酔狂な恋

※生徒会パロ


「平和島静雄が、また他校の生徒と喧嘩をしたらしいな」

それは決まって週に一度、金曜日の書類整理の時間に始まる。生徒会長様の長ったらしく、極めてどうでもいい世間話だった。

「今週は隣町の高校で最強と名高い番長を倒したらしい。珍しくエモノは使わずに、素手でな。それはそれは鮮やかな闘いっぷりで、力の差は歴然としていたそうだ。まぁ、俺はあいつの本気を見てみたいんだが……」

顎に手を添え、窓の外を見遣りながら彼は瞳をすっと眇めた。表現し難い独特な色の虹彩が影を孕み、その色を深くする。彼の様子を横目で伺った副会長の折原臨也は、表情を動かさないままで内心呆れ返っていた。また始まった、生徒会長の悪癖が。

「……九十九屋会長、仕事をしてください」
「あぁ、すまないな副会長」

何とも思っていないであろうすっ惚けた表情に臨也は苛立つ。しかし、この程度で苛立っていてはこちらの身が到底保たない。仕方なく溜息を吐き出すだけに留めると、臨也は九十九屋の立っている窓際につかつかと歩み寄った。彼が手にしていた書類を乱暴にひったくると、その乱暴さに憤慨するような声が上がる。臨也はあくまで無表情を崩さないまま、九十九屋を鋭く睨めつけた。

「仕事を、してくださいって言いましたよね」
「……折原、怖いぞ?」
「怒ってるんですから当たり前です」
「おや、怒っていたのか?ただの世間話じゃないか」
「信憑性の薄い、下卑た噂話の間違いじゃないですか?このまま会長に付き合っていたら、書類整理が終わらないと言ってるんです。あと30分しかないんですから、早くしてください」
「―――30分?」
「……今日から完全下校時刻は18時半に変更です」
「そうだったか。すっかり失念していたな」

硬い表情を緩めないまま、臨也は九十九屋に仕事を促す。暖かな夕陽が差し込む生徒会室は、すっかり濃い橙色に染められていた。秋も深まり、日暮れが早くなったこの時期は18時を過ぎれば肌寒く、橙の空も闇色が滲みはじめる。開け放たれた窓から吹き込んだ風が僅かに冷たくて、臨也は薄手のカーディガンの上から腕をさすった。この調子では18時半までに帰れるか分かったものではない。生徒会長と副会長が揃って校則違反となれば教諭たちからの厳しい叱責は免れない。それに加え、この寒さで臨也が風邪を拗らせでもすれば確実に九十九屋のせいだ。

「先輩は生徒会長でしょう。きちんと把握しておいてください。……それに、」
「……なんだい?」
「曲がりなりにも、生徒の見本であるべき人間が平和島静雄の話題を楽しげに……あいつの本気が見たいだなんて、何を仰っているんですか」
「はは、別にいいじゃないか。ただの戯言だろう?」
「……戯言……」
「そんなにお固くならなくたっていいじゃないか?副会長殿」

愉快さを隠しもしない九十九屋に、流石の臨也も苛立ちが露になる。整った顔が怒りで引き攣り、瞳の緋色が濃さを増した。そのルビーのような色合いを目にして、九十九屋は興味深そうに薄い唇をゆがめる。

「…………何、笑ってるんですか」
「気のせいだよ、折原」
「嘘を吐くな」
「おいおい、あんまりな物言いじゃないか」

奪い取った書類に目を通しながら、臨也は九十九屋の"戯言"に淀みない口調で辛辣に応酬する。なおも興味深そうにそれを眺める九十九屋の瞳の奥には、明らかな愉悦が浮かんでいた。

「あんまり?俺のどこが酷いんです?会長のだらしなさの方がもっと酷いですよ」
「そういう一方的な決めつけは良くないな」
「黙れ」
「おやおや、副会長らしからぬ暴言だな」

臨也は手にしていた書類をボックスに振り分けると、会議机の上に雑然と広げられた別の書類ファイルを手にしてぱらぱらと捲る。今までの議決案や草案が纏められたそれには、九十九屋の流麗な筆致で滑らかな文章が綴ってある。

「……こういうことは出来るのに、どうして書類整理が出来ないんですか」
「そりゃ、好きじゃないからなぁ」
「得意げに言えたことですか。……まったく、いつも片付けを俺に一任しないでください。少しは自分でやることを覚えてくださいよ」
「うーん、やだなぁ」
「―――殴っていいですか?」

さらさら反省する様子のない九十九屋に臨也はぐっと拳を握り締める。

「おっと、暴力は好きじゃないんだろう?」

しかし、臨也の動きは九十九屋の言葉でぴたりと止まった。俯いた臨也の表情は九十九屋からは窺えない。しかし、僅かに震えた細い肩が臨也の怒りを煽ったことを明白に表していた。九十九屋はそれに目敏く気付き、黙ったまま窓を閉める。ギィと重く軋む音を最後に、生徒会室は静寂に包まれる。

「折原。お前……どれだけあの男を嫌っているんだ?」
「……うるさい」
「そんなにも激しく嫌悪するほどか」
「うるさいって言ってるでしょう」

先刻までとはまったく異なる声色で、九十九屋は静かに臨也を問い質す。怒りに肩を震わせたまま、臨也は拳を硬く握り締めた。真っ白になった拳に視線を移しながら、九十九屋は重い息を吐き出す。

「なぁ折原、"好き"の反対は"嫌い"じゃないぞ」
「何を……」
「"好き"の反対は"無関心"だ。何の興味も、感慨も抱かないことが嫌悪以上の感情なんだ。お前がそれを知らないわけはないだろう。……なぁ、実のところはどちらなんだ?お前が抱いているその感情は」

言葉に詰まり、それきり臨也は口を噤んでしまった。九十九屋は臨也にゆっくりと歩み寄り、震える拳にそっと触れた。振り払われないことに安堵し、開いた手の平で臨也の手を握り締める。

「折原、俺は結論を急いでいるわけじゃない。ただ、お前がそうやってあいつに向けている感情の正体を見極められないなら……」

普段は心地好よいはずの低音が、臨也の耳殼をなぞるようにゆるやかな甘さを伴って鼓膜を震わせる。その形容し難い感覚に臨也は身じろいだ。

「理性が保たないんだ。折原」

熱い吐息を首筋に感じ、臨也は九十九屋をそっと見上げた。ほんの僅かにだが、九十九屋の表情に不愉快そうな色が浮かんでいる。

「会長?」
「お前はそうやって俺を煽るから困る。……まぁ、俺の理性なんて最初から保つはずがないし、あってもなくても大して変わらないんだが」
「何を言って」
「要するに、我慢できないってことだ」
「……は?」

言葉の真意が理解できず、臨也は怪訝そうに首を傾げる。九十九屋は曖昧な笑みを浮かべたまま更に距離を縮めた。鼻と鼻が触れ合うほどの至近距離に近づかれて臨也は思わず身を引きかけるが、九十九屋の腕がそれを許さなかった。握ったままの手を強く引き寄せ、臨也の身体を容易く捕まえる。九十九屋の唇が近づいてくることに逃げ場を失い、臨也は反射的にぎゅっと目を瞑った。だが、いつまで経っても唇には何の感触も訪れない。ひどく長く感じる数秒が経過し、臨也がそっと目を開けた瞬間だった。頭上に影が落ち、同時に降ってきた柔らかな感触。

「九十九屋、お前ッ…!」
「油断したな、折原。敬語が抜けているぞ?」
「う……うるさい!」
「そんなに怒るなよ、額で妥協したじゃないか。俺の器の広さに感謝するんだな」
「はぁ!?意味が分からない!」

臨也は喚きながら真っ赤な顔で九十九屋を睨み上げる。それにすっかり気を良くした九十九屋は、罵詈雑言を聞き流しながら満足げな笑みを浮かべた。

「…………つくづく、俺も物好きだな」


(その鈍さは罪だというのに)



end.




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