どれくらい走っただろう。もう息を吸うのも苦しい。足が膝からがくがく震えて、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
足をもたつかせながら、路地裏に入り込み、その場にずるずると尻を着いた。自分の服装を見て、咄嗟に路地裏の奥へと這う。派手な装飾と刺繍が施された王宮魔導師の服装では、すぐに見つかってしまう。どこかで着替えなければ。
内側に着ている薄いインナーだけになり、上に着ていたローブは城下町の焼却炉に投げ入れた。足がついてはいけない。僕は見つかるわけにはいかない。
少しずつ貯めていた金を握りしめ、人の少なそうな店に滑り込む。不審に思われないように、出来るだけ背筋を伸ばしながら。
「いらっしゃい」
からん、と入り口のベルが鳴ると、奥から中年男性の声がする。切り裂かれた海のように、服が並ぶ道を抜けた先に彼は見えた。僕を確認すると、興味無さそうに新聞に目を移した。
少しほっとして店内を見渡す。見たところ作業服が揃えてある店のようだ。服だけでなく工具や重機のパンフレットなども置いてある。魔導師とはまったく繋がりを感じない。
選り好みしている時間はない。僕は手頃な値段の服を掴むと、そのまま男性のところへ持っていった。
「あい、まいど」
男性は相変わらず興味無さそうに金を受け取り、釣りを返してきた。反してきちんと畳まれた服は大袈裟な紙袋に入れられた。お礼を言うのも忘れて店の出口へ急ぐ。心臓がばくばくと鼓動を打つ。ばれてはいけない。見つかってはいけない。
しかしあることを思い出して少し声を張った。
「今日は何月の何日でしたっけ?」
男性は面倒そうに顔をあげると、少し疑うような顔をしてから新聞の一面を覗き、「六月の十九日だ」と答えてくれた。僕は会釈だけして店を出た。その会釈をを男性が見ていたかは分からない。
○
先程の路地とはまた別の路地に入りこみ、急いで着替える。手が震えて、作業着の釦がなかなか外せない。急げ、急げ、と自分を追い捲った。足を通しダブつく作業着をたくし上げ、腕を通してそのまま肩まで持ってくる。一度息を整えて、ファスナーを上げれて着替え終わった。
着替えるだけなのに息切れがした。とにかく逃げなければと、城下町からは離れなければとゆっくり大通りへ足を踏み出した。
薄暗い路地裏から出たからか少し眩しくて、石畳が続く道は日の光に反射してきらきらしていた。
人が多く行き交っていて、みんながそれぞれ上手に擦れ違っている。まるで相手の行き先が分かっているようだ。僕もその流れに乗るべく、人混みに紛れ込んだ。
○
賑やかな町の中心から離れて漸くはずれまでやって来た。人が少なく、ちらほらと旅人のような格好の人も目に入る。
僕は早く城下町を出たい一心でで門に向かうが、本番のところに王宮の騎士が二人いた。僕を探しに来たのかもしれない。王やティーンのことだから、僕を犯罪者に仕立て上げて捕まえるつもりかもしれない。そう考えたらこれ以上進むことが出来なかった。
僕は引き返してまた薄暗い路地に入りこむ。少し歩いたところで、橙のランタンが灯る扉を見つけた。依頼請け負い所と看板が下げられたそこには扉の横に掲示板が置いてあり、魔物退治などの依頼と詳細が貼ってあった。その中の一つに「隣の町まで馬車を出す」というものがあり、僕はすぐにその紙を剥いで扉を開けた。
○
即日出発することになり、僕と他に三人が同じ馬車に乗った。箱に布をかけただけの荷台に乗り込み、僕は奥の暗がりに座った。顔を見られないためだ。魔導で記憶を消すこともできたが、こんなことで人の記憶を弄りたくない。
荷台にはいかにも屈強で身体の大きい剣士が二人と、華奢だが長身の弓使いが乗っていた。誰も会話をしたがらないが、全員同じ依頼をこなす仲間でもある。依頼人の羽振りが良いらしく、確実に魔物を倒してくれるのなら四人に提示額と同じ報酬を渡すという。
僕にとっては依頼も報酬も二の次だった。とにかく城下町から逃げるにはこれが一番だったからだ。
「不本意だが共に戦うんだ。名前くらい聞いておこうか。俺の名はエイト。剣士だ」
剣士の男が名乗り、続いてもう一人の剣士が口を開いた。
「私はジュウゴ。彼と同じく、剣士だ」
「わたくしはシス。見ての通り、弓使いよ」
三人の視線が僕に集中する。心臓がドクドクと打ち付けて、今にも破れてしまいそうだ。僕は声が震えないようにぐっと拳を握り締めた。
「僕はフォース。……人を惑わす、幻術師だ」
僕の逃走劇が、幕を開けた。
end
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神様の独り言 2010.7.1
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