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「よ、爺ちゃん変わりない?」
「おま、こんな毎日きてんじゃねぇよ!帰れ!」
「虎杖さん検診ですよー。あ、悠仁君こんにちは。」
「こんちわ!」

いいところでと悔しそうにする爺ちゃんと看護師さんの会話を聞きながら、丁度いいと古い花の生けられた花瓶を持って病室を後にする。見慣れた水回りで萎れた花をゴミ箱に捨てて、花瓶を濯ぐ。

『おっし、こんなもんか。』

ここだと言う位置まで水を入れて水道を止める。花瓶に入れる水の適量も、もう覚えてしまっていて。もたつくことなく交換し終わった花瓶を手に、このタイミングだとまだ看護師さんが居るだろうなと、大して濡れてもいない側面を手近なタオルで拭いた。

「あ、終わりました?」
「ええ丁度。そうだ、何かあったらナースコール入れてくださいねって、お爺さんに伝えておいて欲しいな。」
「うす。」

廊下で病室から出てくる看護師さんとそんな会話をして、爺ちゃんの居る病室へと。ぽつねんとベッドに腰掛け窓の外を眺める姿を見て、いつも通りだなと安堵する。

「悠仁…最期に言っておくことがある。お前の両親のことだが」
「いいよ。興味ねーから。」

何度目か分からない両親の話を切り出される前にバッサリと切り捨ててやる。さて今日はどこまで粘るやら。

「お前の!両親の!ことだが!」
「だから興味ねーって。爺ちゃんさァ、死ぬ前にカッコつけようとすんのやめてくんない?いいよ、いつも通りで。」
「お…お前…男はカッコつけて死にてえんだよ!空気読め!クソ孫が!そんなんじゃ偲喜ちゃんに嫌われんぞ!!」
「だから偲喜と俺はそんなんじゃ」
「余計怪しいわ。ええい、花とかもいちいち買ってんじゃねぇ。貯金しろ。」
「爺ちゃんにじゃねぇよ。看護師さんに買ってんだ。」
「尚更だ馬鹿。つーか、部活はどうしたよ?こんな消毒くせえところでサボってんじゃねねー。」
「うるせぇなあ、部活は5時前に終わんの!」
「ふん、じゃあ偲喜ちゃんと遊べよ!」
「偲喜の入ってる部活は俺んとこと違って終わるのおせーんだよ。俺だって、暇じゃなきゃいちいち見舞いなんて来ねーよ。」
「けっ、ゆとりかよ。こんな年寄りばっかにかまけてると偲喜ちゃんに愛想尽かされんぞ。」
「もー、何回も言ってっけど、俺と偲喜はそんなんじゃねぇ―ッてば。」
「どうだか、あんないい子他に居ないんだぞ?いいか、漢って奴はなここぞって時にな」
「あー、偲喜ちゃんが今度の土曜日来るってさ。」
「ほれ見ろ!さっさと告れ馬鹿孫!」
「うるせぇクソジジイ!」

いつもと大して変わらないやり取りをしながら、花瓶に黄色の花束を活ける。いつか偲喜がしていたように、重なった部分をずらしていると、背後から嫌に神妙な声で名前を呼ばれた。

「…悠仁。」
「んー?」
「お前は強いから、人を救けろ。手の届く範囲でいい。救える奴は救っとけ。迷っても、感謝されなくても、兎に角助けてやれ。それから偲喜ちゃんを支えてやれ。あの子は1人で抱え込んじまう。そういう子だ。惚れてんなら一番近くに居て支えてやれ。お前は大勢に囲まれて死ね。俺みたいにはなるなよ。」
「…爺ちゃん?」

爺ちゃんからの返事はない。ごろりと横を向いたまま、まるで不貞寝でもしてるかのような姿なのに。腹に冷たい予感が落ちて、そっとベッドに近づく。爺ちゃん?揺すった体は酷く軽く揺れ動いた。

プーッ、プーッ――

『はい。どうされました?―――虎杖さん?』
「爺ちゃん死にました。」

天上を仰ぎ見ていないと、言葉にしただけで涙が零れそうだった。

「うん、必要な書類はこれで全部。」
「ウッス。お世話になりました。」
「本当に大丈夫?」
「そーっすね。こういうの初めてなんで、まだ実感わかないかな…。偲喜が心配してくれて、今から来るって言ってくれたけど…。」
「そっか。」
「でも、いつまでもメソメソしてっと、爺ちゃんにキレられるし、偲喜にこれ以上心配かけんのはカッコわりぃから。後はこんがり焼きます。」
「言い方…!」
「虎杖悠仁だな。」
「ん?」
「呪術高専の伏黒だ。悪いがあまり時間がない。お前が持っている呪物はとても危険なものだ。今すぐこっちに渡せ。」
「お友達?」
「じゅぶつ…?その前に誰やねん、喪中やぞ。」
「時間ないって言ってんだろ。これだ、持ってるだろ?」
「んー?あー、はいはい拾ったわ。俺は別にいいけどさ。先輩らが気に入てんだよね。偲喜もそうだったけど、理由くらい説明してくんないと。」
「しき?」
「俺の幼馴染。で?じゅぶつって?」

画面に映された木箱と明らかにヤバい物封印しました感を醸し出している長方形の物体。それは数日前に偲喜からも、元あった場所に戻して来いと言われた物で。彼女はあの日以降何も言ってこないから、こっちからも深くは追及しなかった。それが今、全く知らない奴が同じようなことを言ってきたのだ。俺の知らない偲喜を知っている様で少し腹が立った。

「日本国内での怪死者・行方不明者は年平均10,000人を超える。その殆どが人間から流れ出た負の感情、"呪い"による被害だ。」
「呪いぃ?」
「お前が信じるかどうかなんて、どうでも良いんだよ。続けるぞ。」

伏黒と名乗ったタメくらいの奴は、嫌嫌そうに『呪い』とやらの説明を続けていく。

「特に学校や病院のような大勢の思い出に残る場所には、呪いが吹き溜まりやすい。辛酸、後悔、恥辱、人間が記憶を反芻する度、その感情の受け皿となるからな。だから学校には大抵"魔よけ"の呪物が置いてあった。お前の拾ったものもソレだ。」
「魔よけ?ならいいじゃん。何が危険なの?」
「魔よけと言えば聞こえはいいが…。より邪悪な呪物を置くことで他の呪いを寄せ付けない。毒で毒を制す悪習だ。現に長い年月が経ち、封印が緩んで呪いが転じた。今や呪いを呼び寄せ肥えさせる餌。その中でもお前の高校に置かれていたのは、特級に分類される危険度の高い物だ。この辺りは何でか呪いの数が少ないが、集まってくるのも時間の問題。人死にが出ないうちに渡せ。」
「いや、だから俺は別にいいんだって。先輩に言えよ。」

まるでフィクションのような説明を聞かされ、よくは分からなかったが、自分だけに言われても困ると持っていた箱を投げ渡す。難なくキャッチした伏黒が中を見て次の瞬間、血相を変えて怒鳴られた。

「中身は!?」
「だぁから!先輩が持ってるって!!」
「ソイツの家は!?」
「知らねぇよ。確か泉区の方…」
「なんだ?」
「そういや今日の夜学校でアレのお札剥がすって言ってたな。」

ふと思い出した情報を口に出すと唖然とした伏黒。その表情を見て、何となくヤバそうな雰囲気を感じ取る。

「え…もしかしてヤバイ?」
「ヤバイなんてもんじゃない。ソイツ、死ぬぞ。」

冗談やドッキリじゃ済まされない雰囲気に、俺はいよいよ事の重大さを理解し始めた。

「学校どっちだ!案内しろ!」
「こっち!近道走んぞ!」

病院から飛び出し夜の住宅街を駆ける。学校までの近道を案内しながら、どれくらいの猶予があるのだろうかと疑問が生じた。

「お札ってそんな簡単に取れんの?」
「いや、呪力のない人間にはまず無理だ!」

その言葉にほっとして、次に続いた「普通はな!」に嫌な予感を覚える。

「普通はって、まさか?」
「あぁ、今回のは中の物が強すぎる!封印も年代物。紙切れ同然だ!」
『つってもなぁ。"呪い"なんていまいちピンとこねぇ。』

オカ研に在籍し、先輩たちと心霊スポットや超常現象の話をこの一か月してきた。今日のラグビー場だってそうだったが、結局幽霊の類には出会う事も掠ることもなかった。だから、虎杖は"呪い"をまだ危険であると明確に認識するには至っていなかった。ただ、突然訪ねて来た伏黒という男がここまで必死に走るくらいにはヤバい状況、その程度。

「ここ曲がったら正門っ!?」

瞬間、今までに感じた事もない重圧を肌身で実感した。

『"呪い"なんて…でもなんだ?この圧は!!』

肌を刺すようで、気圧される空気の重さ。知らず下がる足。何だこれはと息を飲んだ瞬間、隣から淡々と伏黒が話しかけてきた。

「お前はここに居ろ。部室はどこだ?」
「!!待てよ!俺も行く!ヤバいんだろ!?2月やそこらの付き合いだけど、友達なんだ!ほっとけねえって。」
「ここにいろ。」

脳裏に浮かんだ楽しかった2月の思い出は、ぴしゃりと放たれた拒否にぶった切られ。俺はただ、校内に駆けていく伏黒の後姿を見送ることしかできなかった。

・・・・・・・

きゃぁぁああああ!!!!

「!もう部室を出たのか!」

虎杖から聞いた4階への階段を上っている途中、女子の悲鳴が校内に木霊した。昼間同様デカすぎて滅茶苦茶な気配のせいで、呪霊の場所が掴み切れない事への苛立ちと、人命がかかっていることへの焦燥。渡り廊下の扉を開けると、目の前に「ちゅーるちゅーるちゅる」と話す目玉の複数ついた手か足のような下位の呪霊がいた。

「チッ。邪魔だ。」

パンッと乾いた音を立てて、手を合わせる。馴染みの型を手で形作り式神の名を呼んだ。

「玉犬」

ズズズと音を立て影から出てくる白と黒の2匹。

「喰っていいぞ。」

命令を受けた玉犬が呪霊に喰らい付く。それぞれ一撃ずつ。消えていく呪霊を尻目に、先ほど悲鳴の聞こえてきた方角へと駆けだす。別棟に入り廊下を走っていると、視認できる呪霊の数が増えだした。しかし玉犬たちの敵ではなく瞬殺。スピードを落とさず、呪霊の増えていく方へと足を動かす。突き当りを曲がった瞬間、目当ての呪霊がいた。

『見つけた!!』

肉団子のような呪霊の前面に、制服姿の男女が2人沈み込むようにくっ付いている。昼間見た生徒、つまり虎杖の言っていた先輩たちで間違いないだろう。

『呪物ごと取り込むつもりか!!』

ずぶずぶと取り込まれていく2人を見てクソッと悪態をつく。呪霊との距離、玉犬の攻撃、2人が取り込まれる前に呪霊を祓うには時間が足りないことは明白だった。

・・・・・・・

『ここにいろ。』

伏黒の言葉がリフレインする。

「何言う通りにしてんだ俺は。」

どんどん強まっていく重圧に体の震えは止まらない。

『俺は何にビビってる?』

――死――

『そうだな。学校からは死の予感がする。死ぬのは怖い。爺ちゃんも死ぬのは怖かったかな?そんな感じは全然しなかったな。俺も泣いたけど、怖かったからじゃない。少し寂しかったんだ。もしあの場に偲喜が居ても、きっと同じ理由で泣いてた。今、目の前にある"死"と爺ちゃんの"死"何が違う?』

お前は強いから人を救けろ――

『短期で頑固者。見舞いなんて俺か偲喜以外来やしねぇ。"俺みたいになるな"?確かにね。でもさ、』

震える手を握りしめる。正門の柵を飛び越え、一番圧の強い場所、窓ガラス越しに見える影を頼りに大きく跳躍する。視界に入ったゲテモノとそいつに沈み込んだ先輩の姿。躊躇なくガラス窓を蹴破って、そのままゲテモノに蹴りをかます。

『爺ちゃんは正しく死ねたと思うよ。』

離れ際に、先輩たちの制服を掴んで力任せに引っ張った。ブチブチと音を立てて引きはがした2人を抱えて着地した後、目の前を見据える。ゲテモノがこちらを見ていた。

『こっちは間違った"死"だ!』

2人を取り戻そうと動き出すゲテモノ。これが呪いかと漸く合点がいく。

「思ってたのと違うな!」

想像していた何倍もデカいソイツがこちらへ飛びかかろうとした瞬間、伏黒の裏拳が顔部分に入る。ずしゃりとダウンした呪い。伏黒の一撃の後、鋭い閃光が走った。

「何で来たと言いたいところところだが、よくやった。」
「何で偉そうなの?」

呪いを背にこちらへと腕を回しながらやってくる伏黒。その後ろでは白い犬と黒い犬が呪いをガツガツ食っている。理解が追い付かない。

「因みにあっちで呪いバクバク喰ってんのは?」
「俺の式神だ。見えてんだな。」
「?」
「呪いってのは普通見えねえんだよ。死際とかこういう特殊な場では別だがな。」
「あー、確かに。俺今まで幽霊とか見たことないしな。」
「…」

やっぱりあれが呪いで間違いないのかと、まじまじと喰われているソイツを見る。

「お前怖くないんだな。」

意外そうな声で問いかけられて、虎杖は胸中をそのまま口にする。

「いやまあ怖かったんだけどさ。知ってた?人ってマジで死ぬんだよ。」
「は?」

今度は何言ってんだこいつと言う疑問詞が飛んで来る。それでも、決して良くはない頭で言葉を紡ぐ。

「だったら、せめて自分が知ってる人位は、正しく死んでほしいって思うんだ。まぁ、自分でもよく分からん。」
「…いや。」

腕に抱えた佐々木先輩が無事なことに安堵して抱え直した時、ポロリと彼女のスカートのポケットから何かが落ちた。赤黒く細長い物を拾い上げて、何となくそれが箱の中身だと思った。

「これが?」
「ああ。特級呪物"両面宿儺"その一部だ。」
「りょうめ…?」
「言っても分かんねだろ?危ねぇからさっさと渡せ。」

これがねぇと禍々しい色合いの指を見つめる。とりあえず伏黒に渡してしまおうと、腰を上げた瞬間、突き飛ばされた。

「逃げろ。」

落ちてくる天上を伏黒の式神に引っ張られる形で回避しきった虎杖は、彼の名前を叫ぶ。土煙の晴れた廊下には、先ほどよりもデカい呪いが居て伏黒を片手に握っていた。

「鵺」

多分別の式神を呼ぼうとした伏黒が壁に叩きつけられた。ドゴッと派手な音がして叩きつけられたコンクリートの壁が壊れたことで、その威力が半端ないことが分かる。どろりと形が崩れた犬たち。ヤバいなと思った瞬間、横をもの凄いスピードで呪いが通り過ぎた。

「おい!?」

突き破られた校舎の外壁から土煙を夜風が攫って行く。ざっと周囲を見渡して、廊下に伏黒がいないことに気が付いた。先輩たちを廊下の隅に避難させ、大穴の開いた外壁から外を見る。連絡棟の屋根の上に居る1体と1人を見つけて虎杖は飛び出す。ボロボロの伏黒に辿り着く前に、呪いを殴りつけた。

『なんつー馬鹿力!!』
「大丈夫か?」
「逃げろつったろ。」
「言ってる場合か。今帰ったら夢見悪ぃだろ。それにな…」

人を救けろ――

自分を奮起させるかのように繰り返される爺ちゃんの言葉。

「こっちはこっちで、めんどくせぇ呪いがかかってんだわ。」

明らかにさっきのよりヤバイ呪いと対峙する。捕まえようとしてくる腕を避け、蹴りを繰り出す。弾いたと思った瞬間、殴られ吹き飛んだ。

『駄目だ。お前がいくら強くても…』
「ツッ!」
「呪いは呪いでしか祓えない。」
「早く言ってくんない?」
「何度も逃げろつったろ。」

流れ出る血と痛みを頭部から感じながら、そういう事じゃないんだよなぁと独り言ちる。何とかといった様子で起ち上がった伏黒が言葉を続ける。

「今あの2人抱えて逃げられんのはお前だけだ。さっさとしろ。このままだと全員死ぬぞ。呪力のねぇお前が居ても意味ねーんだよ。」
『…どっち道お前は死ぬ気じゃねーか!』

同じように頭から血を流し呪いを見据える伏黒に口に出さないながら悪態をつく。その時、ふと気が付く。

「なぁ、なんで呪いはあの指狙ってんだ?」
「喰ってより強い呪力を得るためだ。」

それを聞いて、先ほどの気づきが唯一の解決策だと思った。そして偲喜に後から怒られんだろうなと苦笑しながらもポケットを弄る。

「なんだ、あるじゃん。全員助かる方法。」
「あ?」
「俺にジュリョクがあればいいんだろ?」
「なっ!?馬鹿!!やめろ!!」

止めろと叫ぶ伏黒を無視して、俺はポケットから引っ張り出した指を飲み込んだ。

『特級呪物だぞ!?猛毒だ!!確実に死ぬ!!だが、万が一、万が一…』

一瞬の静寂から一転、虎杖へ向かった呪霊が消し飛ぶ。伏黒は目の前で止められなかった光景に絶望を感じるばかり。異様に伸びた爪、顔中に広がっていく紋様。

「ケヒッ、ヒヒッ」

先程までの虎杖からはかけ離れた、邪悪そのものが大笑いする。

「あぁやはり!!光は生で感じるに限るな!!」
『最悪だ!最悪の万が一が出た!特級呪物が受肉しやがった!!』

パーカーを引きちぎり、高笑いする男は虎杖悠二の姿をした両面宿儺だった。

「呪霊の肉などつまらん!人は!女はどこだ!!」

カツカツと屋上の縁へと歩いていく両面宿儺が、ふと立ち止まる。ニヤリと弧を描いた口元に嫌な予感しかしない。

「!いい時代になったものだな。女も子どもも蛆のように湧いている。素晴らしい、鏖殺だ!」

ガッ――
バッ――

両面宿儺の右手が己が首を掴むのと、月明かりを背に彼の目の前に、片手を振り上げた女生徒が飛び出してきたのは同時だった。
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