そしてあやふやにする



頭上を仰げば視界いっぱいに広がるのはどこまでも突き抜けるような真っ青な空。綿菓子のような、という形容がぴったりであろう純白の雲はゆったりと空を泳ぎ、風に流されていく。その雲を撫でるように大きな翼を目一杯広げて緩やかに滑空するのは野鳥だ。都会では見たことの無い色をしたその生き物は何に縛られることも無く、自由に伸び伸びと輪を描くように旋回していく。日射しはすっかり暖かく、陽気は僅かながらも初夏の気配を孕んでいるようだ。座り込んだ屋上のコンクリートも暖かい。それでも風は涼やかで、隣に寝転ぶ相棒の髪をやわらかく撫でるように吹き抜けていく。視界の端でふわふわと揺れるのはライトブラウンの髪の毛。新学期に染めたばかりという髪は本人曰く、少し痛んでいるらしいが、髪質が非常に柔らかいせいかそうは見えなかった。その柔らかさに触れてみたくて、込み上げてくる衝動を抑えられずにそうっと手を伸ばしてみる。彼は気付かないままで目を閉じている。あと10センチ、もう少し。あ、あと5センチ。あとちょっと、

「何してんの、あいぼー」

不意に呼ばれたことに驚いてぴたりと手を止め、声の主である親友を見下ろした。

「…………起きてたんだ」
「なんか邪な気配を感じたんだよ」
「そんな馬鹿な」
「……お前、何しようとしてたんだよっ」

疑いの眼差しでじっとりと見上げられて思わず視線を宙に泳がす。あぁ、空が綺麗だな。

「んなこた訊いてねぇっつーの!質問に答えろよ」
「えー……」
「………なんで不満そうなんだよ…」

呆れたように呟き、彼はシャツについた汚れをぱたぱたとはたいて落としながら身体を起こす。あぐらをかいて、若干前のめりになって俺に質問の答えを迫る。どうやら悪戯されかけたと思っているらしい。濡れ衣だっていうのに。

「……髪の毛、さ」
「んあ?」
「陽介の髪の毛、風に揺れてふわふわしてたから触ってみたかった」
「―――……え、それだけ…?」
「うん」
「わ…脇くすぐりとか、顔にマジックで落書きとかじゃなくて?」
「うん」
「……髪の毛触ってみたかったの?」
「だって陽介がいつもスタイリングとか寝癖の話をするから気になって」
「い、いつもじゃねーだろ……」
「じゃあ、週に一回?」
「まぁな…」

それにしても、と切った陽介はヘーゼルの瞳に困惑したような色を浮かべて俺を見詰める。首を傾げると何ともいえない微妙な表情。

「……何?」
「お前って、そーゆーとこ変わってるよな」
「そう、かな」
「別に減るもんじゃねーし――――触りたいなら、触れば」
「………触っても、いいのか…?」
「な、何だよその聞き方は……ちょっ、手をわきわきさせんな!こえーよ!」
「あっ、ごめん……」
「え、あ、いや、謝んなくても」

清々しい青空の下で微妙な空気が流れる。陽介の表情をちらりと窺ってみると困ったような焦ったような複雑な表情をしていて、言わなきゃよかったかなぁと少しだけ後悔した。男の髪を触ってみたいだなんてやっぱり変だっただろうか。

「…………」
「…………」
「……っ、あーもう!だから勝手に触っていいっつーの!ほら、月森!!」
「え、あ、わっ」

言葉に詰まりながらも視線を彷徨わせたり、あーとかうーとか唸ったり、額の辺りを押さえながら考え込んだ結果、陽介は唐突に俺の手を掴んだ。そして、そのまま掴んだ俺の手を自分の髪に触れさせた。その突然の行動と、指に触れたふわりとした感触に驚いて、俺は暫くのあいだ陽介の顔を凝視してしまった。そんな俺に対して陽介は神妙な表情で俺を見詰め返してきて、再び沈黙が訪れる。あぁ、どうしてこんな時に上手い台詞が浮かんでこないのだろう。この胸中に渦巻く気持ちを、そのまま伝えることすら出来ないなんて。そんな気持ちで、こちらの反応を窺うように黙ったままの陽介を見れば、少しだけ気恥ずかしそうにはにかんだ。そうやって微笑んだ陽介はひどく優しい目をしていた。こんなにも不器用で、未だに上手くコミュニケーションを取れない俺を相棒だと呼んでくれて、頼りにしてくれる。それだけでも俺にとっての彼の存在は大きなものになっているというのに、陽介はそれ以上に大きなものをくれる。俺の心の中で欠けたパズルピースを埋めるように、俺の欲しいものを、俺が望む形でくれるんだ。いつだって、どんな時でも。

「……ほんとに、柔らかいな」
「――――気掛かりは解消されたか?」
「………あぁ」
「はは、そりゃ良かった」

だけれどその嬉しさをやっぱり上手く表現出来ない俺は、陽介に頷き返すのが精一杯で。それに満足そうに目を細めた陽介の髪をそっと梳くように撫でてみると、逃げられることはなかった。指の先から腹、間をすり抜けて手の平に髪が触れる。軽くスタイリングされた髪はワックスのべたつきも何もなくて、ただふわふわと柔らかい。指を絡めるように梳いてみると、擽ったそうに笑う陽介が可愛かった。

「くすぐってぇ」
「ごめん」
「嘘吐け、んなこと思ってもねぇくせに」
「……バレた?」
「当たり前、」

ふは、と花が咲くように笑う彼につられて俺も笑う。指を擦り抜けては重力に従って流れていく髪の毛が名残惜しくて、なんとなくその一房を掴む。どうかしたのかと見上げてくる陽介にもう一つだけお願いをしてみる。今だけ、少しの間だけ、俺のワガママを聞いてくれる?何だよ、と不思議そうに首を傾げた陽介に手招きをして耳元にそうっと耳打ちをする。まるで子供同士が悪戯の作戦をするみたいだ。そんなことを思いながら。"お願い"を彼に伝えて、窺うようにちらりと陽介の表情を見ると、俺と目が合った瞬間に意味を飲み込めたらしい。途端にぼんっと顔を紅潮させて慌てた陽介の反応が面白くて、思わず吹き出したら恨めしそうに睨まれた。それでも小さな声で渋々といった様子だったけれど、許可をもらうことが出来た。俯いてしまった彼に気付かれないように笑みを零しながら、捕らえた毛先に触れるだけの口づけを落とす。数拍経ってから彼の表情を窺ってみると、なんでそういうことは平気でやるんだよと怒られてしまった。そんな態度でも相棒は非常に可愛らしくて、そして満更でも無さそうだったので俺はその不満を漏らす魅惑の唇を食べてしまうことにした。


(そんなことはないよ)



end.



title by サボタージュ




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