君は麗しのお人形
『人形の涙』の五条ルート


初めて見た時、寂しそうな無表情の君に興味を持った。
一緒に過ごすうち、ぎこちない笑顔に淡い恋をした。
そして今、感情の欠落した人形のような君に執着した。
僕、五条悟は高専時代から一つ下の後輩、中森日向子に恋している。


日向子は、一般的に言うツイてない女だ。幼少期に偶々拾った人形が呪具なんて、典型的なパターンで呪術界に身を置くことになって、当然外部パーツのそれを扱えなくて孤立して。長い黒髪に白い肌のせいで人形めいた容姿と、扱う呪具が人形だという事も相まって、一部からは『木偶人形』と呼ばれていた。ここまでなら、この世界じゃ良くあることで、僕だって興味を持つことなんてなかった。

「うわ、アイツめっちゃ器用じゃん。」
「いや、どう見ても面倒なオーラじゃないか。」
「メンヘラ好きとか、クズの鏡だな。」

2年生に上がった春の日、一つ下に入った3人の後輩を遠目に見ての感想。傑と硝子はすぐに彼女をメンヘラ認定したけど、当時の俺には『無表情のくせして、どことなく寂しさを感じさせる女』と映った。今思えば、この時既に落ちていたんだろう。

「あ、先輩方だ。」
「ほんとだ!こんにちは!」
「2人とも、転びますよ。」

暫くたって、一般家庭からやってきた3人はすぐに仲良くなった。人懐っこい灰原、クールを気取った七海、そして緩衝材の中森。

「日向子は丸くなったね。」
「え、筋肉です。」
「ブハッ、何でそっぽ向くんだよ。図星か。」
「うう、ちょっと体重が…。」
「日向子はもう少しあってもいいと思いますよ。」
「七海に賛成!俺もそう思うよ!」
「え、七海君も灰原君も酷い。硝子先輩助けてください…。」
「贅肉バンザイ。」

傑の言う通り、仲間が、友ができて、中森の雰囲気から寂しさが消えた。そしてたまに口元が綻ぶようになった。それは、まだぎこちない笑顔とは言い難い、けど少しずつ感情を獲得していく人形の様で。その様を同じ輪の中で見ることのできる嬉しさと、起因する人物が自分ではない事への苛立ちが胸に立ち込めて、漸く気が付く。

『俺、中森、いや日向子が好きだ。』

自分の思いに気づけば、後は相手を落とすのみ。そう思ったが、時すでに遅く。日向子には、灰原と七海がいた。同期と言うにはやけに近い距離間。あの2人だけに許された表情。面白くないと、当人に『お前、どっちと付き合ってんの?』なんて質問して、俺なんかより格下の後輩2人から牽制されて。絶対に落してやるからな、なんて意気込んでいた時にぶち当たった護衛任務失敗。死にゆく定めを受け止め強く生きていた天内に、いつか日向子もこんなふうに笑えるように、強くなって欲しいと思っていた。そんな彼女を守れなかったのだ。己の腕に抱く天内に重なる日向子。強くならなければ、名実ともに『最強』に。

有言実行。『最強』に成った俺は、シャレにならない数の任務を与えられるようになった。しかも単独。高専に居る日数も減って、居ても他が任務だったり。そんな激務の中飛び込んできた、後輩達の任務の後釜。まだアイツ等には重い呪霊の前に、大量の血だまり。それが日向子のものかもしれないと血の気が引いた。飛んで帰った高専の安置室で、横たわる灰原と真っ青な無表情の日向子を見て、心底ほっとした。

「五条先輩…、日向子を、よろしく、お願いします。」

卒業以来、久しぶりに会った七海が僕に頭を下げてきた。プライドの高いお前が頭を下げて頼み込むなんてウケる、そう揶揄ってやりたいが、内容がいただけない。就職する。それだけなら、はいそうですかで済んだ。だが、日向子からの特別を貰っておいて、あれだけ大事にしていた日向子を、何も言わずに置いていくのだと。そして残された彼女を頼むと。

「…お前等、付き合ってんじゃないの?」
「少なくとも、私はそのつもりです。」
「は?アイツはお前の事セフレだと思ってんの?」
「いいえ、互いに思いあってますよ。ただ、彼女は、日向子が愛しているのは過去です。」
「…何だよそれ。そんな理由で日向子を捨てんのかよ。」
「すみません。ですが、」

言えないんです、一緒に逃げましょうと―――

苦々しく拳を握りしめた七海に、正直馬鹿にしてると思った。お前が『逃げよう』と言えば、日向子はついていくだろ。それを、思いのベクトルが少し違うからと、置いていく。挙句の果てに、恋敵だった俺に預けて。お前、僕の性格悪いの知ってるよな?それで僕に託すわけ?どうなっても知んねーぞ。どんな言葉を投げようと、七海の意思が変わることはなく、桜舞うあの春の日、日向子は何も告げられず置いて行かれた。そして彼女は本当に人形のようになってしまった。


「日向子さ、笑わなくなったよね。」

あれから数年、日向子と世間話をするのは僕か硝子くらいになった。狭い交友関係が原因で、陰口や、やっかみを受けていることも知っている。それでも日向子の世界に居る少数に自分が該当して、今では彼女の僅かな機敏が分かる男が自分だけというのは気分がよかった。だから、人目があろうとなかろうと、来る日もあくる日も、僕は日向子に話しかける。

「五条先輩こそ。」
「僕は良いんだよ。僕は。てか、お前否定しないんだ。」
「否定する理由がないです。」
「自覚済みってこと。なお悪いわ。」
「お気になさらず。」
「相変わらずつれないねぇ。」
「他所をあたってください。」

無表情に僅かに滲むうっとおしさ。『人形の人形遣い』と嫌煙される日向子に、虚無以外の感情を少しでももたらすことができている。資料に目を通す彼女は、僕の口元がニンマリ笑っていることなんて気が付いてないだろうけど。僕はその事実がとても嬉しい。ふと、遠い日の記憶が舞い戻る。生意気な後輩2人に囲まれて、たどたどしく口元を緩ませる日向子の姿。イラっとして、音もたてずに立ち上がり、背後から見たらキスしているんじゃないかと思われるくらい顔を覗き込んでやった。

「笑えよ。お前は人形じゃないんだ。」

少し見開かれた瞳に映るのは誰か。そろそろ期限切れだろ。

「あの、五条さん。」
「何、伊地知?僕これから限定スイーツに忙しいんだけど。」
「ヒッ!すみません!あの、中森さんと、」
「日向子がどうしたの?」

頼みごとをしに来た伊地知の所で、思わぬ名前が出た。食い気味に問い返せば、おどおどと『今日の任務で様子がおかしかったので。』そう言われて驚く。同伴の呪術師と声をかけた路地の先、目を見開いた日向子の表情が、次の瞬間くしゃりと歪んだ。まるで今にも泣き出してしまいそうで、そこまで伊地知に聞いて、駆け出す。後ろから聞こえてくる伊地知の悲鳴なんて今はどうでも良い。

『どこのどいつだよ。』

腸が煮えくり返る。グツグツと煮えたぎる怒りは日向子の表情を変えた誰かへか、それとも彼女自身へか。取り出したスマホで電話を掛ければ、数コールの後、夜の雑踏に消えてしまいそうな弱弱しい声が返ってきた。

「そんな恰好、風邪ひくよ。」
「五条先輩。」

はたして、日向子は自宅のベランダに居た。過ごしやすい季節とは言え、夜は冷える。だと言うのに上はキャミソールのみ。手には半分以上なくなったウイスキーのグラスがあって、酒に逃げているのは明白だった。

「ブランケット取ってこようか?それとも僕に温められたい?」

いつものように揶揄うも、口元は笑っているが、アイマスクで隠れた目は真剣そのもの。そんな僕を分かってかどうか、日向子は少しの間の後、前者を所望した。

「具合悪いんでしょ?お酒飲んでいいの?」
「…今日の補助監督、伊地知君でしたね。」
「そ、心配してたよ。」
「すみません。何でも、無いんです。」

ため息ともつかない息を吐き出した日向子がグラスを煽る前に、その腕を掴む。いつも以上に分かりやすい彼女の感情にイライラが募っていく。気が付いたら、日向子からグラスを奪って、口づけていた。

「アルコール強すぎ。」
「どして…」

近距離だと言うのに嫌と言うほど見える日向子の様子。口元に手をやって、ぼうとこちらを見返している。

「どうして?気付いてんだろ?」
「っ!?」
「おっと、暴れんなよ。グラス割れる。」

一瞬、僕の腕の中から逃げようとした日向子の耳元に吹き込むように囁けば、ビクリと肩を跳ねさせたあと大人しくなった。ククッと噛み殺しきれなかった笑いが、喉を過ぎる。

「日向子はさ、酷い女だよ。」
「止めてください、五条先輩。」
「ほんと、僕の気持ちなんてとっくの昔に気づいてたんでしょ?」
「ちがっ、やめて!」
「僕なら、春に花塗れになってあげられる。なんなら一緒に伊地知を花塗れにしようか。」
「やだ、いや、聞きたくっ、」
「聞けよ。僕は日向子を置いて死なないし、黙って置いてったりしない。」
「うぁ゛、や、」
「好きだよ。」
「いや、やだ、ごめ、ごめんなさっ、」
「愛してるよ、日向子。」

随分と久しぶりに見た彼女の涙を舐めとり、未だに嫌だ、ごめんなさいと繰り返す日向子を抱えて寝室へと足を向けた。


この日、僕は念願の美しい人形を手に入れ、
日向子は永遠に笑顔を失った。
七海から『戻りたい』そう連絡が来る数週間前の夜の話である。



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