■ 座敷童子

大学四年の夏休み、うちの学科ではゼミごとに二泊三日の合宿をすることになっていて、うちのゼミは東北の民宿に泊まることになった。民宿と聞いていたのでこじんまりとした宿を想像していたが、実際行ってみると大きくはないが造りは立派なもので、老舗の宿のわりに中も庭も綺麗で驚いた。
合宿と言っても初日の夜に生徒が各々作成したレポートを教授に見せて指南を貰う程度のもので、後は修学旅行みたいなものだ。具体的に何処に行って何をしたかは今回の話には関係ないので省略させていただく。


日取りと場所が決まったときから初老の教授がやけにウキウキしていたので、余程この土地か旅行が好きなのかと思っていたが、理由は別のところにあった。
宿で夕食をとっているときに、ゼミの女の子の一人が「先生ずっとゴキゲンですねえ」と教授に声をかけた。別の子が「そんなに楽しみだったんですか」と続けると、教授はにやにや笑って急いて「いやね」と言って口に含んでいたものを飲み込んだ。それから手を口元に当て、声を潜めてみんなを見渡しながらこう続けた。

「この宿ね、出るんだよ」

女の子たちが怖がるような面白がるような甲高い声で「やだぁ」と叫び、男連中はケラケラ笑った。俺は笑えも叫びもできず口元に運んでいた箸を止めた。教授は俺の方を見た。

「な、お前がいたら見られるんじゃないかと思って」

俺はこの初老の教授を心から尊敬していたが、このときばかりは「何が『な』だよ。ふざけんなクソジジィ」とうっかり口からこぼれ出そうになった。
どういうわけか俺は生まれつき妙なものに取り憑かれやすく、子供の頃から血走った目で呪いの言葉をぶつぶつ呟いていたり、夜に行方不明になって翌朝枯れた田圃の真ん中に突っ立っているのを発見されたり、最新の例では狸に化かされたりと碌な目に遭わないのである。それで霊感なんぞはてんで無いので、姿が見えないため彼らを避けて通ることもできない。全くもって不愉快である。
二年前のゼミの旅行でも知らずに心霊スポットに行ってしまい、俺一人が報いを受けるという不快な思い出を残しているため、俺が憑かれやすいというのは既にゼミ生の間では周知の事実であった。

「ホレ、多恵ちゃんも見えるんだろ?見える人んとこ集まるってよく言うしな」

突然名指しで話題を振られた女の子は口の周りを拭いながら急いで口に含んでいたものを飲み込んだ。

「見えることもあるってくらいですよぉ」

教授がわくわくとした笑顔を浮かべているのを呪わしく思いながら、その子に宿で何か見たかと訊ねた。彼女は味噌汁の碗を口元へ運んだ状態で首を横に振った。



食事も風呂も済ませた後、申し訳程度の授業の後は当然の如く酒盛りになった。たしなむ程度にしか飲めない俺は顔が火照り出すと酒宴から抜け出し、外の風にあたりに出た。とはいえ外に出たわけではなく、廊下の窓を開けて顔を風に当てていただけである。ちょうど窓から外を眺められる位置に椅子と丸机が並べてあり、なかなか快適であった。
しばらくそうして外を眺めながら呆けていると、浴衣の裾をくいくいと引っ張られた。見てみると十歳にも満たないような小さな男の子が、俺の傍にちょこんと立っていた。渋い色合いの和服を着ていて、そのアンバランスさがまた可愛らしかった。

「こんばんは」と可愛い笑顔で言われたので思わず顔がほころんで「はい、こんばんは」と返したが、よくよく考えればもう子供が起きている時間ではないということに気が付いた。
今夜はこの民宿に泊まる客は俺たちゼミ生のみであるということは宿の女将から聞いていたので、さてはこの子は民宿の子であろうとすぐ思い当たった。
そうであるならこの子が和服を着ているのも従業員に準じているつもりなのかと思えたし、もしや酒盛りが騒々しすぎて親の代わりに注意にきたのやもしれぬとも思った。

「ねえお兄さん、腕相撲しよ。ねえねえ」

けれど男の子はにこにこ笑いながら俺の浴衣の裾を引っ張り、無邪気に遊び相手になることを要求してきた。
俺はまだ酒が抜けきっておらず、咎めを受けるのではと思っていたことからの安堵感とで、さして深く考えずに腕をまくって肘を机の上に乗せた。
「よし、来い!」と笑って言うと、男の子は嬉しそうに向かいの席に座って俺の手と小さな掌を組み合わせた。

「ハンデは?」
「欲しいの?」
「バッカ。そうだ、やっぱ左手でやってやろうか」
「いらないよ」
「生意気な」
「ふふん。まあ見てなって」

可愛くねだってきたくせにいざ臨戦態勢になるとすこぶる生意気である。まあ子供ならこれぐらい言ってもおかしくはないかと思って、取りあえず一度このままやってやろうということにした。
しかしいざ始めて見ると、どういうわけかいくら力を込めても男の子の腕は倒れるどころかいっこうに動く気配すらない。
混乱しつつ力を入れていくも、男の子は嬉しそうに笑いながら俺を眺めて、相変わらずびくともしない。
「えいっ」と可愛い掛け声をかけると、男の子が俺の腕を倒した。

「いってぇ!」

あまりに強く机に叩きつけられたので思わず叫んでしまった。と同時に、酒盛りをしていた教授の部屋の戸が開いて多恵ちゃんが顔を出した。

「幸さーん、花札やろーう」

酔いどれの間延びした声に振り返ると、後ろから男の子のくすくす笑う声が聞こえた。

「何やってんの?」

涙目になって腕をさする俺の方を見つめながら多恵ちゃんが首を傾げてそう言うので、子供と腕相撲やって負けたと簡潔に答えた。すると子供なんていなかったとはっきり言われた。
振り返ってみると確かに子供はいなかった。彼女の位置から俺の正面に座っていたものが見えなかったはずはないし、足音は聞こえなかったから走って逃げたとも考えられなかった。
俺は教授に聞いた話を思い出してぞっと青ざめ、すぐにみんなの集まる部屋へ戻った。



翌朝、支度を終えたらロビーに集合することになっていたので他の男子連中と一緒に女子と教授を待っていた。退屈だったので土産物屋を眺めたりしていたが、ふと中央を見てみると神棚があることに気がついた。昨日は疲れていて宿の内装など目に入らなかったようだ。
割と大きなもので、果物とお菓子、手作りと思われる男の子の人形が飾られていた。
人形が着ている着物の柄には見覚えがあった。もしやと思い従業員に声をかけて何をまつっているのかと訊ねてみると、仲居の女性はにこにこ笑って「うちの守り神です」と答えた。

「守り神は着物の男の子ですか」
「お客さんお会いしましたの」
「腕相撲挑まれてバーン倒されました」

腕相撲で倒される動きを模して腕を動かしてみると、仲居は「ごめんなさいね」とケラケラ笑いながら言った。
そうして話しているうちにゼミの全員が集まったらしく、多恵ちゃんに呼ばれて出発することになった。
宿は山奥にあるので駅まで遠く、宿からバスが出ていた。俺は多恵ちゃんと喋りながら歩いていたので、バスにも彼女と並んで座った。バスでも多恵ちゃんは俺と喋りながら、時々首を伸ばして隣の列のひとつ後ろの空席を気にしているような素振りを見せた。嫌な予感がしたので詳しくは聞かなかった。

バスが駅に着き、教授が電車の時刻を調べている間も多恵ちゃんはきょろきょろと辺りを見回したりして落ち着かない様子でいた。

「幸さん」
「なに」
「昨日腕相撲やったのって和服着た小さい子?」
「あ、見た?あの宿の座敷童子みたいよ、その子」
「えっ」

多恵ちゃんは急に顔をこわばらせて、困ったように眉を八の字に歪めた。

「あの子バスに乗って一緒に来てたんだけど、さっきどっか行っちゃったんだよ」


「座敷童子がいなくなった家は廃れる」という話を、何を間違ったかオカルト好きに育った息子から聞いてこの出来事を思い出し、この旅館のことを調べてみた。
旅館はあの出来事のすぐ後に潰れたらしい。

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