I'm selfish girl.

※性転換


金属製の重い扉を押し開けた途端に髪を弄び、翻弄するように揺らした屋上の風に思わず目を細めた。仰ぐように見上げた空はどこまでも青々と広がっていて、それを縁取るように浮かんだ雲は綿菓子のようにふわふわと浮かんでいる。暖かな陽気に包まれて私は表情が緩むのを抑えられなかった。

「すっかり春だなぁ」

春は好きだ。暖かくて過ごしやすいのは勿論だけれど、こうして柔らかな風や芽吹き始めた花の蕾や芝の香りを肌で感じられることが何よりも一番好きなのだ。命の芽吹き、とでも言うのだろうか。なんとも私らしくない考えに浸ってしまって苦笑する。

その時、視界の隅でウェーブした髪が揺れて視線を奪われた。ミルクティのような柔らかい色をしたその髪は、紛れもなく

「……小西先輩」

携帯を弄っている彼はすこしだけ憂鬱そうな表情をしていて、それに胸を締め付けられた。また何かあったのだろうか。彼が抱えている蟠りを少しでも楽にしてあげたくて思い切って声を掛けると、先輩は目を見張って私を見詰め返した。

「あ……花ちゃん」
「お1人ですか?お昼食べてたってわけじゃなさそうですけど」
「あぁ、うん、ちょっと……ね」
「……何か、ありました?」
「いや……ううん、何でもないよ、大丈夫だから気にしないで」
「そうです、か」
「うん」

これ以上踏み入れるのは無理だろうと判断して、私は彼に気付かれないようにちいさく息を吐き出した。先輩が私と話す時、いつも決まって線を引いていることには気付いていた。それは私が少なからず好意を抱いていることを彼が知っているからだ。決まった距離を保ったまま、先輩は自分から私に歩み寄ることはしない。いつからか、それは私と彼の暗黙の了解になっていた。そんなことはずっと前に理解したし、納得したはずだった。なのに、欲張りで我が儘な私はこの現状に満足出来ずに燻った下心を抱えている。彼の傍に居られるだけで幸せなはずなのに。

「先輩、隣……いいですか?」
「あぁ、うん」

頷いた先輩は携帯を閉じ、少しばかり長く伸びた髪を揺らした風に目を細めた。それがさっきの自分と重なってちょっとだけ嬉しくなる。

「花ちゃんはどうしたの?」
「私は……ちょっとだけ、教室に居たくなくて」
「お友達と喧嘩でもした?」
「うーん……そういうわけじゃないんですけど」
「あぁそっか、花ちゃんには俺以外に友達居ないんだったね」
「なっ……先輩!!」
「あはは、ごめんごめん、忘れてたよ」
「私は友達が少ないだけで居ないわけじゃありませんっ!」
「……あー…うん、そっか…」
「え、なんで棒読みなんですか」
「ごめんね……花ちゃん…」
「ちょっ、なに、何なんですかその哀れみの目は!先輩やめてくださいちょっと!」

失礼な。確かに去年の10月に都会から田舎の八十稲葉に転校してきてからまだ半年も経っていないけれど、だからって友達居ないんだったね発言は酷いじゃないか。自分で言うのもなんだけど、元来の明るくて社交的な性格のお陰でこの田舎町にも馴染んできた。相変わらず商店街の人間はジュネスの店長の娘である私に対して冷ややかな態度で、その癖町を歩く度にひそひそと悪口を囁いてくるけれど、そんなことにも5ヶ月もすれば慣れてしまった。開き直ったわけじゃない、けど。

「ははっ、冗談だってば」
「どこからどこまでが冗談なんですか……」

悪びれもせずに笑う先輩に脱力しながらも、彼の表情から暗い色が抜けたことに安堵した。

「でも、俺も同じかもしれないな」
「え、」

静かに零された言葉に顔を上げると、気弱な笑顔の先輩。今の言葉の意図は一体。

「……ううん、やっぱりなんでもない」

尋ねようとした瞬間にさらりとそう言われて私は言葉を失い、戸惑ってしまった。

「ごめん、気にしないで」
「……はい」
「あぁそうだ花ちゃん、俺に伝えることがあるんじゃないの?」
「えっ」
「昨日、バイトの時に店長が『明日頼み事があるかもしれない』って言ってたから」
「あ……そうだった」
「あれ、花ちゃん忘れてたの?」
「あ…あはは……そんなわけないじゃないですかー!」
「忘れてたんだ」
「うっ…」
「店長の娘さんなのに大丈夫なのー?」
「だ、大丈夫です!……た…多分……」
「うわ、怪しいなぁ」
「う……うるさいですよっ!」

軽口と嫌味の押収。それは踏み込んでいい距離とそうでない距離が決まってしまっているからこそ出来る。彼に想いを寄せる好意を寄せる私からすれば決して喜ばしくはない暗黙の了解、だけれどそれが無ければこうして笑い合うことすら出来ないのだから複雑極まりない。

「ふふ、花ちゃんったら怒っちゃって」
「怒ってないです!」
「あははは、で、伝言は?」
「あ…っと、そうでした、今日先輩バイト休みですよね?」
「うん、休みのはずだよ」
「……お休みの所申し訳ないんですが、急に入れなくなった人がいて……」
「それで代わりに入ってくれって?」
「……そういうことです」

父から言われていた通りに伝えると、先輩は暫し考えるような様子を見せた。もし用事があるようならば強要はしないが、生憎シフトの時間は忙しい時間帯。断られてしまうと回転が悪くなって仕事に支障を来すかもしれない。私としては何も言えないままで彼の表情を窺っていると、先輩は不意に苦笑した。

「そんな難しい顔しなくても」
「え、あっ…難しい顔、してました…?」
「眉間に皺寄せて、ね」
「う、嘘…っ!」

あたふたしながら眉間の皺を伸ばしていたら先輩が更に笑うので、ようやくまたからかわれたのだと気が付いた。恥ずかしい上に、悔しい。

「……いいよ、」
「え?」
「バイト。入ってもいいよ」
「―――…本当ですか?」

問い返すと肯定の頷き。安堵して思わず笑みが零れる。と、昼休みが終わる合図のチャイムが鳴った。先輩が立ち上がったので私も立ち上がり、スカートの裾を払っていると名前を呼ばれて顔を上げる。

「花ちゃんも、今日入ってるでしょ?」
「あ、はい。入ってます」
「だったらまた、放課後にね」
「……はい」

頷くと優しい微笑み。綺麗な表情に目を奪われるのはこれで何度目になるだろうか。

幾度と見蕩れても飽きることがないのはどうしてかなんてことは、分かっている。越えられない距離に焦れているのも痛いくらいに理解している。だからこそ私からこの引かれた境界線を少しでも越えてしまいたい。彼から厭われることは私にとって最も恐れることだけれど。それでも私は先輩に近付きたい。

「あ、の、先輩…っ!」

扉に向かって一歩を踏み出した彼の背中にすがるように声を振り絞った。握った拳は固く、震えている。だけど踏み出さなきゃ何も始まらない。そう、だから私は彼に近付く為の第一歩として

「今日、一緒に帰りませんか?」

欲張りにもお誘いをするのだ。


(貴方の答えは何ですか?)



end.




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