無題

※陽介先天性女体化


こんにちは、とにこやかに笑いかけられた。見るからに人の良さそうな柔らかい笑顔を浮かべているのは、私たちが追っている連続殺人事件の捜査に当たっている稲葉署の刑事の足立さん。バイトも終わる時間の夕方7時。仕事帰りに夕飯の買い物でジュネスに訪れたらしい彼はビニール袋を下げていた。中から覗く緑の葉はキャベツだろうか。相変わらずこの人はよく喋るなぁと思いながらも彼の話に付き合う。

週に1回程度の割合で足立さんには会うのでその度にこうして何でもないような世間話をするのだが、私はこの時間が割と好きだったりする。刑事の癖に何処か抜けていて、ぽろっと余計なことまで話しては相棒の堂島さんに怒られてばかりの彼は、その性格故にか話しやすい。時たま無神経なことを言われることもあるが、それも彼自身には全く悪気など無いのだから気にしなくなった。それに、こちらに転校してきてから地元商店街からの冷たい視線や悪口などは日常茶飯事なので今更どうこう言われても気に留めることは無い。

「それにしても大変だねぇ、キミも。店長の娘さんで、仕事は多いのに他の高校生と給料変わらないんでしょ?」
「はは、そうですね」
「不満になったりしないの?ちょっとは優遇してくれって思ったりしない?」
「そんなことないですよ。娘だからって他の人に勝ることは無いですし、優遇とかされる権利なんて私にはありませんから」
「……ふぅん、立派だね」
「そんな。当たり前のことですよ」

そう、当たり前。
店長の娘だからといって優遇される権利など私には無い。学校の生徒にバイトの口利きをしたり、ピンチの売り場へのヘルプ、残業での棚卸や業務日報なんてものも全て私がやるべき当たり前のこと。どれほどきつくても目を背けないでやり遂げる。先輩を失い、事件の真実を暴いてやると仲間達と誓い合ったあの日に、私はそう誓った。

「それに、無理なんてしてないですよ。私はちゃんとやりがいも充実感も感じてますから」

押し付けられたからやってるわけでも頼まれたからやっているわけでもない。私はただ自分で全うすると決めたからやっているのだ。弱音は決して吐かないし、泣き顔なんてものは誰にだって見せない。きっと見られてしまえば、その瞬間に『私』が崩壊してしまう。意地を張っていると言われても構わないから、だから私はやるべきことから逃げない。決して目を逸らしたりしない。

「―――キミは強いよ」
「え……」

静かに呟かれた言葉に顔を上げると何処か困ったような表情で微笑む足立さんが居た。言葉の真意が分からずに首を傾げると足立さんは傍にあったベンチに腰を下ろして私を手招いた。近くの時計を見ると時刻は既に7時を過ぎていた。シフトの時間は7時までだったので仕事は既に終わっている。私は導かれるままに彼の隣に下ろし、オレンジのエプロンを脱いで畳んだ。

「僕がキミの立場だったら絶対にそんなことは出来ないなぁって思ったんだよ。今のキミを見てると……こう、何ていうのかな、文武両道みたいな。そんな覇気が伝わってきたから」
「文武両道……」
「あぁごめん、僕の勝手なイメージだから気にしないで」
「いえ、あながち間違ってないですよ。似たようなものですから」
「……そう?」
「でも、覇気だなんて大層なものじゃないです。私はただ、やるべきことを手を抜かないでやるって決めただけですから」
「それが立派だし、キミが強い証拠だよ。普通の女の子にはとてもじゃないけど出来ないよ?」
「―――そんな、ことは」
「……やっぱり、何かがキミを大きく変えたのかな」
「え、」
「あーいや、これも僕の勘みたいなもんなんだけど……」
「刑事の勘ですか?」
「あっ、そうそう!刑事の勘!」

絶対に適当に言ったんだろうなぁと忍び笑いながらそうですね、と頷く。

「それも間違ってないですよ、足立さん。当たってますから」
「えっ、本当に?」
「はい。詳しくは……言えませんけど」
「……そっか」
「あはは、ちょっと恥ずかしいですね」
「そう?でも本当なんでしょ?」
「……そうです、ね」
「あ、ほっぺ赤い」
「えっ、嘘!」

急に気恥ずかしくなって誤魔化す為に笑ったら思いがけない指摘を受けて頬を押さえたら笑い声が聞こえてきてハッと我に返った。慌てて彼を見ればおかしそうに口を押さえて笑っていた。それ、口を塞いでる意味あるんですか。笑い声だだ漏れなんですけど。私が鼻まで塞いであげましょうか。

「あははっ、嘘だよ!あははははは」
「……足立さん……」
「や、やだなぁ、怒らないでよ〜」
「……別に、怒ってないです、けどっ!からかわないでくださいっ!」
「ごめんごめん、つい」
「……もう……」

つい、で片付けられてたまるかと思いながら膝に乗せたエプロンの紐部分を弄ぶ。こうやって足立さんにからかわれるのには未だに慣れない。というか変な感覚だ。

「でも、何だかキミを見てたら僕も頑張らなきゃって思ったよ」
「……え?」
「元気みたいなもの、キミに貰ったよ」
「そう、ですか」

柔和に微笑む彼の表情がとても優しくて、心臓が不意どくりと鼓動を早めた。

あれ、今のは、なに?

「あー、でも……」

何かに言い澱んだ足立さんを見上げると複雑そうに眉根を寄せている。どうしたんだろうか。じっと見詰めて彼の言葉の続きを待つ。あーとかうーとか言葉にならないまま呻いていた足立さんは、暫くしてから緩く頭を振った。何でもないよ、優しい声がそう否定する。

「気になるじゃないですか」
「あはは、そうだよね…でも上手く言えないっていうか……うん、ごめんね」
「いや、謝られても」
「あー……うん、とにかく気にしないでよ」
「……はい」

そう言われると余計に気になるとは言えずに私はふと時計に目を遣って驚いた。もう8時になろうとしている。そういえばひどくお腹が空いていた。

「うわっもう8時!?」
「みたい、ですね」
「全然気付かなかった。キミ、女の子なのに……こんな時間までごめんね」
「たまにこの時間までシフト入ったりしますから慣れてますよ」
「でも、僕の勝手でこんな時間まで付き合わせちゃったんだ。家まで送っていくよ」
「え、そんな」
「……迷惑かな?」
「め、迷惑なんかじゃ…!」
「じゃあ送らせてよ。ね?」

気弱な笑顔で言われるとどうにも弱い。彼の親切を無下に断るわけにもいかなくて渋々頷くと彼は私の手を取って立ち上がる。触れた手が肌寒いの外気にも関わらず暖かくてすこしだけ驚く。てっきり彼の手は冷たそうだと思っていたのに、体温は優しい暖かさだった。しかしその温もりに、脳裏を一瞬だけ言葉がよぎった。どうしようもない根も葉もない迷信が。

「どうかした?」
「いえ……なんでも、ありません」
「あ、ごめん、勝手に触っちゃって……」
「足立さん、今更ですね」
「い、今更だったかな……?」
「あはは、そうですよー」

そんなはずあるわけないじゃないか。
思い直して私は笑う。

だって、『手が暖かい人は心が冷たい』なんてそんなもの、迷信なのだから。


end.




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