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「本当にこんなところにいるのかぁ?」
「馬車はちゃんとあったじゃないの」


突然聞こえた声にジルの肩がギクリと強ばった。男の太い声と女の艶めかしい声がだんだんと近づいてくる。ジルはとっさに近くの民家へ飛び込んだ。この家も荒らされていた。


ジルと狼の男は無人の村で一晩過ごし、朝食をとったらすぐに村を立つつもりだった。
しかしせっかく食糧のあるところなので、ジルは野菜やら料理道具やらを馬車に積んでしまおうと吟味していた。そうしているうちに、狼の男は何処かへ消えていた。
今更置いて行かれるとは思えないので、ジルは大して気にも留めず、吟味したものを馬車へ運んでいた。その二度目の往路で、先の声を聞いた。

ジルはダイニングを見回した後、そっと窓際に寄ってレースのカーテン越しに外を見た。
直立歩行の豚が槍を持ってキョロキョロと辺りを見回している。その隣を、顔と胴体だけは人間に近い美女が真っ直ぐ前を見ながら進んでくる。顔と胴体以外は黒い蜘蛛である。
二匹の魔物の後ろを、硬い岩か鋼鉄かで出来た人形のような、巨大な生物が黙ってついていく。

オークとアラクネとゴーレム。冗談じゃないとジルは思った。
慌ててまたダイニングを見回し、食器棚の戸が少し開いているのを見つけると、ジルは兎に姿を変えてその中へ滑り込んだ。

『馬車はちゃんとあったじゃないの』

あれは恐らく自分たちが乗ってきたウィアウルフの馬車のことだろう。見つかったらどうなるのだろう。殺されるのだろうか。魔王の元へ突き出されるのだろうか。

三匹の魔物たちは村中を歩き回って他の生き物の気配を探っていた。
オークが一度ジルの逃げ込んだ家の中を窓から覗き込み、暗闇の中で輝く二つの瞳を見つけたが、ネズミだろうと思って打ちやった。そこから離れ、もう一度馬車があることを確認し、三匹はまた村の中心へ戻った。


「馬車を捨てて逃げたんじゃないのか」
「今までの追っ手はみんな相手してきたんでしょ?なんで今更逃げるのさ」


オークの意見を、アラクネがピシャリと叩くように否定した。ゴーレムは黙って、ただ草むらの茂みを見つめている。
アラクネがゴーレムにどうかしたの、と声をかけた瞬間だった。何かが茂みから飛び出してきてオークの上に覆い被さった。

"何か"が巨大な狼だとわかったときには、既にオークの喉笛は食いちぎられ、胸や腹の肉をムシャムシャやられている。
狼はオークの上に足をついたまま、ゆっくりとアラクネたちの方を振り返った。口の周りは赤黒い血で汚れているが、体中の毛先が太陽の光を浴びてきらきらと輝いている。

狼はぐっと体を構えてアラクネに飛びかかった。危うくオークの二の舞になりかけたアラクネは、ゴーレムの拳に守られた。狼は振り降ろされたゴーレムの拳を転げるように避けて、二匹の魔物と距離をとった。
狼は体を低く構えて鼻筋に皺を刻み魔物たちを睨んでいたが、吠えも唸りもしなかった。

アラクネは蜘蛛の糸を伸ばし、幾重にも連ねて狼の体を縛って捕らえようとした。狼は滅茶苦茶に暴れ、牙と爪を使ってそれを引きちぎった。
狼の牙と爪はアラクネ本体にも向けられた。ゴーレムは遅い動きながら拳を降り続け、木を倒したり地面に凹みを残したりした。

しばらくそうして揉み合っていると、遂に狼はゴーレムに捕まった。
ゴーレムは両手の内でもがいている狼をじっと見つめ、そのままアラクネの前に突き出した。アラクネは艶めかしい仕草で髪を掻き上げながら狼に顔を近づけ、猫撫で声で話しかけた。


「大丈夫よぉ、すぐに殺したりはしないから。あんたを呼んでる方がいるのよぉ」


狼は唾でも吐きそうな顔でアラクネを睨んでいたが、民家の陰からのしのし歩いてきたミノタウロスを見ると、うんざりしたように脱力して尻尾がだらりと垂れた。


「ほうほう、大人しくしておればカワイイではないか。ワン公」


ミノタウロスが頭を撫でようとすると、狼は「触んなよ」とばかりにしかめっ面で首を振った。
いつもの通り口上張ってミノタウロスが何か言おうとしたが、アラクネの背後にフライパンを高く掲げて立っているジルの気迫に気圧されて押し黙った。

アラクネが異変に気づいたときにはフライパンは振り降ろされ、派手な音を立ててアラクネの頭とぶつかった。
後頭部を強打されたアラクネはうつ伏せに倒れて動かなくなった。


「なぁんでこんな目に遭わなきゃならないのかなぁ……」


ジルはフライパンの柄を堅く握って俯いたまま、暗い顔で暗い声を出した。


「いつまでこんな目に遭わなきゃいけないのかなぁ。ずっとこうなのかなぁ」


突然フライパンを叩きつけるように地面に投げ捨て、ジルは腰のベルトに挟んでいた長方形の箱を手に取って蓋を放り捨てた。
箱の中にしまわれていた包丁を取り出すと、箱も地面に叩き付けるように放り落とした。


「殺してやる!」


包丁の柄を両手で握り、ミノタウロスに向けて構えるジルの目は据わっている。怨念のこもった気迫に、ミノタウロスは無意識に後ずさった。


「おっ……落ち着け、お前が戦力外なことはわかっている。前にも言ったが見逃してやらんことも」
「殺してやる!!あんたが一番目障りなのよ!毎日毎日追っかけてきてでかい声でバカのくせに仰々しい喋り方して!鬱陶しいのよ!殺してやるから!」


ミノタウロスに怒鳴った後、ジルは勢いよくゴーレムの方を振り返って血走った目を向けた。


「いつまで掴んでんのよ放しなさいよ!!」


小心者のゴーレムは驚いて、思わず狼を捕まえていた手を離した。
狼は身を翻し、ミノタウロスに体当たりした。茫然としていたミノタウロスは突き飛ばされた衝撃で正気を取り戻し、背中に吊した斧に手をかけた。


「違う、走って!」


狼はジルの方を振り返った。ジルは手で合図して、兎に変わると茂みの中に飛び込んだ。
狼が後を追うと、ミノタウロスが慌てた声で「逃げる気か!」と叫んだ。

林の中で狼は兎をくわえ、馬車に向かって真っ直ぐ駆けていった。
馬車を見つけると狼は兎を馬車の中へ放り投げ、馬を繋いでいたロープを牙で食いちぎった。




ミノタウロスが追いついたときには馬車はもう出発していた。足止めにでもなればと、ミノタウロスは馬車に投げつけてやるつもりで斧を構えた。


「おやめください」


脇腹を鞭で思い切り叩かれたような痛みに襲われ、ミノタウロスは膝を突いてその場に崩れ落ちた。
何事かと振り返ってみれば、ハインリヒが立っていた。その背後に、ゴーレムがのしのし歩いてきているのが見える。


「お待たせいたしました。データがそろいましたので明日から作戦を練りましょう」
「い、いやしかし……今……」
「明日からです」


後方を走り去る馬車を気にして、前を向いたり後ろを振り返ったりと落ち着かないミノタウロスに対し、ハインリヒは悠然として切り株に腰掛け、腕と足を組んだ。


「あのお二方について、特徴や行動など教えてください」
「何故今すぐに捕らえんのだ!?そんなデータなぞにこだわらずとも、現に今すんでのところまで」


たまらず吼えかかると、その目を見つめ返すハインリヒの瞳が紫色に光った。
瞬間、あんなに興奮していたミノタウロスの頭がぼんやりとして、何故だかとても幸福な気持ちになった。
見れば、此処に追いついたゴーレムもまた焦点の合わない潤んだ目でぼんやりとしている。


「言うことを、お聞きなさい」


ハインリヒが言い聞かせるようにゆっくり語りかけると、ミノタウロスとゴーレムは口元に笑みを浮かべたまま、黙って頷いた。



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