微睡みに誓う
14巻、追悼ネタ。


怒涛の年末を越え、微かに暖かさを感じ始めた今日この頃。補助監督で同期の伊地知に無理矢理取らされた休暇を、何をするでもなく過ごしていた日向子は、ふらりと煙草を持ってベランダへと足を向けた。

「煙草、久しぶりだ。」

吸い込んだニコチンが肺を満たす。その感覚に不快感を覚える程度に、日向子が喫煙するのは久しぶりだった。

『煙草、止めませんか。』

ヘビースモーカーとまではいかないが、それなりに愛煙家だった彼女に禁煙をさせた恋人の一言。急に喫煙室に行かなくなった日向子を心配した伊地知に、誰からとは告げず禁煙しろって言われたと伝えると、彼はどこか寂しそうにそうですかと言ったっけ。噂を聞きつけた五条さんからは、恋は人を変えるとは言うけどと小馬鹿にされたから、砂糖なしのカフェラテを飲ませてやった。そのとばっちりは彼に行ったらしく、後日機嫌の悪い彼、七海建人から珍しく八つ当たりを受けたのは懐かしい記憶だ。

深呼吸。またニコチンが肺を巡る。目を瞑ると、グルグルと巡る様が見えるような気さえした。閉ざした視界の代わりに、敏感になった他の感覚が夕暮れ時の街の様子を拾う。道路を走る車、帰宅途中だろう幼い子供の声、散歩中の犬の鳴き声、何処かの家の夕飯の匂い。

『また、そんな薄着で貴女は…。風邪引きますよ。』

昼間の春を含んだ空気が、まだ冬を携えた夜のものへと変わっていく時間。ふるりと震えた体を咎める声が脳内に蘇る。ふらりとベランダに出て景色を眺める日向子が寒さを覚える頃合いを見計らって、ブランケットと温かい飲み物を持って来てくれた七海。ブランケットにくるまって彼の肩に寄り掛かる。血生臭い日常にふとやって来る穏やかな時間が日向子は好きだった。

『大きな怪我をする前に引退して、海外に移住しましょう。物価が安い、海の見える場所。溜まっている本を読んで、夕暮れ時にはコテージで2人でこうやって海を眺める。』
『ロマンチック過ぎない?』
『そうですか?普通でしょう。』
『ふふっ。』
『何で笑うんですか…。』
『んーん、建人らしいなって。』
『そういう事にしておいてあげましょう。日向子はしっかり禁煙してくださいね。』
『海外って煙草厳しいんだっけ?』
『ええ。』
『そっかぁ。』

2人で夢見た日常が来ることはもうない。昨年の10/31の大事件が終わった後、七海が認めた後輩の少年がひたすら私に謝ってきた。そして少年に連れて行ってもらって見た、駅の構内に横たわる見慣れたスラックスの下半身と腕、呪具。大きな瞳を潤ませ、それでも自分にそれを流す権利はないのだと顔を歪める少年に対し、私の瞳は乾いたままだった。

『金、金。兎に角、金さえあれば呪いとも他者とも無縁でいられる。そう思ってました。』
『実際は?』
『この通り、遣り甲斐なんてもののために戻ってきて、日向子とこうして過ごしています。』
『真逆だ。』
『ええ。だが、悪くない。そう思ってしまうあたり、私もまだまだなのでしょう。』
『人間らしくていいんじゃない?』
『私の事なんだと思っているんですか?』
『鉄仮面の振りした情に篤い先輩。』
『一部撤回を。』
『やだよ。性格ドンピシャでしょ。』
『そちらではなく。』
『ん?あぁ、鉄仮面の振りした情に篤い恋人。』
『よろしい。』

昨日、密かに七海に思いを寄せていた女性から打たれた。薄情者。真っ赤に泣きはらした彼女が叫んだ一言に、まったくもってその通りだと思った。いつとも知れぬ終わりまで共に過ごす夢を語りあい、情を交わした恋人の死に、涙1つ見せず任務に邁進する女。騒ぎを聞いて駆け付けた伊地知に休暇を言い渡されて、初めてあの日から自分が連日任務に明け暮れていたことに気がついた。

「フーッ。」

肺に溜まったニコチンと煙を吐き出す。ゆっくりと開いた視界は、すでにだいぶ暗くて。街灯、家々の明かりが変わらない日常の流れを伝えてくる。きっともうすぐこの寒さもなくなって、陽が落ちる時間はどんどん後ろへずれていく。緑芽吹く景色を思い浮かべて、きっと私はその頃も任務に明け暮れるのだろうなと予感めいたものを感じた。吐き出した煙の中に男の姿が見えた気がして、ふと顔が緩む。

『虎杖君と組む機会があれば、その時は彼をよろしくお願いします。』

大丈夫、私も虎杖君を見守るから。不器用な私が、貴方の遺志を継いだ後輩を導けるか分からないけど。それでも、私に出来ることをするよ。こんな世界で麻痺しちゃって涙さえ流せない私に代わって悲しみ、罰を受けたいと願った優しい少年のために。それから、1つでも多くの呪いを祓うよ。祓って、祓って、そんなに働いてどうするかって?何言ってるの、私も呪術師なんだから。

「そして、いつか、」

いつか私にその時が来たら、きっと貴方は私を迎えに来るでしょ?だから2人揃って、海の見えるコテージで肩を寄せ合って、沢山話をしよう。ふふっ、ネタ作りが大変だ。短くなった煙草を灰皿に押し付けて、冷たい空気を取り込む。黒に侵食されきった空を見上げて、今日はいい夢が見れそうだと室内に戻ったのだった。


inspired by ク/リ/ー/ム


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