一台、二台、家族を乗せた車と喧騒があっという間に薄れていく。
やがて、静寂。
ずっと先までまっすぐに伸びてきているレールの先は霞み、終わりは見えないけれど、少なくともまだ暫くはそこに現れるであろう影は、無い。と、思う。
聞き飽きた囀り、嗅ぎ慣れた田畑からの煙のにおい、古ぼけた無人駅の備え付けてある時計の秒針、それらのテンポが普段よりもやけに速く感じられる。
(待って、置いてかないでよ)
あと9分か、そうかったるそうに呟くあいつ。
9分ぽっち、あっという間でしょうが。文句言わないのあんた男でしょ。と、持ってやっていた奴の鞄その1を遠心力を駆使してぶん回しながらクリティカルヒットさせてやる。イッテー、今のはガチで痛いから!角、入ったから!なんて喚くのを横目で見ながら、視線はまた秒針へ。
「本当に此処を出てくとは思わなかった」
「俺は本気だったもん」
「そうみたいだね」
「まあね」
(あと5分)
「ちょっと、折角見送りに迄来てあげてるんだから、あっち着いたら連絡寄越しなさいよ」
「はいはい、忘れてなかったらな」
「忘れないの」
「イッテー!畜生!」
(あと3分)
にわかに空気が変わるのが分かる。
薄々気付いていたけれど、もう避けられない、別れ特有のあの空気。
つんと痛む鼻の感覚。
「あんたがいなくなったらうざいのが一人減って清々する」
「お前、最後までその調子なのかよ」
「最後じゃないもの、今生の別れじゃない」
「分かんないよ?俺がこのままあっちで犬死にするかもしれないし」
「え…」
「…え、何?マジで信じちゃったわけ、今の?」
「…別に?」
「素直ならもっと可愛いのにな、お前も。うりうり」
「やめい、あたしは餓鬼か」
「だって涙目じゃん」
「………」
(あと、1分…)
来てほしくないものがとうとう現れた。
ふぁー、とまるで馬鹿みたいなクラクションで鳴いて、みるみるうちにあたし達の目前まで滑り込んでくる。
あたしにとってこれは普通に速いと思うけど、これからあいつが向かう所にはもっともっと速いのが幾つもあるのだろう。
そして毎朝寿司のように詰め込まれたまま揺られるのだろう。
あたしがブラウン管越しでしか見たことがない風景の一片に、あいつはなるのだろう。
「それとも、来るか?」
「は?」
「冗談。それじゃあな。荷物サンキュ」
軽く言いながらあたしの手から(爪痕がつくほど固く握りしめていた筈のあたしの手から)何と言うこともなく鞄を受け取り、ワンマン電車特有の開閉ボタンを押す。
「…どうした?」
あいつの戸惑った表情はあたしの手元、もっと詳しく言えばあいつの服の裾に向けられている。
反射的に掴んでしまったそれを慌てて離して、
「何でもない」
(そう、ここで、笑顔)
「何か言うこととかあった?」
「あると思う?」
「いや?」
「引き止めてごめん、何でもないから」
車掌に急かされ、漸く乗り込んだ所で扉は閉まる。
安堵の笑顔で手を振られる。
一昔前、どこかのドラマのワンシーンにでもいるような気分だ。
あいつを乗せて、規則的なレールの音を立てながら走り出した。
ゆっくりゆっくりと走ってゆく、それ。
やがて、静寂。
何か言うこととかあった?
あいつの悪戯っぽい声が耳に残って反響する。
「言えるか、バーカ」
のろのろ去ったワンマンに向かって、呟いた。
コンクリートにほたり、と、小さな斑のシミが現れた。
さいはて
(たおやかな恋でした)(嗚呼、たおやかな恋でした)
(さよなら)
10,04,24
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