Buon Compleannoの2人のその後
「プロシュート!」
遠くからでもわかる背に名前を呼ぶと、彼は勢い良く振り向いた。まるで呼ばれたら困るみたい。
「……ななこか」
私の姿を見ると我に返ったように瞳を瞬かせて、どうした? なんて固い笑顔を作る。纏う空気がいつもと違うのは、お仕事中だからだろうか。
「お花を届けに行くの。プロシュートは?」
言い澱む彼を見て「お仕事?」となるべく軽く問い掛ければ、溜息にも似た短い返事が返された。どうしてお前なんかに会ったんだ、とでも言いたげな眉間の皺に笑顔を向ける。
「途中まで一緒に、なんて顔じゃあなさそうね」
抱えた花束から小ぶりのガーベラを一本引き抜くと、プロシュートは驚いた顔をした。立ち止まる彼の胸にそのままガーベラを差し込み、「せっかくの美形なんだから、花くらいあってもいいと思うの」と笑ってみせる。
「……そりゃあ商売道具じゃあねーのか」
「一本くらいわかりゃしないわよ」
あっさりとそう言ってのければ、彼はようやっと笑って「まったくお前は、」と普段通りの顔を見せてくれた。そんな顔したら、ガーベラが霞んじゃう。
「……仕事はちゃんとしろよ」
「プロシュートが言うと、なんだか凄みがあるわ」
ペッシくんとメローネにもよろしくね、と言えば、「伝えておく」と短い返事。それから彼は「終わったら行くから」と唇を動かした。その瞳が鋭く光るのを見て、あぁやっぱり格好いいなぁ、なんて。
「それじゃあ、頑張って」
「……あぁ、」
同じ方向なのに、足並みを揃えるでもなく脇目も振らず、まっすぐ歩いていくプロシュートの背を見送った。
*****
「食べたいものでも聞けば良かった」
せっかく来るなら、食事でも作ってあげようかな、なんて呑気なことを考える。途中、スーパーの前で足を止めたのは、まだ花を届ける時間には少し早かったから。プロシュートの好きな食べ物ってなんだろう。あまり聞いたことがなかったし、彼はなんでも美しい所作で食べる。がっついてるところなんて見たことがない。……見てみたい気もするけど。
プロシュートだから、やっぱりメロンだろうか。それとも、そんなことを言ったら彼は大袈裟に溜息を吐くだろうか。
くだらないことではあるけど、彼のことを考えるだけで幸せな気分になるんだから、プロシュートはすごい。本人に言ったらきっと、「てめえの頭がめでたいだけだろ」なんて呆れた顔をするんだろう。
「お花のお届けでーす!」
軽快にチャイムを鳴らしたら、ドアの向こうでなにやら大きな物が倒れるみたいな音がした。少し待ったけど、誰も出てこない。
不思議に思ってドアノブに手を掛けたら、存外簡単にドアが開いた。その向こうには、……よく見知った後ろ姿。
「、ッ……!?」
その影は一瞬で窓から消えた。視界に残された部屋、の、真ん中には、人が、倒れて、
「……だ、いじょうぶですか!?」
慌てて駆け寄って揺すったけれど、触れた瞬間にその命が無いとわかる。枯れ果てた花みたいな、人間の残骸。
「ど、うしよ、……警察、?」
慌てて視界にあった部屋の電話を掴む。花を届けるのは確か男性で、老人ではなかったはずだ。なんと説明していいかもわからず、ただ必死に、見えるものを見えるままに話した。
*****
到着した警察は、当然私を拘束した。そりゃあどう見たって私が一番この状況に詳しいし、なんなら一番怪しいのだって私だ。携帯だって持っていたのに何故あの部屋から電話をしたのか。パニックだったとしか言いようがないけれど、今にしてみれば迂闊だったと思う。当然のことながら、部屋からは私と家主の指紋しか出てこなかったらしい。
「……花を、届けに来たら、……もう、」
その一言が真実で、私にはそれ以外わからない。けれどそれで警察が納得するはずもなく、私は警察署の窓の外がどんど暗くなっていくのを暗澹たる気持ちで眺めながら、何度も「花を届けに」と繰り返した。
ひとつ、神様に懺悔しなきゃあいけないのは、「他に誰かいなかったか」の問いに答えられなかったこと。
「……また、後でお話しを伺いに行くかもしれません」
「わかりました。……私にできることなら、協力します」
そう言ってようやっと解放されたのは、夜が白々と明ける頃だった。
「……帰ろう」
ひとりそう呟いて、重い足を動かす。生命を失った身体に触れた気持ちの悪さとか、警官に強く問い詰められたこととか、『犯人』のこととか。考えたら涙が溢れて止まらなくなった。ぐずぐずと袖口で顔を拭いながら、どうにか家に辿り着く。そこにはやっぱり、誰もいなかった。
プロシュートは、来たんだろうか。それとも、私が『見た』ことに気付いてしまったんだろうか。
今、会って話したい。息が苦しくて、涙で溺れてしまいそうだ。プロシュートがマフィアだってことを、喜んだ過去の自分が憎い。知らなかったら、他の誰かだと無理矢理にも納得することができたかもしれないのに。
ポケットから携帯電話を取り出し、震える手でアドレスを探る。息を整えてから、と思っていたのに、それは無理な話だった。
「ciao、……」
「……ッ、ぷ、ろしゅー……と……」
低く落ち着いたプロシュートの声を聞いたらまた涙が出てきた。彼は電話口で息を潜め、こちらを窺っているらしい。しゃくりあげる合間に必死で「あいたい」と言えば、彼はしばしの逡巡ののちに「待ってろ」と短く返事をした。電話は切れることはなく、私はただ何も言わない彼に、泣き声を聞かせ続けた。
「……ッ、プロ、シュート……」
早朝だというのにきっちりした姿の彼は、片手に電話を持ったまま私の前に現れた。ただ電話口で泣く私の声を、彼はどんな思いで聞いていたのだろう。その表情は、涙で歪んで良く見えなかった。
電話を切って放り投げ、縺れる足をそのままに彼の胸に飛び込む。プロシュートは驚きと共に私の身体を受け止めた。
「……ななこ」
「……ッう……」
彼の胸にもうあのガーベラはなかったけれど、その身体からは死の匂いなんて微塵もしなかった。まさか、どうして、プロシュート。
「プロシュート……どうして……」
私の呟きに、プロシュートはゆっくりと視線を合わせた。知ってるんだな、見たんだな、って、瞳が語りかけてくる。頷くみたいに視線を下ろせば、彼はひとつ、ゆっくりと瞬きして、私の首筋に指を這わせた。長い睫毛がゆっくりと持ち上がると、プロシュートはもう、昨日会った時みたいな、『仕事の顔』をしていた。掛けられた指先に力が籠る。冷たい瞳が私を見る。彼は私を見つめたまま「……見たんだろう?」と問い掛けた。
「……見た、あなたの……後ろ姿……」
喘ぐみたいにそう告げれば、指先に籠もった力が一層強くなる。苦しくて悲しいのは、きっと私じゃあない。
「……ななこ、サヨナラだ」
呼吸が止まったのは、彼が私に口付けたから。
*****
「……死んで、ない」
なんとも間抜けな朝の挨拶だ。起き上がったのはベッドの上、ご丁寧にパジャマまで着ている。
辺りを見回した私は、テーブルの上に置かれた携帯電話に気付く。慌ててアドレス帳を確認すると、やっぱりプロシュートの連絡先は消えていた。ほとんど彼の名前だった履歴も、全部。
「……殺してくれた方が、良かったよ……」
こんなのってない。プロシュートになら、殺されたって良かったのに。
嘘を、つけば良かったんだろうか。誰も見なかったと、死体を見て、動転しただけだと。
けれどそんな嘘が彼に通用するとは思わなかったし、なにより私が、彼に嘘をつきたくなかった。……だからって、こんな結果を望んだわけじゃあない。
また溢れる涙を、拭ってくれる人なんていなかった。
*****
「……ペッシくん!」
しばらくして、店の前を足早に通る特徴的な影を見つけた。私は弾かれたように彼の名前を呼び、店を飛び出す。カサブランカみたいな頭は驚きに跳ね、そのままぴょこぴょこと逃げていく。私は慌てて追いかけた。
「きゃっ!」
したたかに転び、また涙が出てきた。石畳にへばりついたまま歯を食いしばっていると、「大丈夫っスか……」と申し訳なさそうな声が頭上から降ってきた。
「……う、ペッシくん……」
差し出されたあったかい手を握ったら、また涙が出てきた。逃げられないようにぎゅうと力を込める。ペッシくんはオロオロと慰めの言葉を落としていたけれど、私がプロシュートの名前を出すと、びくりと身を固くした。
「……ペッシくん、プロシュートに会わせて……」
お願い、と涙ながらに懇願すれば、ほとほと困り果てた彼は、「……付いてきて、」と小さく呟いた。
「ciao、ななこ。久しぶり」
「……メローネ。……プロシュートは?」
「まだあんなのがいいの? もう泣かされるの嫌だろ? オレにしなよ」
ドアを潜ると見知った顔があった。メローネは私がきたことに特段の驚きはないらしく、普段通りの人懐っこさで話しかけ、私が首を横に振るのを見て楽しげに笑った。
「だーってさ、プロシュート。いい加減意地悪すんのやめたら?」
プロシュートの機嫌悪いとオレたちみーんな困るんだよねぇ、と声を張り上げる。メローネは「オンナノコ泣かすなんてサイテーじゃん。いい加減にしなよ」と続けた。最後の一言は、吐き捨てるみたいに。
「プロシュート、あのね、ちゃんと聞いてくれる?」
姿は見えないけど、メローネの口ぶりからすると、声の届くところにはいるんだろう。私はなるべく大きな声で、泣かないように、話した。
「わたし、……私は、あなたのこと、が、好き」
ヒュウ、とメローネが口笛を吹いた。隣のペッシくんは真っ赤になっている。そんなの、私だって恥ずかしい。声が、手が、震えている。
「だ、から、サヨナラなんてしないで……サヨナラしたいなら、ちゃんと……殺して」
「……ななこ、」
メローネが、ひどく居心地の悪そうな顔で出てきたプロシュートをドアの向こうから引っ張り出して、こっちに向かって蹴っ飛ばした。よろけながら私の前に立ったプロシュートは、まるで叱られる子供みたいにバツの悪い顔をしている。
「……怖くねえのか」
「……あなたがいない方が、よっぽど怖い」
ぱりっとしたスーツに身体ごと飛び込めば、戸惑いがちな両手はそれでも私を難なく受け止めた。
「……オレでいいのか」
「プロシュートじゃなきゃあ、嫌なの」
上質なスーツはふんわりといい匂いがして、あぁプロシュートだ、って思ったらまた泣きそうになった。ぎゅうっとしがみつく私の背にプロシュートがそっと腕を回す。
「ハイハイそーいうのは他所でやってよ」
ほんっとメーワク。なんだよななこもオレにすればいいのに! とメローネがヤジを飛ばせば、プロシュートは「うるせえよ」と彼を睨みつけた。
「うるさいもなにも自分のせいじゃあないか! ななこ泣かせてペッシ困らせてなにが楽しいのさ!」
オンナノコにこんなとこまで来させるなんて本当サイアクだ。さっさとどっか行っちまえよ、と言い放つと、バカはほっとこーぜ、とペッシを連れて奥の部屋に戻って行った。
「……チッ……メローネのやつ」
プロシュートは呆れたような溜息をついた。きっと今のはメローネの優しさだったんだろうと、プロシュートの表情を見て知る。
「プロシュート、わたしのこと、……嫌いになった?」
「そいつはオレが聞きたい」
「私は、好きだって……言ったもん……」
尻窄みな言葉を落とせば、プロシュートは、「悪ィ、そうだったな」と言って、私の髪を撫でた。
「私の質問に、答えてよ」
「……そんなの勿論、『愛してる』だ。仕事が手に付かなくなるくらいに、な」
プロシュートはそう言うとこの間のように首筋に指を掛けた。けれど力は込められず、これじゃあアサッシーノ失格かもしれねえ、なんて言葉とともに首筋を軽く撫でられた。
20180414
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