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「狼の獣人の力がどれほどなのかまだわかりませんし、データが必要ですね。私は一度魔王城へ戻って獣人族の資料をまとめてきます。あなたはとりあえず、いろいろ出方を変えてつっこんでいってみてください」


ミノタウロスにそう言うと、ハインリヒは移動呪文を唱えて消えた。着いた先は魔王城の裏門の前である。
裏門には侵入者を阻むために見張りのグリフォンが繋がれている。グリフォンはすやすやと寝息をたてていた。


「おはようございます」


ハインリヒはグリフォンの近くに立って腰を屈め、遠慮がちに挨拶した。二、三度繰り返したところでグリフォンはようやく目を覚まし、大きく欠伸をすると後ろ足で目元を掻いた。


「側近見習いのハインリヒです。開門をお願いします」
「あいよ」


グリフォンは立ち上がり、寝ぼけてよたよたとした足取りで裏門の方を向いた。裏門には蹄の形をした窪みがある。グリフォンはが片足を上げ、窪みに足を填めると門が重々しく開いた。


「お休みのところすみませんでした。失礼いたします」
「お疲れさん」


門が閉まるとグリフォンはまた丸くなって眠り始めた。



ハインリヒは城の裏戸から中に入り、三階に直通する階段を上った。
三階の奥には最上階へ上るエレベータがある。エレベータはレバーを引くと、ガタガタと危なっかしい音を立てながら上昇した。

最上階に着くと、ハインリヒは真っ直ぐ魔王の玉座に向かった。玉座の間の扉は開きっ放しになっていて、何やら揉めている声が漏れてくる。
ハインリヒが玉座の間まで着いた瞬間、扉にべちゃりと赤い塊がぶつかって弾けた。そうして扉に張り付いた潰れたトマトのような肉塊が、ずるずると滑り赤い絨毯の上に落ちた。

愉しそうに高らかに笑う声が聞こえてきたので顔を上げると、魔王が子供のように声を上げて笑っていた。ひとしきり笑った後、ようやく入り口に立つハインリヒに気がついた。


「おや、ハインリヒ。戻ったか」
「はい。ただいま戻りました」


ハインリヒは深々と頭を下げ、軽蔑した瞳を魔王から隠した。狼は捕まえられたかと魔王が訊ねたので、顔を上げて首をゆっくり横に振った。


「思っていたより力があるのですね。ミノタウロスを片手で放り投げました」


ハインリヒがそう言うと、魔王は驚いたように目を見開き、次にはまた可笑しそうに笑い始めた。


「まあ仕方あるまい。牛は狼に食われるものだ」
「もう少し協力していただくことにします。私は腕力がありませんし」
「ああ。頭を使えばいい」


ハインリヒは魔王に、数日図書室にこもって獣人並びに東の森についての資料をまとめ、態勢を整える許しをもらった。魔王は獣人の興味が薄いらしく、この件はお前に任せるから好きにおやりと優しく言った。


「ありがとうございます。それから、エルザを少しお借りできますか?」



柔らかな赤い絨毯の敷かれた廊下を、スコーンと紅茶を乗せたカートを押しながら子供のメイドが歩いていた。
メイドの年の頃はハインリヒと同じくらいである。セミロングの金髪は内巻きに綺麗に整えられ、長い睫毛がエメラルド色の瞳を縁取っている。メイド服からは、黄緑色のドラゴンの尻尾が飛び出ていた。


「エルザ」


背後から名前を呼ばれ、エルザはカートを止めて振り返った。


「あら、ハインさま。おかえりなさいませ」
「ただいま戻りました。それは?」
「守衛の方への休憩用のお菓子です。お茶の時間にはハインさまのお部屋にもお届けしますわ」


カートの上に並べられた、赤い模様のついた黒いティーカップとティーポット、ふっくらしたスコーンを順に眺めた後、ハインリヒは顔を上げエルザの方を向いた。


「仕事がひと段落したら私の部屋に来てください。魔王様の許可は取ってありますから」
「あら、お勉強会ですか?」
「はい。数日かける予定ですので、お付き合い願います」
「かしこまりました」


魔王の小さな家臣たちは、互いに頭を下げ合ってから、擦れ違ってそれぞれ廊下を真っ直ぐ進んでいった。



「今回調査するのは、東の森とそこに棲息する獣人についてです」


黒いテーブルを挟んで向かいに座るエルザに向かって、ハインリヒは本を掲げた。本には山猫の獣人の絵と、魔物語で『獣人族』と書かれている。
エルザは両手でティーカップを包むように持ち、本とハインリヒの顔を交互に見た。

ハインリヒの部屋は書庫の隣にある。机や椅子は黒塗り、カーテンやベッドは黒地に赤い模様が描かれている。黒い装束も含めハインリヒの持ち物全ては魔王が用意したものである。大方、腹心である白の側近と対にしたいのだろうと思われた。


「はあ、獣人ですか。わたくしよく知りませんわ」


エルザはハインリヒから本を受け取り、表紙に描かれた獣人の絵をまじまじと見つめた。


「お耳と尻尾が動物なのですね」
「そういう方が多いようです。人間と獣それぞれの姿を持つ方もいます」
「変化の術とは違うんですか?」
「違うようですね。変化ではなくどちらも本来の姿と言えますので」


エルザはふむふむと頷き、本をテーブルに置いて自分の尻尾を撫でた。ドラゴンの尻尾をそっと抱えるエルザの仕草を見て、ハインリヒは「カタチはあなたと似ているんでしょうね」と言った。


「でもなぜ急に獣人について調べることになったのですか?」


尻尾を放してエルザが訊ねた。ハインリヒは紅茶を一口飲んでティーカップをソーサーの上に戻し、スコーンに手を伸ばした。


「東の森は現在魔王様の支配下にありません」
「攻めいるおつもりなのですか?」
「さあ。けれど一応見張りのために森の入り口に塔を建てて獣人やエルフの方を人質として働かせていたそうです」
「ふむふむ」
「それが最近ある獣人によって壊滅させられたそうです。塔の魔物はほぼ皆殺し、人質は東の森へのがれたそうです」
「まあ」
「壊滅の原因となった狼の獣人を追う手伝いをすることになりました。私も獣人については勉強不足ですので、ちょうどいい機会かと」


エルザはスコーンを頬張りながら、納得したように何度か頷いていたが、スコーンを飲み込むと「あら?」と呟いて首を傾げた。


「お手伝いということはほかの方もいらっしゃるんですよね?調べている間にその方が狼の方を捕らえられてしまうのではないですか?あまりのんびりしていられませんね」
「ああ、無い無い。大丈夫ですよ」




ハインリヒとエルザがお茶を飲む黒塗りの巨大な城の、最上階には魔王が玉座に足を組んで座っていた。切れ長の赤い目が気怠げに玉座の間一帯を眺め回し、ふうとひとつ溜め息をつく。頬杖をついていた手を一度離して艶やかな赤い髪を掻き上げ、今度はこめかみに手を当てて顔を支えた。
うら若き乙女ならばその一連の動作にうっとりと見とれてしまいそうなほど、魔王の見目は美しかった。見目だけは。

ああ退屈だ。眠くはないし、腹も減っていない。側近は地図を広げて何やらブツブツ言っているので、なんとなく邪魔できない。側近見習いは仕事に出たきり帰ってこない。ハーレムの女たちにももう飽きたし、そろそろ数を増やしたい。侵入者も裏切り者もいないのでは遊ぶこともできない。外に出てどこか適当な町にでも行ってみようか。

退屈を持て余した魔王が一人で考えていると、階下がにわかにざわめき始めた。
玉座の間には側近と側近見習い以外は無断で入れないように言ってあるので、配下の魔物たちが何を騒いでいるのかはわからない。側近は地図を畳んで部屋から出て、階段を下りていった。


「どうかしましたか?」
「リョート様!あれを……」
「んん?」


ひとつ下の階で、魔物たちは窓際に集まっていた。悪魔の一匹が窓の向こうを指さしたので、側近が近寄っていくと魔物たちが窓からさっと離れていった。


「な、なんだアレ!?」


遠方、海のある方角から、水色の帯のようなものがだんだんこちらへ向かって伸びてきている。帯の先端には胡麻粒のような小さい物体が先導しているのが見える。その後ろには馬車のような物が水しぶきをあげながらついてくる。馬車を守るように、左右と後方にそれぞれ一隻ずつ小舟が付き従っている。
水色の帯は猛烈な速さで魔王城にむかってくる。しばらく呆然としていた側近は、慌てて玉座の間に戻った。


「魔王様!窓の外を!」
「窓?」
「何か近づいてきております!」
「魔王の側近がそんな慌てるもんじゃ……なんだアレ!?」


近づいてくるにつれ、馬車をひいているイルカの背鰭が見えた。小舟に乗っているのは槍を持った魚人たちだ。目を凝らしてみれば、先導している胡麻粒は空を浮くタツノオトシゴである。水色の帯は信じ難いことだが、紛れもなく海である。

帯状の海は魔王城の前まで辿り着くと途切れた。タツノオトシゴもイルカがひく馬車も小舟も城の前で停まった。
先頭のタツノオトシゴは城の入り口の前で止まり、きりっと背筋を伸ばして魔王城の最上階を見上げた。魚人たちが最上階を見上げている。何をするでも言うでもなく、ただじっと見上げてくる。


「わ、私が」


面食らっていた魔王と側近はようやく我に返った。側近が窓の縁に足を置き、帽子を押さえながら窓から飛び降りた。
魔王は窓枠で頬杖を突き、他人事のように門前の客人を眺めていた。

馬車の前にふわりと側近が降り立つと、魚人たちはひざまづいて顔を伏せた。
側近は値踏みするように魚人と馬車を眺めた。馬車の装飾が美しかったのに感心しながら、側近は「どちら様でしょうか?」と誰にともなく訊ねた。
しかしどういうわけか、魚人たちもタツノオトシゴも黙っている。
仮面の下で側近が顔を歪めた瞬間、馬車の中から美しい女の声がした。凛とした透き通る、今まで聞いたことのないような美しい声だった。


「南海を統べる人魚の王族、四代目海の王で御座います」


馬車の天井がまるでびっくり箱のように開いた。そこからぱたぱたと四面が開き、ぱしゃんと軽い音を立てて海に浮いた。
瞬間、魔王の目の色が変わり、窓から身を乗り出した。

馬車の中には金魚鉢のような形をした巨大な水槽があり、人魚の女が縁に手を置いて微笑んでいた。
髪と鱗の色は晴天の日の海のように真っ青で、透き通った瞳を縁取る長いふさふさとした睫毛さえ青い。
貝殻の飾りをつけた髪は、うねりがあるために益々海の波のようだ。肩に乗った海色の髪が風に靡いて揺れる様が思わず見とれるほど美しい。
きめ細やかな白い肌はまるで陶器のようで、体に付着した玉状の水滴が日の光を受けてきらきらと輝くのもまるで絵画のようだった。


「メィルと申します。魔王様にお目通りを」


風に流されるのが疎ましいのか、髪を手で束ねつつ海の女王が言った。側近が口を開こうとしたとき、魔王が窓から飛び降りて側近の目の前に着地した。
魔王は他の者には目もくれず、髪の乱れを直しながら海の女王の方へ歩み寄っていった。


「初めまして、私がこの城の主です。ようこそいらっしゃいました」
「まあ、貴方が魔王様?失礼なことをして申し訳ありません、突然押し掛けてきたりして……」
「いえいえ、ちょうど退屈していたところでしたし」


魔王は海の女王の手を取り、恭しく引き寄せた。


「貴女のような美しいご婦人ならば、いついかなるときであろうが大歓迎ですよ」
「あら、まあ。魔王様ったら、お上手ね」


魔王に取られていない方の手を頬に当てて身を捩らせ、照れたような仕草をしながら、海の女王は思った。

いけ好かない、思った通りバカな男だ。




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