好きを代償にするのなら
世界が好き。
貴方が好きと言った、この世界が好き。
「愛してるよ」
だけど、貴方は居なくなった。
どこを捜しても、どんなに捜しても、貴方は見つからなかった。
ずっと祈っても、何度祈っても、それでも――
貴方は帰って来なかった。
「梓紗。本当に、いいんですか?」
「…うん…ごめんね、骸」
本当に申し訳なさそうに頬に触れる手が苦しくて、でも離れて欲しくなくて、ただその手を両手で握り締める事しか出来ない。
「ねぇ骸。骸は、この世界が好き?」
「僕ですか?そうですね…好きか嫌いかで言われたら、嫌いです」
「そう…」
そう言えば、彼女は悲しそうに笑い、縋るようにして骸の胸元の服を掴んだ。そしてそのまま、彼の胸板にそっと頭を擦り寄せた。
「骸、私はこの世界が好き。大好き、愛してるって言ってもいい」
「それは、君の本心ですか?」
「可笑しなことを言うのね、骸。本心よ、私はこの世界が好き。でも…始めは嫌いだった、大嫌いだった」
「…変わったんですね、彼の存在で」
「うん…」
そう、彼のおかげで私は変われた。彼との出会いが、彼の優しさが、彼の全てが、私を変えてくれた。汚くて醜いモノを、全部取り去って、優しく――本当に優しく、そっと抱きしめてくれたあの腕が。大好きだった、愛してた、ずっと――ずっと――ずっと。
「好きになれたのにっ…!でも、でも!!」
彼は――消えてしまった。居なくなってしまった。
「嫌いよ、彼を奪った世界なんてっ…嫌いよ!!」
だって奪ったんだもの。彼を――優しい彼を。
「ねぇ骸…やっぱり、“モルモット”は幸せになっちゃいけないのかな?」
「!」
ぽつりと漏らした言葉に、始めは双眸を驚きに見開かせ、しかし、直ぐに悲しむ様な辛い表情へと変わる。骸は、静かに梓紗の背に腕を回し、壊れないギリギリの力で強く抱きしめた。
「梓紗…っ」
「モルモットは…玩具は…幸せに、なっちゃいけないのかな?」
ダメなの?身体を弄られたモルモットは、幸せになっちゃ、幸せを望んじゃ…いけないの?
「嫌い…」
要らない。欲しくない。貴方の消えた世界なんて、貴方の居ない世界なんて、嫌い。大嫌い。貴方を奪った世界なんて、欲しくないから。要らないから。こんな世界。
「こんな世界、大嫌い」
だから、骸――
「壊シテ」
***
「梓紗…」
傍らに、まるで眠るように横たわる梓紗の頭をそっと撫でる。まるで、ふとした拍子で簡単に壊れてしまうモノを扱う様に――優しく、ヤサシク。
「何故ですか、梓紗…何故、貴女は…」
「ねぇ骸、壊シテ」
「梓紗…」
「もう、嫌なの…こんな世界。だから…壊して、“私”を」
「…っ、何故ですか…何故、貴女をっ」
「あの人は…この世界が大好きだったの。あの人のおかげで、私もこの世界を好きになれた」
「しかし…この世界は、貴女から彼を」
「奪ったわ。だから、私はこの世界が嫌い、大嫌い」
「なら!「でもね、それでも好きなの!」
「自分でも、凄く矛盾してると思ってるわ」
あの人を奪った世界は大嫌い。だけど――あの人が大好きだった世界が、この世界が、私も大好きなの。この世界はあの人奪った。それでも、あの人と出逢えた世界が大好きなの。あの人を愛せた、この世界を愛しているの。
「汚いよね…自分でも、逃げてるんだって分かってる…臆病なんだって…だからお願い、骸」
「世界が壊れるくらいなら…自分が壊れた方がマシですか?」
規則正しい寝息と、穏やかな寝顔は今までの彼女とは変わらない。しかし、骸には理解出来ていた、目覚めた彼女は、もう今までの彼女には戻らないと。
「梓紗…僕は…」
喘ぎにも似た骸の呟きは、少女に届く事はなかった。
「梓紗、大好きだよ」貴方の消えた世界なんて、貴方の居ない世界なんて、嫌い。大嫌い。貴方を奪った世界なんて。でも、それでも好きなの。この世界の事が好きなの。貴方を奪った世界。でも、貴方と出逢えた世界。この世界が好きだから。ごめんね。汚い事しか想えなくて、私は臆病だから。嫌い。臆病な私は嫌い。汚い私は嫌い。だから、お願い。もう、
心の壊れた少女は、二度と覚めぬ夢を見る
(この想いを代償にするならば、いっそ、こんな心を壊して)
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