And,only silence remained.



その日はいつも以上に霧深い夜だった。

彼らが菜々子ちゃんを天上楽土というダンジョンで生田目の手から救い出した夜から、八十稲羽の町はずっと曇天が続いていた。原因には僕にも分からなかったが、それが何かとても不穏なものの前兆だろうことは薄々感じていた。重く、暗く、町を覆うように垂れ込める暗雲はひどく不吉な色をしていた。だからといってその"何か"を遠ざけるようなことは僕には出来なかった。出来るわけがないのだ、到底。何故ならば、菜々子ちゃんを苦しめ、その"何か"を呼び込んだのは紛れもなく、僕自身だからだ。

いつも笑顔を絶やさず、弱音を吐かず、悲しいことがあっても気丈に振る舞うことをやめない。それが堂島菜々子という少女だった。しかし今ではすっかり頬が痩け、元からあまり肉付きの良くなかった身体は痩せ細ってしまい、掛け布団の端から覗く手首などは少しでも力を込めれば容易に折れてしまうそうだった。以前の彼女とは思えないほどに、今の彼女はやつれてしまっていた。

ピッ、ピッ、ピッ、と不規則に音を奏でるのは小さな彼女の身体へ取り付けられた無数の管が繋がるベッドサイドモニタ。画面に表示される数字はどれも、医療に詳しくない僕の目から見てもあまりにも低かった。しかも彼女はまだ七歳の女の子。医師が言っていた言葉は満更嘘ではないのだと実感して複雑な気持ちが込み上げてきた。彼女が苦しそうに眉を顰め、呼吸を繰り返すたびに人工呼吸器の内側が曇っては消えていく。ゆっくりと上下する胸は時折大きく跳ね、その度に僕は息をすることを忘れた。もし、このまま彼女が呼吸を再開しなかったら、僕は。

「…………っ…」

声にならない呻きが食い縛った歯の間から漏れた。苦しい。今更、何を後悔しようが遅いというのに、僕は今になって何を悔やんでいる?彼女を巻き込むつもりはなかった?堂島さんを傷付けるつもりはなかった?彼女のこんな姿を見たくはなかった?堂島さんを苦しめたかったわけじゃない?

僕 は こ ん な こ と を 望 ん だ ん じ ゃ な い ?

「―――……今、更……ッ」

今更、どんなに負い目を感じたところで僕の中に染み付いた罪の意識は拭えない。いくら足掻いても、もう取り返しはつかない。過ぎてしまった時間は、もう戻らない。分かっていたことだった、何もかも。もう僕は後戻りなど出来ない。堂島さんに叱責されながらも仕事をこなし、菜々子ちゃんと笑い合い、彼と他愛のない会話をしていたあの頃には、もう。楽しかった日々は許されない罪を重ねた足立透という人間にとってひどく不釣り合いで手の及ぶようなものではなかったと、どうして気付くことが出来なかった?現実から目を背け、目隠しされた闇の中で虚飾に満たされた愉悦に浸るだけの僕という人間が、手に入れられるようなものではなかったと、何故気付くことが出来なかった?

「………………アァ、そうか、……」

深く息を吐き出して僕は彼女を見下ろす。額をゆっくりと開いた手の平で覆って俯く。ひどく、痛かった。鉄鎖によって雁字搦めに縛り上げられたように、心臓がギリギリと締め付けられて痛かった。押し上げるように込み上げてきた吐き気は熱い液体となって目から零れ落ちる。熱い、熱い、熱い。指の間を擦り抜けてリノリウムの床の上に落ち、跳ねた。透明な水滴は止まることを知らず、次から次へと僕の視界を滲ませては流れていく。ぼたぼたと、滑稽な音は電子音と彼女の苦しげな呼吸だけが響く狭い病室にやけに大きく響いたが、僕はこの液体の氾濫を止める術を知らなかった。


×


僕の懺悔は意味を為さず、彼女は次の日に息を引き取った。彼と、彼の仲間達に見守られ、まるで眠るように静かに。その表情はひどく安らかだったと、泣き腫らした瞳で彼は呟いた。


(これが、僕にお似合いな最高のバッドエンドだ )



end.



title:JUKE BOX.




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