夢喰い



嫌な夢を見た。

月森が俺から離れていってしまう、別離の夢だ。いつも変わらずやわらかく笑っていた月森が、唐突に表情を消し去って俺に背を向けて歩き出す。月森が向かう先はひたすらに真っ暗な闇だ。俺は月森をそんな場所に行かせまいと必死に手を伸ばす。しかし、どんなに追いかけても距離は一向に縮まらず、寧ろ逆に離れていってしまう。月森の背中はいつの間にか小さくなり、暗闇に呑み込まれて消えてしまい―――そこで目が覚めた。

こんな夢、馬鹿馬鹿しいとは分かっている。まだ事件が解決していない今、月森が全てを捨てて去り行くなんてことは有り得ない。仲間想いで情に厚い、お人好しな月森が。氷のように冷めた瞳で、見下すような表情をするわけがない。それに―――いつか来るべき本当の別離はあんな生易しいものではない。もっと心を抉るほどに辛く、狂おしく、哀しいものだろう。殊更、俺にとっては。


×


「――…ら………むら……花村っ!」

強い声で何度も名を呼ばれて、俺は慌てて跳ね起きた。眠気など一瞬で吹っ飛び、意識が覚醒する。窓から差し込む、仄かな陽光さえ眩しく思えて俺は目を瞬たかせた。ぼんやりと視線を彷徨わせると、こちらを覗き込んでいた月森と目が合った。

「………つき、もり…?」
「俺以外の誰かに見えるか?」
「……いや……」
「じゃあ俺だな」

月森はてっきり怒っているのかと思ったが、俺を起こした時の声がやけに厳しく聞こえただけだったらしい。砂色の瞳は優しく細められ、月森は微笑を浮かべていた。

「ごめん、俺……いつの間に寝てたんだろ」
「もう慣れた。いつものことだろ」
「―――ごめん…」
「冗談だよ」
「え?」
「冗談だって、陽介。怒ってなんかないさ」
「お前……」
「まぁ実際、据え膳には慣れてるし。それに今日は探索に行って疲れてたんだろ。仕方ないさ」
「……うん」

月森の骨ばった指先は俺の髪をやさしく撫でる。梳くように撫でられだけで不思議と気持ちが落ち着いた。あたたかな安堵を感じながら、俺はしばらく瞳を閉じる

「なぁ、陽介」
「ん?」

髪を撫でられながら、俺は瞳を開けて月森を見上げた。月森の瞳は僅かに伏せられ、翳りを帯びている。僅かに首を傾げて、俺は月森の名を呼ぶ。

「どうした?月森」
「…………」

月森は迷ったように目を泳がせ、ようやく俺を見てちいさく息を吐く。やわらかく微笑んで俺の身体を引き寄せた。逞しい腕にぎゅうと強く抱き締められ、苦しいぐらいだ。

「陽介、魘されてた」
「……え?」
「悪い夢でも、見たのか」
「わるい、ゆめ……」

らしくない月森のたどたどしい問い掛けに戸惑いながら、俺はちいさく頷く。月森の腕の力はまた少し強まっていく。

「月森、苦しいよ」
「―――ごめん」

素直に謝るくせに腕の力は一向に緩んではくれない。月森は俺の髪に顔を埋め、ゆっくりと息を吐き出す。温かな吐息が肩や首筋にかかってひどく擽ったかった。

「……陽介が……」
「ん?」
「陽介が魘されているのが、すごく苦しそうで、つらそうで、今にも泣き出してしまいそうに見えたんだ」
「……うん」
「だから、助けなくちゃ、起こしてやらなくちゃ、って。思ったのに……身体が動かなくて」
「……うん」
「それで、名前を呼ぼうとしたんだ。そしたら唇が震えて、うまく呼べなくて……何度も失敗して。俺、気が付いたら叫んでて……こわかった。陽介が、離れていく気がして、怖かったんだ……」

しっかり者の月森とは思えぬほどに声は弱々しかった。途切れ途切れに紡がれる言葉は今にも消え入りそうで。気付けば俺を抱く腕は細かく震えていて、腕の力もすっかり弱まっていた。すこし身を捩ればあっさりと身体は解放される。銀灰色の髪にそっと触れて顔を覗き込めば、そこには泣きそうに歪められた顔。まるで迷子の子どものようなその表情に、俺はひどく狼狽した。

「……なんでお前が泣きそうなんだよ」
「だって、陽介が」
「―――なぁ月森。俺が魘されてたのは、お前が離れていく夢を見たからだ」
「……え……?」
「泣きそうになってたのは俺の方もだ」

深く息を吐き出してそう言うと、月森は呆気に取られたような情けない顔になった。俺は無防備な額に軽くデコピンを打ち込んでやる。うんと軽いものだったがそれでも十分な威力だったらしく、月森は声を上げて額を押さえた。

「っ、痛ッ…!」
「大げさ。軽くしたっつーの」
「…………」

月森は恨めしげに俺を見ていたが、不意に表情を緩めて苦笑した。

「急になんだよ」
「いや……本当に俺、情けなかったなぁと思って」
「……今更だろ」
「俺、情けないか?」
「たまに……いや、しょっちゅうだな」
「陽介、嘘はよくない」
「本当だぜ」

軽口を叩きながら俺たちは互いの身体を小突き合った。いつの間にやら暗い空気は消え失せ、すっかりいつもの雰囲気だ。そのことにひどく安心し、俺は月森の胸に頭を預けた。そのままの体勢で俯いて静かに呟く。これは俺の独り言だ。戯れ言だから聞き流してくれ。そう前置きをして。

「俺な、……俺も、月森が離れていくのが怖くて夢の中ですげー必死だった」
「……うん」
「どうにかしてでも引き留めないと、って闇雲に手伸ばして。それでもお前はどんどん遠ざかって―――最後には闇に溶けて消えちまう」
「……うん」
「すげー怖かった。本当に怖くて、それでも必死で―――だからさ……月森、俺たち約束しようぜ」
「約束?」
「―――絶対に離れたりしないって、約束」


×


目を覚ませば、暖かな月森の腕の中だった。今まで見ていたものが果たしてどこまでが本当だったのか―――まったく分からなかった。夢なのか現実なのか、その境界はどこにあったのか。それでも気分は不思議とよかった。それだけがただ、唯一の証拠のように思えた。


(ふたりの悪夢を喰らって)



end.




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