、まだ覚醒したばかりであった力をどうにか使い、影の陽介からの襲撃を凌いだ。その後――――意識を取り戻した陽介はシャドウに対し自分ではないと糾弾することが間違いであったと気付き、彼が『もう一人の自分』であると認めたことでジライヤをペルソナとして覚醒することに成功した。それから幾度と事件の謎や戦いに行く手を阻まれ、立ち止まりそうになった時も、自分を認めることの出来た陽介はいつだって逞しく、前向きだった。それでもまだ悩むべき障害は彼にとって大きなものらしく、ふとした瞬間に翳りを帯びた表情を見せることも少なくなかった。それでも、その度に陽介は何事もなかったかのように笑うのだ。なんでもねぇよ、ごめんな、気にすんなって。


×


あたしが想いを寄せる、花村陽介という人間は馬鹿な奴である。いくら周囲がジュネス王子だの御曹司だの言おうが、あたしにとっての花村はいつだってガッカリな奴であって王子様などではない。

現在も続いている、連続誘拐殺人事件の謎を解き明かす為の、月森くんをリーダーとする特捜隊で参謀の位置についている(自称)花村はいつでも事件に対して前向きで諦めるということを知らない、真っ直ぐな奴だ。それはもう、呆れるほどに。その花村の根底にあたしが見たことのない、影の自分との対峙があったということは知っている。もう一人の花村を見たのは、相棒である月森くんだけだ。それでもその彼よりもずっと長い間、花村を見てきたあたしには、紛れもない自分自身と向き合ったあたしには、花村がどれほど大きなものを乗り越えてシャドウを受け入れてペルソナ能力を覚醒したのかは分かる。だからこそ、いつもの明るい表情の中で花村が未だに感情の蟠りを抱えていることは明白だった。そうやってなんでもなさそうに笑っていても、戦いの中で彼のヘーゼルの瞳の中には今でも"彼女"の一件が深い傷となって残っている。だからそれを見せまいと虚勢を張る花村は、実に、馬鹿な奴なのだ。そんな無理は、もうしなくていいのに。もっと弱音を吐き出しても、いいのに。


×


それはダンジョンの探索が終わってジュネスのフードコートへと戻ってきた時だった。疲れたな、と苦笑する陽介の半袖の袖部分が滲んだ血で薄らと染まっていたのだ。

「花村、それ…………」
「え?」

里中に呼ばれ、振り向いた瞬間に真っ赤な血が流れてコンクリートに雫を落とした。途端に悲鳴を上げ、陽介の怪我をしていない方の腕を掴んで叫んだ彼女はひどく驚いたようで、それと同時に少し怒っているようにも見えた。

「ばばばばばかっ、怪我してんじゃない!」
「え……?あ、ほんとだ」

陽介は里中に指差しされて袖を捲り上げ、自分が怪我をしていることにようやく気付いたらしい。傷は深く無さそうだったが、痛々しい。

「ほんとだじゃないでしょ、気付きなさいよ!てか何で気付かないのもう!」
「いやーなんでだろーなー……そういえば微妙に痛いような……ハハッ」
「笑ってる場合かっ!……あーもう、テレビの中なら魔法で治せたのに…」
「いやいや、里中は回復系使えないじゃん?」
「は?花村が自分で治すに決まってるでしょ?……もしかして、雪子に回復させようとか思ってないよね?」
「あ………あったりめーだろ!俺ディアラマ覚えたかんな!」
「千枝、私ならそのくらいの回復ならするよ…?」
「ああっ、雪子は気にしないでいいの!怪我したこいつが悪いんだから」
「里中さん……心配するのか貶すのかどっちかにしてクダサイ……」
「うっさいなー、ちょっと黙ってなさいよ。ここからなら花村の家が一番近いよね、ほら行くよ」
「えっ、でもこれぐらい自分で「駄目。あんた絶対自分でやったら適当にするでしょ。しかもこの時間なら親御さんもまだだろうし」
「うっ……」
「あ、千枝、私も手伝おうか?」
「いいよいいよ、雪子は疲れてるでしょ?あたしのリボンシトロン飲んでいいから、ゆっくり休んでて」
「……うん、分かった。また明日ね」
「また明日」
「うん、二人ともまた明日ー!ほら、花村行くよ」
「うぇ、ちょっと待てよ里中転けるって……ああああっ」

陽介を引っ張って歩き出した里中に天城が心配そうに声を掛けたが、里中は天城を気遣うように微笑んだ。天城はそれでも不安そうだったが静かに頷いて、二人の姿を見送った。

「花村くん、大丈夫かな」
「大丈夫だよ、きっと。里中が付いてるし」
「うん…そうだね、でも回復は私の仕事だから……」
「……里中の手当が心配?」
「えっ、いや、そういうわけじゃ…」
「はは、冗談だよ。……それに、心配しなくても今の陽介は怪我人なんだから里中に手を出したりしないよ」
「っ、月森くん……!」
「……違った?」
「ち…違わないけど……その……」

複雑そうな表情で黙り込んだ天城の気持ちは俺にもよく分かった。天城は二人が相思相愛だと思っているらしく、里中が自分から離れて行くことを危惧しているようだが、実際の所では里中が陽介に片想いをしていると知っている俺からしても憂慮する気持ちはあった。里中の陽介に対する想いはひどく俺のものと似ていて、しかし彼女の恋慕は俺のものよりも何倍も純粋なものだと知ってはいたが。それでもリーダーでありながらも陽介の負傷に気付けなかった
自分の落ち度が悔しくてならなかったし、俺に気付かせないほどの振る舞いをする陽介が怖かった。また、彼の中で抑圧されたものが膨らんだようで。


×


「おっじゃましまーす」
「あーはいはい、いらっしゃいませー」
「何よその態度は。手当してやんないよ?」
「すみません里中さん俺が悪うござんした」
「分かればよろしい」

慌てて謝る花村がおかしくて、苦笑しながら鷹揚に頷いてみせる。花村の家へ来るのは夏休みにみんなで押し掛けた時以来だった。花村についてリビングに入り、彼が棚から取り出した救急箱を受け取る。

「ほら、あんたは傷口洗ってきなさい。じゃないと消毒も手当も出来ないでしょ」
「へいへい」

軽い口調で返事をしながら洗面所へ去って行く花村の後ろ姿はいつもと変わらないのに、やけに胸が苦しくなった。あたしが花村の傷に気付いたのはただの偶然で、彼が戦闘後からこちらの世界に戻ってくるまでに怪我を感じさせるような行動や様子は微塵もなかった。花村は『気付かなかった』などと言っていたが、傷は深くもないが浅くもなく、気付かないようなわけがなかった。もし本当に気付かなかったというなら、それは花村の感覚が麻痺しているか、別のことに気を取られていたと言う証拠になる。怪我に気付かないような――――気付けないような、花村の懊悩が。

「ん、洗ってきたぜ」
「あぁもう、ちゃんと拭きなさいよ」
「あー悪い悪い」
「…………どんだけ適当なのよ」
「え?」
「……なんでもない」

思わず零れてしまった呟きを濁して、あたしは花村をソファーに座らせて傷口周りの水滴をティッシュで拭った。救急箱を開けて消毒薬を取り出し、ピンセットで摘んだ真っ白な消毒綿に含ませるとたちまち嫌そうな声が上がる。子供じゃないんだからこれぐらい嫌がるんじゃないっての、と一蹴すると観念したように花村は項垂れた。出来るだけ優しく、血が滲み出す傷口をそっと叩くようにすると泡が出てきて花村が顔を顰めた。汗を滲ませて痛みを堪える花村の表情が痛々しくて見ていられなかったので、手早く消毒を済ませてカットガーゼで覆い、テープで固定した。

「はい、終わったわよ」
「あー……」
「ったく……大丈夫なのあんた」
「んー……大丈夫だって。さんきゅーな、里中」

『大丈夫だって』と、花村はまるで、私ではなく自分に言い聞かせるようにまたそう言ってソファーに凭れたまま微笑んだ。

夕日が射し込み、橙色に染まったリビングでガーゼを黙って見詰める花村が何を考えているかなんて、花村の領域に踏み込むことなど出来ないあたしには分かりえないことだった。


×


翌日、登校してきた陽介の腕には丁寧にガーゼが貼られていた。自分でやったのかと聞くと、先に登校していた里中に貼り直されたらしい。お節介な奴だよなーと軽く笑う陽介は、満更でもなさそうに目を細めていて、胸の底で何かが焼き付くような感覚を覚えた。

四限が終わり、昼食に誘うと陽介は二つ返事で了承してくれたので手製弁当を持って屋上へと向かった。今日の中身は陽介の好きな豚の生姜焼きだ。蓋を開けた途端に陽介は嬉しそうに歓声を上げて今すぐにでもがっつこうと箸を持った。しかしそこで蓋を閉め、制止を掛けるとたちまち待てを出された犬のように落胆の色が浮かぶ。

「え、なに、もしかして見せただけでくれねーの……?」
「違うよ、あげるって。でもその前に一つだけ聞かせてほしいんだけど」
「……何を?」
「昨日の、こと」
「…………昨日の……?」
「里中と……帰った後のこと」

呟くように吐き出すと、陽介は箸を持ったままできょとんと固まった。それから何やら大きな勘違いをしたままでにやにやと笑いながら俺の肩を叩いた。

「何だよ月森、お前そういうことかー。しかしあいつみたいなのが好みだとはねー、結構意外かも」
「……陽介、なに言って……」
「またまた、恍けなくてもいいんだぜ?俺とお前の仲じゃんよ!心配しなくても里中とは何も無かったよ。つかあるわけねーって、里中だぜ里中!あ、こう言ったら失礼か?まぁ確かにあいつも可愛いとこあるけど……お前はそーゆーギャップみたいなのに弱いクチ?」
「いや、陽介、ちょっと待てって」

流れるようにへらへらと陽介は勘違いを上塗りするように話し続ける。鈍感なんて言葉じゃ片付かないぐらいに。

「別に今更照れなくてもいいじゃん?でもお前は里中みてーなタイプより……天城みたいなタイプが好みなのかなって思ってたぜ」
「……陽介」
「まぁでも好きになった人がタイプって言うからな、一概には言えないかー」
「……っ、陽介!」

俺の言葉を聞かずに一方的に喋り続ける陽介に、つい怒鳴ってしまった。陽介の背後のフェンスに手を掛けたせいで、ガシャリと嫌な音が鳴る。普段の俺ならば、絶対にしないことだった。はっと我に返り、追い詰めるようになってしまった陽介を見下ろすと、驚きを隠せないように目を見開いていた。その瞳の中に、僅かな怯えの色が窺えて罪悪感に駆られた。胸が締め付けられたように痛い。自分の不甲斐なさが情けなくて目を逸らして謝ると、陽介もごめんと小さく呟いた。その声が俺を気遣うように優しくて、でもその気遣いも正反対の勘違いのままのものだと分かってまた微かに苛立つ。陽介には何も非は無い、苛立っているのは俺自身がこの現状に痺れを切らしたせいだというのに。そっとフェンスから手を離して息を吐き出す。

「月森……その、俺…………」
「ようすけ」

再び謝ろうとしただろう陽介を遮って俺は微笑んだ。苛立って、急いて、陽介に答えを望もうなんてお門違いであるとは分かっていた。だけれど。それでも、一人で背負い込もうとするお前の支えになりたい。本当の意味での相棒になりたい。お前の痛みを分けてほしい。

「俺は、陽介のことが」

止められないほど狂おしく、独占してしまいたいほどに、お前のことが好きなんだ。


(踏みだしてはいけない一歩)



end.




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