この日本において季節というのは時を経て巡るものであり、年がら年中同じものが停滞することはありえないはずなのだが、あの二人はその限りではないと思う。彼と彼女がふたり同じ場所に立てばそこを彩る季節はきまって春。本来の時節が凍える冬だろうが湿っぽい梅雨だろうが、彼らのまわりだけはうららかな陽気に満ちた春が居座っている。…ようにすら傍目にはみえる。木兎光太郎とみょうじなまえというふたりはそういうカップルだ。特別スキンシップが激しいとか人目を気にせずいちゃつくだとかそんなことはなく、むしろ物理的な触れ合いは控えめなほうだと思うけれども、お互いに向ける表情やかわす眼差し、それらの端々にピンクのなにかが滲んでいる。とんだ害悪だ、と木葉さん(独り身)が忌々しそうに放った言葉に他の部員たち(これもまた独り身)が深く頷いていたのは記憶に新しい。しかし表面上はそんな態度をとりながらも結局は総出であたたかく見守っている状況なのだから、まったく人がいいというかなんというか。ほほえましい反面、苦いものも感じるのは誰にも言えない話だ。俺もそんなふうに彼らを見ることができたらよかったのに。


「赤葦くん、今帰り?」

背後からそう声をかけられたのは、部活がオフで特に居残ることもなく放課となってそのまま帰ろうと昇降口をくぐりぬけたときだった。振り返れば同じく帰宅するところらしいみょうじさんがいた。振り返るまでもなく、わかっていたけれど。

「ああ、うん」
「…ってこの状況じゃそれ以外にないか、あはは」

まあこれもひとつの様式美だよね、と恥ずかしさをごまかすように笑う彼女は少しばかり抜けている、今に限らず。そこもまたかわいいんだけど!と緩みきった顔の木兎さんにのろけられたことも両手の指では数えきれないほど。そのたびにそんなの知ってます、という言葉を呑み込んではあそうですかと気のない返事をするのはなかなかに骨が折れるのだ。俺はいつもそういううそを木兎さんに、あるいは彼女自身についている。
もともとみょうじさんは俺のクラスメイトだった。それが女バレ部員だという友達と連れ立ってうちの試合を応援しに来たのをきっかけに木兎さんと出会い、よほど意気投合したらしくあれよあれよという間に距離を縮め、気づいたらふたりは立派な相思相愛の仲となっていた。付き合うことになった、という律儀な報告を受けたときは正直なにがなんだかよくわからなかった。言われた内容も、それを聞いて頭ががんがん痛むという現象も、あの瞬間の俺にはほんとうに理解しがたい事柄であったのだ。その事象を世間一般の常識と照らし合わせようやく原因解明できたのは、己の口から「それはおめでとうございます」という淡泊な言葉が滑り出た直後だった。祝うのとほぼ同時にその彼女のことがどうやら自分は好きであるらしいと自覚するとは、どこの三流少女漫画かという。いや少女漫画なんてほとんど読んだことがないので実際のところは不明だが。

「なんか今にも雨が降りそうだね」

傘持ってきてないんだけど家までもってくれるかな、という言葉ほど憂鬱そうな様子もなく曇天を見上げる彼女を木兎さんから奪ってしまいたいと思ったことはない。少なくとも自覚するかぎりでは。だけれども、きついなと思うことはある。俺と彼女が一緒にいても春は訪れない。穏やかに笑いかけられることはあってもいとしげなはにかみは見せてもらえない。当然だ、それらはすべて木兎さんのものなのだから。つらいなんて感情はお門違いも甚だしい。だから、それを出さずに済み無表情が様になる自分の顔をこれほどありがたく思ったこともない。

「今日は、木兎さんは?」

いつもオフのときは一緒に帰っているのにそうしないのかと尋ねると、クラスの友達と遊ぶ約束があるらしいから別々になったとのことだった。彼女がいても友達付き合いを変わらず大事にするのは木兎さんらしい。彼女も同じ考えらしく、「予定が立ってからずっと楽しみにしてたみたいだから明日はきっとご機嫌だよ」と笑う顔はそれこそ楽しそうだ。いいこだな、と思う。そうしてふと「なぜ」と考えてしまうのだ。なぜ、このひとが自分のものじゃないのだろう。過ごした時間は曲がりなりにも自分のほうが多いはずなのに、彼女の存在に目をとめたのは彼が先だった。
ぽつ、とささやかな音がして足元のコンクリートに黒いシミができる。音は瞬く間に激しいものとなって、一点のシミは一面の黒に塗りつぶされた。本格的に雨が降り出したのだ。

「えっわっもう!?」

自己申告した通り傘を持たないみょうじさんはとっさに雨から身を守ろうとかばんを頭上に掲げた。その上から、自分が片手に持っていた傘を開いて差しかける。一瞬にして雨粒を遮られたみょうじさんはその目を真ん丸にして驚きをあらわにした。

「あ、ありが…じゃなくて、気持ちは嬉しいけどいいよ、赤葦くんが濡れちゃうよ」
「いいよ」

いいよ、と言われていいよ、と返す。我ながらへたくそな反応で少し笑えた。ひんやりと冷たい雨滴がからだを打って頬を流れ落ちていく。それを拭わないでいると、どうにか傘をこちらに戻そうと苦心していたみょうじさんがはたとなにかに気付いたように眉を上げた。

「赤葦くん、泣いてるの?」

思わぬ言葉に今度はこちらが虚をつかれた。頬をすべる雨を涙と勘違いしたのだろうか。そう思って、ただの雨だと、そう言おうとしてそうではないのだと理解した。きっと今の自分は雨が涙に見えるような顔をしている。それとももしかしてほんとうに俺は泣いているのだろうか。そうかもしれない。だって苦しい。雨にさらされてどんどん下がっていく体温とは裏腹に、咽喉もとで熱を持ったなにかがつかえている。
俺が差しかけた傘を、彼女は俺に戻そうとした。気持ちは嬉しいけど、と言って。それは当たり前の行動だ。でも。

「俺は、」

俺は、きみと同じ傘に入ることが許される男になりたかったんだ。
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