襖を開けたとたん、ひどいにおいがした。うっと小さく呻き声をあげながら部屋の中をよく見てみると、畳の上に転がったいくつかの酒瓶によりにおいの正体を知る。――アルコールだ。
しかし酒というものはこの部屋の主に似つかわしくない。いつもいつも自分の信念に真っ直ぐで曲がったことが嫌いな彼が酒に溺れるなどと。
「三成さま」
島左近は、酒瓶を手にしながら机に突っ伏した男の名を呼んだ。されど三成は、声も発さず、顔もあげない。
寝てるのか。そう判断した左近が三成に近づく。細い体の骨ばった肩をおもむろに掴み、ゆさり、揺さぶってみる。
「三成さま、寝るなら布団に」
三成は動かない。
ピクリとも反応を示さない。
ここで左近は、三成が寝いっているわけではないのだと気がついた。いくら酒が入っているとはいえ眠りの浅い三成のことなのだから、己の体に触れられれば嫌でも目が覚めるだろう(そういえば、普段は部屋に向かってくる足音でも目が覚めてしまうと瞼を重そうにしながら呟いていたことを思い出した)。
では、これはなんだ。
起きているのに狸寝入りをするのは何故だ。
(―――狸、か)
ふと、左近の頭の中に嫌な相手の顔が浮かんだ。気味が悪いほど明るいアイツ、徳川家康。三成さまの、俺の、敵。
左近は思い出す。
今日、まだ陽が空の真ん中にあった頃、三成が左近の前から姿を消した。三成がどこに行くのか――それは本人の勝手だが、あの性格なので人と衝突してしまうことが多々ある。万が一、口喧嘩になり三成に刀を抜かせることになったら、どこかの誰かさんの命が危うくなることは明白なので、そんなことが起こる前にと左近は三成を追いかけた。
三成を探し始めて大分時間が経つ。
一体どこにいるのかと左近が嘆いたとほぼ同じ、耳を劈くほどの三成の憎しみばかりの声が辺りに響いた。その直後、左近の頭上を何か機械のようなものが――否、あれは本多忠勝で。
本多の姿と、三成が叫んだ名を聞き、三成が誰と会っていたのかを嫌でも察した。
左近は森に足を踏み入れる。
そこには刀を手にしたまま、地に座りこむ三成がいた。息が荒い。慌てて三成に近づき彼の姿をよく見れば、脇腹あたりの甲冑がへこんでいる。殴られたような痕が刻まれていた。
(あの、糞狸野郎…!)
俺の三成様になにしてくれてんだ!
新たな怒りを胸にしたのはつい数時間前である。
それから脇腹の傷を診て貰った三成は自室へと引きこもった。いつの間にか酒を持って。たぶん、家康に傷を負わされた悔しさを紛らわす為に。
(らしくないんだよなぁ、三成様も。酒に頼るなんてさぁ)
三成の肩をゆっくりと離す。シンと辺りを静寂が包み込んだ。
三成は顔を隠したまま、左近は三成の背後にたったまま動かない。その状態で数十秒、沈黙を破ったのは三成の声だった。
「…………いつまでそこにいるつもりだ」
左近の大好きなその声は、いつもより闇を帯びている。
「しばらくは此処いますよ。少なくとも三成様の酔いがさめるまでは」
「よってなどいない」
「酔ってないっていうなら、顔、見せてくださいよ。酒にやられてるんなら、その綺麗な顔が真っ赤になってるはずなんで、赤くなってなかったら酔ってないって認めて、俺は大人しくこの部屋でます」
告げれば、三成がゆっくりと顔をあげた。そんなに俺に帰ってほしいですかと思わないでもないし、顔をあげたところで、ほらやっぱ酔ってるじゃないっスかと言葉を出さなければいけないことは目に見えているのに。
「わたしはよってなどいない。わかったならさっさとでていけっ!」
あまり口が回っていない。舌ったらず。
しかも顔をあげた三成があまりにも真っ赤で、おまけにつり上がった目にうっすらと涙が溜まっていたことにより、左近は言葉を失った。
残念ながらどう見ても酔っ払い。
しかし普段とのギャップに、ズキュンと、まるで心臓を撃ち抜かれたかのように左近はときめきを感じた。
大嫌いな徳川家康のせいで大好きな三成がヤケ酒をしたというのに、何なのだ、このきゅんきゅんは。酒、恐ろしや。
速まる鼓動に若干の息苦しさを感じながら固まった左近に、三成は眉を寄せた。自分の声が聞こえなかったのかと判断し、動かない左腕の名を呼べば「はいぃ!」と上擦った声があがる。
「わたしのこえがきこえているのならば、はやくでていけ!」
「つっても三成様酔いまくりじゃないっスか!出ていきません!つーか、この状態の三成様を放っておけません!」
「だまれ!まわれみぎ!だ!」
「回れ右?!なんすかそれ、か、かわ、」
可愛すぎっしょおぉおお!などという心の叫びはなんとか声になることはなく、己の中に閉じ込めた。
部屋を出ていく気がない左近を見て、三成はムッとしながら彼に手を伸ばす。三成が座ったままそうしたため、手が辿り着いた先が左近のベルト。詳しくいうと左腿の刀が収まっているあたり。
「なぜわたしのいうことがきけぬ!」
酔っ払いは駄々を捏ねるかのように、手を前へ後ろへと動かした。あまりにも唐突な出来事に左近はバランスを崩す。やめてください三成様!の声もあげれず、うわぁ!とだけ悲鳴をあげながら三成の方へと倒れこんだ。
「いってぇ〜」
勢いよく前方へ傾いた体を、机に手をつくことによりなんとか支える。机、あれ、これって三成様の机?なんて思いながら左近が顔を上げれば、そこには三成が。
自分の体を支えた左近の両腕の間にすっぽりとおさまった三成は事態が理解できていないのか呆然と左近を見上げている。酒が入っていなかったら即座に怒声が飛んでくるだろう状況。けれどアルコールに支配されている三成は、左近を見上げたまま動かない。それに左近も動けなくなったが、心臓だけはバクバクと騒ぎはじめて。
やはりというかなんというか、愛しさが込み上げてきてしまった。
「み、三成様」
絞り出すように声を出せば、ぱちぱちと瞬きをする三成。
おもむろに三成に顔を近づけた左近だが、ふと我に返り、ハッとする。
(三成様はあの狸野郎のせいで酒に飲まれてたのに、俺が今こんなことちゃあ…)
理性が左近の行動を止めたのだが、頭の中に住まう悪魔の左近様が「据え膳食わぬはなんとやら」と繰り返している。それでもそれはと思い、衝動をなんとか押さえ込んだ左近に、今度は頭の中に舞い降りた天使の左近ちゃまが微笑んだ。据え膳食わぬは男の恥、と、きっぱり言い放ちながら。
「す、すんません、三成さま」
三成の白い頬に手を置き、左近は再度顔を近づける。酒の香りを漂わせる形のよい唇にそっと自分のそれを触れさせた。
「………………ん」
触れるだけの可愛らしい接吻のあと、三成の下唇を軽く吸ってやると、短く愛らしい声が漏れる。その反応に、きゅんと心が高鳴った。しかも、
「さこん…これでおわりか……?」
なんて、らしくない言葉を紡ぐ酔っぱらい様は、自分の顔をつつむ左近の手に自分の手を重ねて………。左近の心が、きゅんを通り越して、ぎゅんと妙な音をたてたのは言うまでもない。

酒に飲まれた理由はどうあれ、とりあえず今はこの愛らしいお方の愛らしいおねだりを聞くことに決めた左近だが、次の日、二日酔い+酒の力で記憶が飛んだ三成にこっぴどく怒られたのはまた別のお話。





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三成に胸きゅんする左近が可愛くて可愛くて、妄想するだけでご飯10合いける気しかしません…。最初はもっと真面目な話になる予定でしたが、出来上がって見たのを読み返したら、あれ?ギャグ?となりました。想像していた胸きゅんと違っていたら大変申し訳ないです…………。
企画リクエストありがとうございました!今後ともよろしくお願いします!





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