好き嫌い



『好き』の反対は『無関心』なんだよ。
そう嘲笑った、彼の薄い唇が冷たい笑みを形作るのを俺は何処か靄の掛かった気持ちで見ていた。


×


「やぁ瀬田くん、今帰りかい?」
「………足立さん、」

陽介と別れて鮫川の近くを歩いていると、背後から声を掛けられた。振り返ると案の定、ぼさぼさの髪にくたびれた黒のスーツ、曲がった赤のネクタイの刑事がへらへらとした笑みを浮かべて立っていた。

「そう、ですけど」
「ありゃ、どうしたの?元気無いね?」
「……別に」
「そう?」
「………あの、用が無いならもういいですか。菜々子が待ってるんで」
「あーそうそう!僕、堂島さんから伝言を預かってきてるんだよねぇ」
「叔父さんは、何て?」
「あぁそれがねぇ、菜々子ちゃん宛の伝言なんだよ」
「はい」
「…えーっと…だから、僕もついて行って菜々子ちゃんに伝えたいんだけど、なぁ」
「俺が菜々子に伝えます」
「―――……」

困った様子の彼から目を逸らして言うと、小さく呆れたような溜息が聞こえた。ちらりと窺うとまるで別人のように苛立った表情。知らない人間のようなそれに、鳥肌が立った。

「あのさ……瀬田くん、僕のこと嫌い?」

刺々しい口調ではなかった。いつもと変わらない柔らかい口調で、世間話でもするような調子で彼は俺に問い掛けた。

「………違い、ます…」

絞り出した声は掠れていて、精一杯な声色が答えになっていただろう。

「はは、ごめんね、答えにくい質問なんかしちゃって。気にしないでいいよ」
「――――」
「あー…っと、僕もついて行っても、いいかな?」

俺が頷くと、良かったと安堵したように微笑む。彼のその表情もまた、仮面の一部なのだろうかと考えると、警戒せずにはいられない。だから俺は怖いのだろう、彼の二面性というものが。


×


「ただいま、菜々子」
「お兄ちゃん!おかえりなさいっ」
「菜々子ちゃん、こんばんは」
「あ、あだちさん」
「久しぶりだねぇ、元気にしてたかい?」
「う…うん…」

照れ屋な性格の菜々子は、彼の問い掛けに答えながらもしっかり俺の制服の裾を握り締めていた。恥ずかしいのだろう。

「菜々子、足立さんにお茶淹れてくれ」
「うんっ!」
「あぁごめんね、伝言だけなのに」
「いえ、お茶ぐらいは出させて下さい」
「ありがとう」

彼に笑顔を向けられる度に疑心になっていく自分が情けない。誰にだって裏表はあるものなのに、何故こんなにも足立さんに対して恐怖心を抱いているんだ。

「はい、あだちさん、お茶」
「ありがとう、菜々子ちゃん」

菜々子が差し出した湯飲みを受け取り、熱いお茶を慎重に啜る様子を見るに、彼は猫舌のようだった。僅かに眉を顰めながら飲む様子を思わず凝視していると、ばちりと視線が合わさって気まずい気分になる。

「はは、僕猫舌なんだよねぇ」
「……みたいですね」
「瀬田くんは?」
「俺はそんなことありません。菜々子はちょっと猫舌みたいですけど」
「そうなんだ、菜々子ちゃん」
「ねこじた、って?」
「熱い飲み物が飲めないこと、かな」
「うーん………そうかも…」
「まだ菜々子ちゃんは小さいからねぇ。仕方ないよ。僕なんかいい歳した大人なのに恥ずかしいよ」

苦笑した彼に菜々子が小首を傾げて不思議そうに尋ねる。ブラウンの瞳が丸く見開かれて耳の下で結われた髪が揺れる。

「あだちさん、はずかしいの?」
「うん」
「じゃあななこといっしょだね!」
「菜々子ちゃんは照れ屋さんだもんねぇ」
「うん…治らないの……」
「あはは、落ち込まなくても大丈夫だよ」
「………うん!」

自分と似た所を知ったことでいくらか安心したらしく、菜々子は嬉しそうに微笑んだ。この子は純粋に彼に好意を寄せているというのに、俺はどうして警戒してばかりなのか。

「あぁ、それでね菜々子ちゃん。お父さんから伝言を預かってきてるんだよ」
「でんごん?お父さんから?ななこに?」
「そうだよ。ちょっとこっちにおいで」

足立さんが手招きをすると首を傾げながらもとてとてと彼の隣に座った。

「あのね……」
「?うん」

内緒話でもするように彼は口元に手を当てると、菜々子だけに聞こえるように話始めた。秘密の話というだけで菜々子は楽しそうに頷きながら聞いている。

「わぁ!あだちさん、それほんと!?」
「勿論。お父さんが約束だぞってさ」
「うわぁ……やったー!」

心底嬉しそうな菜々子を見る限り、どうやら土日に遊びに行こうという約束のようだ。今度は仕事で流れてしまわなければいいな、とそっと思う。彼女の喜びに水を差すようなことがあれば、俺だって悲しいのだから。

「良かったねぇ菜々子ちゃん」
「うんっ!あだちさんもありがとう!」
「あはは、どういたしまして」

喜ぶ菜々子を眺める足立さんは眩しいものを見るような複雑な表情で微笑んでいて、瞳の中に浮かんでいる色が感情は別にあると告げていた。

「じゃあお茶も頂いたし、伝言も確かに伝えたから僕はおいとまするよ」
「もうかえっちゃうの?」
「うん、流石に晩ご飯までご馳走になるわけにはいかないからねぇ。まーた堂島さんに怒られちゃうよ」
「送っていきます」
「いいよいいよ、そんな」
「……いえ、俺がしたいので」
「あー……じゃあ、分かったよ」
「菜々子、ちょっと出てくる」
「うん、わかったー」

堂島家を出ると冷たい外気が頬を叩いた。彼は肩を竦めて寒いねぇ、と笑う。

「それにしても、わざわざ送ってくれなくても大丈夫なのに。僕は女の子じゃないし」
「…いえ…その、少しお話がしたくて…」
「あはは、冗談だよ。分かってるって」

暫時の沈黙。
自分から切り出そうとしても上手い話し方が出てこない。言霊級の伝達力は何処へ行ってしまったのだろうか。

「……ねぇ、瀬田くん」
「あ、はい」
「『好き』の反対って何か知ってる?」
「え………なぞなぞ、ですか?」
「いいからいいから」
「―――…『嫌い』じゃないんですか?」
「ご名答!…だけどね瀬田くん、もう一つの答えがあるのを知ってるかい?」
「もう、一つの…?」
「うん。知らないかなぁ」

乾いた風が俺と足立さんの間を吹き抜ける。突風に目を細め、開けた瞬間に視界に飛び込んできたのは表情を無くした彼だった。

「―――…っ」
「知らないの?本当に?」

念を押すように尋ねてくる声は完全に色を無くした、ただただ平坦なものだった。その声色に背筋をぞわりと悪寒が襲う。

「知りませ、ん」

乾いた口腔の感覚だけがやけに鮮明に感じられて生々しい現実味を感じさせる。彼を取り巻く雰囲気に、今にも呑まれてしまいそうだった。

「……そっかぁ、じゃあ教えてあげるね」

吊り上げた唇だけで笑みを作り上げて彼は微笑む。

「『好き』の反対は『無関心』なんだよ」

そう嘲笑った、彼の薄い唇が冷たい笑みを形作るのを俺は何処か靄の掛かった気持ちで見ていた。貼り付けられた表情は笑顔のはずなのに声色に感情が欠落しているアンバランスさが、俺に今まで抱いていたものとは比べ物にならない恐れを感じさせた。

「ぁ………」

今にも切れそうに明滅を繰り返す街灯の下でゆっくりと歩み寄ってくる彼の昏い瞳から目を離せない。どうしてこんなにも彼を恐れているのか、ぼんやりとだが理由が分かったような気がして、その原因に戦慄する。

「……ねぇ瀬田くん、もしかして君は」

そこから先は、不鮮明。


(選り好みはよくないよ)



end.




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