白磁のように滑らかで、きっと触れれば柔らかいであろう彼の肌が夕闇の中で不自然なまでに浮かび上がって見えた。きれい。つい、口を突いて呟いてしまって慌てて口を覆った。
「何が?」
紅玉のような濃い赫の虹彩が焦る私をつい、と見遣る。その色は私が宿す彼女が刃の先から滴らす鮮血にひどく似ていて眩暈を覚えた。くらり、くらり。
「いえ……なんでも、ありません」
目を逸らして嘘を舌に乗せて吐き出す。彼がいつも、息を吐くようにするのをすこしだけ真似てみた。こんなことをしても何も意味なんてないのだけれど。
「やだなぁ杏里ちゃん、そういう嘘は良くないよ」
フェンスに腰掛けていた身体がふわりと宙を舞い、硬いコンクリートに静かに着地する。しなやかな猫のようなその動作はとても自然で、思わず目を奪われる。そうしている内に歩み寄って来た彼が私の手を掴んで腰を引き寄せた。まるで壊れものを扱うような、それでいて自然で滑らかな動作にどきりとした。抱き寄せられた胸板は硬くて暖かくて、否応なしに彼が男であると実感させられた。こんなにも性を意識させない容姿をしているというのに。
「杏里ちゃん、」
低められた声につられるようにそうっと見上げてみる。ひどく柔らかな笑みを浮かべ、彼の白魚のような指が私の顎から頬を撫ぜた。ぞくり、背筋を這い上がってきた形容し難い甘やかな感覚に唇から熱い吐息が漏れるのを抑えられない。
「ねぇ、何が綺麗なの?」
「…………」
「教えてよ」
「言っても……気分を害したりしませんか?」
「うーん、多分ね」
からからと笑って、そんなにひどいことを言われちゃうのかな、と肩を竦めた彼に首を振る。違うの、そうじゃないわ。
「――――…臨也さんが、」
「うん、俺が?」
「綺麗、だって思ったんです」
密やかに、声を小さくして吐き出す。彼は不快になってはいないだろうか。少しだけ臆しながら、でも息を飲み込んで彼を見詰める。驚いたようにぱちぱちと瞬きを繰り返していた彼は、ふいに糸が切れたように笑い出した。
「何か、可笑しかったでしょうか」
おずおずと尋ねてみると、いや、と首を振りながら彼は笑みを深くした。にやり。
「可笑しくなんかないよ。ただ、杏里ちゃんは可愛いなぁって思っただけ」
「えっ……」
細められた瞳が捕食者のようにぎらりと煌めく。紅を引いたわけでもないのに艶やかな彼の唇は、まるで成熟した女の人のそれだった。目を奪われ、答えに窮した私の鼻をふいに掠めたのは香水と、そして僅かな煙草の匂い。決して煙草を吸うことない彼からどうしてそれが香るのか、理由は一つしかない。
「いざや、さん」
「なぁに?」
「――――……また、静雄さんと会ったんですね」
そう、零れ落ちた自分の声が震えていて途端に自己嫌悪に陥る。あぁ、言うんじゃなかった。これじゃまるで嫉妬深い雌のようだ。なんて、醜い。
「……ごめんなさい、今のは」
恥ずかしさに消え入りそうな声で、忘れてください、と言いかけた私の唇がその先を紡ぐことは許されなかった。身体を強く引き寄せられたと思えば、唇を塞がれた。艶やかな彼の唇によって。
「っ、ふ……ぅ」
触れた唇は柔らかく、熱を孕んでいて火傷してしまいそうだった。幾度も幾度も、繰り返し触れては離れていく。バードキスと呼ぶには刺激が強すぎるそれは、触れるたびにじわじわと私の脳髄を侵すように浸食する。まるで、冷たい毒薬を流し込まれているような感覚だった。
「……ヤキモチ、妬いた?」
「そ……れ、は」
「言いたくない?」
「……っ、」
「いいよ、君が言いたくないって言うなら無理強いするつもりはない。だけど杏里ちゃん、身体は口より素直だってことを知った方がいいかもしれないね」
「え…………?」
見上げた先の彼はひどく満足そうに愉悦を含んだ表情を浮かべていた。私が台詞の意味を理解するよりも早く、彼はすっと私の身体を引き離してフェンスの上に飛び乗って笑い始めた。ふらふらと危なげに揺れる身体、楽しげな笑い声。
「杏里ちゃん、嬉しいよ」
子供のようにきゃらきゃらと笑いながら彼が言う。こちらを振り返らないその背中は、笑いと連動するように小刻みに震えていた。とても、嬉しげに。
(本当に興味深いと思うよ)
end.
title by サボタージュ