逃避したよっつの目玉



「足立さん、こんにちは」
「あぁ、堂島さんとこの……」
「瀬田です、瀬田総司」
「あーそうだった、瀬田くん!こんにちは」
「もう2回も一緒にご飯食べてるんですからいい加減に覚えてくださいよ。それじゃなくてもこうやってジュネスで会うのに」
「ははっ、ごめんごめん。僕って人の名前覚えるの苦手でさぁ」
「刑事なのにですか?」
「あー…あはは、痛いとこ突かれちゃったなぁ〜」

それはただの世間話。
学校帰りの彼と仕事上がりの僕はよくジュネスのエレベーターホールで遭遇する。……いや、遭遇するという表現は相応しくないかもしれない。何しろ、八十稲羽市にやってきてから、ここでサボるのは僕の習慣に近いものになっている。鮫川の河川敷や辰姫神社も当初のサボりスポット候補にはあったが、河川敷はすぐに巡回の同僚や上司に見つかってしまうし、辰姫神社には犬だか狐だかが棲みついているという噂を聞いて候補から外した。そうして残ったのがここ、ジュネスである。主婦や年寄りの出入りは多いが、同僚も刑事も夕方にならなければ出入りをしないここは若干の騒がしさはあるものの、広くて飽きもしない、サボるのには打ってつけの場所だった。そんな、ここ以外でサボることは滅多に無い僕のことを知っている上で頻繁に会うのは瀬田総司、彼1人だからだ。

「足立さんってほんと抜けてますよね」
「ちょっ、それどういう意味」
「そのままの意味ですよ」
「失礼だなぁもう……」
「あはは、怒りました?」
「いや、怒ってはないけどさぁ〜…キミって結構ずけずけ言うなぁと思って」

僕が苦笑すると、いつも一本調子で喋る彼が柔らかく微笑む。日本人離れした銀灰色の髪とその切り揃えられた前髪の下から覗く鋭いグレーの瞳に、端正な顔立ちをした彼は何処か浮世離れした印象が強く、高校生には見えない雰囲気を漂わせている。だからこそ、こうしてたまに見せる笑顔は貴重なものだ。

「それにしても足立さんはサボってばかりですね」
「そ…そんなことないよ!ていうか今日はもう仕事上がりだからサボりじゃないよ。それに僕だってやる時はやるんだから」
「そうなんですか?」
「当たり前じゃない!僕、こう見えても元エリートなんだからね!」
「それ、この前会った時も言ってましたよ」
「あれっ、そうだっけ」

冷たい印象を抱かせる瞳が細められて優しい色を浮かべると、途端に子供らしく、高校生らしい顔になる。その普段とのギャップが相俟ってか、幼く見える表情を見るたびに僕はひどく胸を締め付けられる。それがどうしてなのかは、分からないけれど。

「あぁそうだ足立さん、今日食べたいものってありますか?」
「え、僕が?」
「はい。今晩は久々に僕が作ろうかなと思ってるんですけど、何を作るかまだ決まってなくて」
「そうなんだ。う〜んそうだねぇ……最近食べてないからパスタとか?」
「パスタですか、意外ですね」
「そうかな?ナポリタンが1番好きだけどトマトソースとかカルボナーラとかぺペロンチーノも好きだよ。あ、でも菜々子ちゃん居るからぺペロンチーノとか辛いのは駄目か。あとは和風のやつも結構好きだね、明太子とかきのことか」
「へぇ……ありがとうございます、参考にしますね」
「あーでもいいなぁパスタ、話してたら食べたくなっちゃった。ここの惣菜にパスタなんてあったっけ」
「……あれ、足立さん聞いてないんですか?」
「は?何を?」
「今日、堂島さんが足立さんも連れてくるって言ってましたけど」
「えっ」

驚きに目を見開いた僕に彼も驚いたような顔をする。堂島さん、そんなこと一言も言ってなかったんだけど。……ていうかじゃあ、今の質問って、ひょっとして

「……だから足立さんに聞いてみたんですけど…」
「そっ、か…………」
「あ、足立さん落ち込まないでください。堂島さんもうっかり忘れてただけですって」
「や……キミが訊いてきたの軽い嫌がらせかなぁと思ったから、安心して」
「えっ、俺そんなことしませんよ!」
「あーいやいやごめん、分かってるんだけどいっつも惣菜弁当かキャベツ料理だから手作りが羨ましくてちょっと卑屈になってただけだよ。ごめんね」
「……――――」
「あはははは、本当、気にしないでいいから」

何かを考え込むように目を伏せて黙り込んでしまった彼にうっかり口を滑らせてしまったことを後悔したが時すでに遅し。いつもの癖で余計なことまで言ってしまった。私生活のことはなるべく口にしないようにしていたというのに、僕は何を言ってるんだ。手作りが羨ましい?卑屈になってた?情けない独身男の僻みをよりによって彼に言ってしまってどうする。あぁみっともない。

「――――あの、」
「な、何……?」
「足立さんって彼女、居ないんですか?」
「え、なに、いきなり」
「あっ……すみません、突然……」
「いや…構わないけど」

おずおずと尋ねられたその内容に面食らって聞き返してしまった。きっと今の僕は鳩が豆鉄砲食らったような顔をしているに違いない。しかし質問の割に彼が申し訳なさそうな顔をしていたので気分を害すことは無かった。僕の表情を窺うように見てくる彼は恐らく、自分でも不躾すぎたと反省しているのだろう。揺らぐ瞳は他人の領域に踏み込んでしまったことを悔いているようだった。

「大丈夫だよ、別に怒ってない」
「…………え」
「気にしなくてもいいよ」
「は、い……すみませんでした」
「だーから謝んないでいいってば」

ね?と笑ってみせると彼はようやく安堵したように表情を和らげた。時々、ふとしたきっかけで僕の中に踏み入ろうとしてくる彼だが、本人に悪意は無いらしく、口にしてしまってから焦燥と怯えを垣間見せる。それは彼らしくなく、僕の目にはまるで幼子のように映る。そう、親に叱られた子供のように。

「あと彼女は居ないよ。寂しい一人身だからね、ははっ」
「……そうなんです、か」
「もしかして意外だった?」
「いえ、意外ではないんですけど」
「瀬田くんひどい!」
「だって刑事って忙しいんでしょう?」
「あ……あぁ!そうだね!………そっちの意味か…」
「え?」
「い、いやいや何でもない!そうだよ忙しいから彼女なんて作る暇無くってさぁ〜」
「そうですよね……」

神妙に頷いた彼に思わず忍び笑う。話す度に本当にギャップの激しい子だと実感してならない。純粋というか天然というか、きっとこの子は人を邪推したりすることを知らないのだろう。そのせいで自分が他人に必要以上に気を遣い、無理をしていることに気付かないまま。

「あ、それじゃあ一緒に買い物しませんか?」
「一緒に?」
「はい。折角だし、今日は足立さんのリクエストで作りますよ」
「うわぁ本当に!?いいの!?」
「えぇ、勿論」

思わぬ言葉に思わず顔を上げると、嬉しそうな笑みに見下ろされて何だかむず痒い気持ちになった。稲羽市に飛ばされてからというもの、堂島さんや菜々子ちゃん、そして瀬田くんにはこんな気分にさせられてばかりで自分がいかに他人の温もりや優しさに飢えていたのかをまざまざと実感させられる。それはひどく暖かで、居心地が良くて、僕にとっては焦がれるほどに必要としていたものだった。

「嬉しいなぁ。こっちに来てからは手作りの料理なんてキミのしか食べてないんだけど、瀬田くんってばすごく上手いんだもん。びっくりしちゃったよ」
「そんな、まだまだですよ」
「またまたぁ〜、すっごく上手じゃない。高校生で、ましてや男の子でキミみたいに上手い子なんてそうそう居ないよ」
「そう、ですか……?」
「そうだよ!あ、ほら、ジュネスくんと巽完二と……熊田?くんは作れたりするの?」
「ジュ……あぁ、花村のことですか。あいつは軽いものなら作れるみたいですよ。完二はかなり上手いらしいです。何でも小学生の頃に幼馴染にコロッケを作ってあげたとか。クマは……無理でしょうね」
「えぇっ、あの巽完二が!?」
「あいつは本当に器用なんですよ。人は見た目で判断出来ないって言いますからね」
「意外すぎるよ……」
「あはは、そうですね。あ、もう17時半になっちゃいますね。早いところ買い物を済ませて帰りましょう」
「あぁ、そうだね」
「そういえばこの間……」

他愛も無い話を交わしながら食品売り場へと向かう。楽しげに話す彼の横顔がどうしてだろう、すこしだけ悲しそうに見えたのは。柔和な笑顔の奥に彼の幾重にも交差した何かを見てしまった気がして、僕は目を逸らした。僕の中に踏み込んできたその意図が彼の中の奥深くにもし存在するのならば、見たくなかった。知ってしまうことが怖かった。今の関係を失いたくなかった。だから、彼のそれが幻覚だったのか、それとも現実だったのか――――真相は今も、分からないままだ。


(暖かな日常に目を塞がれた僕達はその果てに何を得たのでしょうか)



end.




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