ふたりの世界


大粒の雨が落ちてくる空を透明な傘越しに見上げる。

「最近よく降るな…」

雨は、あまり好きじゃない。
寂しい気持ちを刺激されてる気がするから。
出そうになったため息をのみこんで、足を速めようと視線を下げる。

そして、そこに見慣れないものを見つけた。

捨てられたのか、たまたまそこに辿りついたのか。
ゴミ捨て場に丸まりながら震える生きもの。
きっといつもならふわふわでしているであろう毛は雨に濡れて元気をなくしてる。

「…かわいそう…」

無意識に出てきた言葉。
しゃがんで、そっと手を伸ばす。
濡れてるはずのそこは私の冷えてしまった手のひらをじんわりあたためてくれた。
ゆっくり撫でてあげると小さく震えて、濡れた瞳が私を映したような気がした。

「おいで、一緒に帰ろう」

ぎゅっと抱きしめて、鞄から出したハンカチで包む。
クゥンと、小さく鳴く声が聞こえた気がした。


*


一先ず乾かさなきゃ風邪をひいちゃうかもしれない。
ハンカチにくるんだままそっとソファにおろして、その上からバスタオルとブランケットでさらに包む。

「犬って…何食べるのかな?」

半乾きになってきた毛を撫でながら、その顔を覗き込む。
小さな寝息に安心して、なんだかこっちまで眠くなってしまいそう。

「名前…付けなきゃ…ね、」

暖房であたためられた空気と、この子の寝息。
私はそれにつられるようにして意識を落とした。








「おい、…おい?」

小さく揺らされる肩と、聞き慣れない人の声。
ここがどこなのかさえ理解しないまま重たい目を開けた。

「ん、…」

目を擦って見上げた、その先に、見知らぬ人がいる。
困ったような顔をして、私を見てる。
男の人だ。
ん?男の、人?

「……え、?」
「目、覚めたか」
「え、あ、はい…え?」
「昨日はありがとな、助かった」
「昨日?」

昨日、昨日、と何度も呟いて。
だけどこの人と会った記憶なんてこれっぽっちも私には無い。
まだ覚醒しきれてない頭でも、それくらいはわかる。多分。

「昨日、俺を拾ってくれたろ?雨の中」
「拾って?…雨?…」
「おう」

そう言って、また困ったような顔をした。
そして私の手を取ると、それを自分の頭へと持っていく。
なんだろ?
そう思う間もなく触れたのは、やわらかくふさふさした、毛?

「…ふさふさ」
「まだ寝ぼけてんな?」
「寝ぼけてない、だってふさふさ…」

え、ふさふさ?こんなところが?
瞬きをしてもう一度彼の頭へと視線を向けた。

「…耳?」

目の前にあるものの異常にやっと気付いた。
だってふつうはこんなものが、こんなところに、こんな状態でついてるはずなんてないんだ。

「ッいてててて!!」
「あ、ご、ごめんなさい」

思わず強く掴んでしまっていたそこから手を離す。
もう一度瞬きをして、目の前にいる男の人をじっと見つめる。

「犬?人間?」
「どっちも、だな」

呆然として聞く私に苦笑いをしたままさらりと返される。

「もう一回…触ってもいい?」
「ああ、今度は強く掴まないでくれよ?」
「…うん」

手を伸ばして触れるそこは、そっと撫でるたびにぴくぴくと小さく揺れた。
男の人に、こんなこと思うのは変かもしれないけど。
困った顔をしたまま大人しく私に撫でられる目の前のこの人を、すごくすごくかわいいなと思ってしまったんだ。


*


そんなこんなで始まった同棲生活。
もうあれから1週間がたってしまった。

彼の名前は、左之助さん、というらしい。
犬のときはあんなにふわふわでかわいいのに、どうして人間になるとこんなに変わっちゃうんだろう?
筋肉だってすごいし、背だって高いし、どこもふわふわなんかしてない。
そのくせ綺麗な顔してるなんてずるい。
……本人には言わないけど。



ソファに座ったままご飯を作る背中を眺める。
シンプルな白いシャツに細身の黒いパンツ。
それを素敵に着こなしながら視線を上げればふさふさな耳がある。
あの耳を触るのが実はお気に入りだったりするんだけど。
左之助さんはあんまりうれしそうじゃないから、触りたいのを我慢する日々だ。

「なんだ?そんなにじっと見て」
「んーお腹すいたなあって思って」
「あと少しでできるから、ちょっと待ってろ食いしん坊」

フライパン片手に苦笑い。
はーい、とひとつ返事をして、でも視線は耳に向けたまま。

(わんこな左之助さんと、人間の左之助さん、両方いればいいのに。)

これは心の中だけでこっそり思ってみた。


ふたりの世界
(出会い編:終了)



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