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朝の爽やかな風が吹く中を、小さな黒塗りの馬車はパカパカと軽快な蹄の音を立てて進んでいた。馬車の中に乗客はいない。運転席に二人が並んで座っている。

ジルは寝不足の目を擦り、次に口を両手で覆って欠伸した。昨夜は疲れていたのに一睡も出来なかった。
狼と寄り添って(ていうか勝手に寄り添われて)眠った兎なんているんだろうか。ちらりと隣に視線を動かしてみると、狼の男はよく眠れたのか平然としたものだ。実に腹立たしい。

お前動物の姿だからギリギリ許されるけどあんなん人間のままやったら完全に犯罪だったからな!!!

ああ叫べたらどれほど気持ちが良いだろう!
叫んでやるのに。自分が草食動物でなく、か弱い女でなく、こいつが肉食獣でなく、怖面の男なんかじゃなかったら心置きなく吼えかかっていたろうに。


(大体なんであんなにくっついてきたんだ?寂しがり屋か?ひょっとしてこいつあたしのこと好きなんじゃねーの?)

「へっくし!」
「!」
「失礼」

(ああ……寒かったからか……)


ジルは口元を拭い、身体を縮こまらせた。
ウィアウルフの塔では、外に出ることも許されず、雪が降る頃以外は着るものも殆ど同じだった。そのせいで四季の移り変わりに鈍感になっていたが、もう秋が来ていたらしい。半袖の薄生地の服はもう季節外れだ。


「風邪とかじゃないよ。ちょっと寒いだけ」
「……」
「気にしないで」


とは言ったものの、空は今にも降り出しそうな曇天だ。寒いに決まっている。
半袖のジルに対して、狼の男は厚手の上着を羽織っていた。捕虜として捕まっていたときは当然そんなものは着ていなかった。大方塔から逃げるときにかっぱらってきたのだろう。


「ねえ、今お腹すいてる?」


男は首を横に振った。すると男の隣から女の姿が消え、代わりに小さくてふわふわの、灰色のウサギがちょこんと座っていた。ルビーのような瞳を持った灰色のロップイヤーは、口元をスンスンせわしなく動かしている。
狼の男は手を伸ばしてふわふわしたジルの背を撫でようとした。しかし男の手が触れた瞬間ジルの体がビクリと跳ねて毛を逆立てたので、男は手を引っ込めた。天敵の多いウサギにとっては本能的な反応だから仕方がない。二人とも大して気にせずに、正面を向いて座り直した。
そうしてしばらく馬を歩かせていたら、ようやく林道を抜けた。遠くに町が見える。ジルがほっと息をついたその時、


「ヒヒィイイイン!」
「!」
「!?」


黒馬が悲鳴を上げて転倒した。引っ張られて車も傾いた。
狼の男が反射的にジルを庇おうと手を伸ばしたが、ウサギは素早い動きで男の手をすり抜け、逃げていってしまった。派手な音を立てて馬車が倒れ、濃い土煙が辺りを覆った。煙が引くと、大きな黄土の狼が、倒れた馬の頭に鼻を近づけ、なだめているのが見えた。馬の太ももには短刀が刺さっていた。

林からのっしのっしと、狼たちに近づいてくるものがある。狼は耳を足音のする方へ向けて、顔を上げた。
現れたのはミノタウロスだった。筋肉の盛り上がった体は牛のくせに二足歩行、蹄があるのために靴は履いていない。ベルトをたすき掛けにして大きな斧を背負い、腰には短刀を収めていたらしいカラの鞘が引っ掛けてあった。


「ウィアウルフの塔を襲撃した獣人というのは貴様だな、狼ィ!」


鼻息荒く吼え立てるミノタウロスを、狼はチラリと横目で見て、すぐに視線を馬に戻した。ミノタウロスはにやにや笑いながら、狼に尊大な態度で再度声をかけた。


「恐ろしさのあまり直視もできんか?おうワン公!今ならばオレ様の配下にするとして命は見逃してやらんこともないぞ?どうする?」


狼はヒトの姿に変わり、上着のポケットから小さな袋を取り出すと、脱いで裂いた。男は袋から薬草を一枚取り出すと、馬の傷口にあてがいながら小刀を引き抜いた。薬草のために血が噴き出すことはなかったが、刃が動いた痛みで馬が少し暴れた。男が身体を撫でてやると、馬は悲しげな声を上げてまた地面に寝転んだ。大人しくはなったが、暴れる代わりに気を紛らわせているのか、ずっと尻尾を左右に揺らせている。
ミノタウロスが背中の斧を抜き、のっしのっしと重い足音を立てて狼の男に近づいてゆく。狼の男は振り返りもしなかった。


「無視とは随分な態度だな。おい、ワン公!このオレ様が番犬にしてやるうえ魔王様に口添えしてやろうと言うのだぞ!」


狼の男はミノタウロスに背中を向けたまま、ハアとわざと大きく溜息をついた。それに腹を立ててミノタウロスが鼻息を荒くして、斧を振り上げた。




林の奥、古木のうろのなかで灰色のウサギが一匹、身を縮こまらせて震えていた。垂れた耳が、小さな生き物を余計か弱く見せている。ルビーのような赤い眼が、うるうると今にも涙を零しそうに潤っていた。

ウサギの姿でいるせいでジルは随分と気弱になっていた。本能的に危険を感じて逃げ出したはいいものの、何が起こったかもわからないので迂闊に引き返すことも出来ない。暗いうろのなか、心細くたった一人でいるジルの耳に、何か獣の足音が近づいてくる聞こえてきた。ジルは狭いうろのなかをなるべく奥へ行こうとし後退りして、小さな身体を一層縮こまらせた。
ウサギは天敵が多い。捕食者が多いのだ。本来は狼だってそのうちのひとつで、行動を共にしている今の状況だって、出会いがああじゃなければ絶対に有り得ないことだった。いや、ジルからすればそれでも早々に別れの挨拶をしたいくらいだった。


このままやり過ごした方が良いのだろうか。それとも今のうちにうろを飛び出して逃げてしまう方が良いだろうか。考えているうちに、足音はジルが隠れている古木の前まで来た。
藪を踏み、周りを探っている気配がする。案の定、獣の長い鼻先が、うろの中へずいと入ってきた。

ぴっと悲鳴を上げ、ジルの全身の毛が逆立った。身体は硬直して動かない。狐だろうか、狼だろうか。鼻先しか見えないのでよくわからない。けれどその鼻は、スンスンとうろの中の匂いを確認すると、すぐ外へ引っ込んでしまった。
ジルが首を傾げると、今度は動物の鼻の代わりに、ごつい人間の手がうろの中へ突っ込まれてきた。そこでジルはようやくうろの外にいるのが何なのかわかり、その手に近寄っていった。骨張った大きな掌がそっとウサギを抱え上げ、うろの外へ出した。


狼の男は歩きながら、左の掌でジルを抱え、右手でジルの身体に付いた木の葉やくっつき虫を取ってやった。綺麗になるとふわふわした灰色の背中を優しく撫でた。
ジルは男と会ったら人間の姿へすぐ戻るつもりだったが、抱えられたままなので仕方なくウサギの姿でいた。

馬車に繋がれた黒馬は脚に薬草を貼られ、地面に座り込んで休んでいた。馬車の客室は昨日の矢の跡に加え、倒れたときについたらしい擦れた跡と刃物でつけられた大きな切り傷があった。地面には無数の血飛沫がある。狼の男に怪我はない。

一体何があったというんだ。
元の通り、運転席の隣に座らされたロップイヤーは訝しげな目で狼の男を見た。男は手綱を引いて馬車を出発させようとしていたが、ジルの視線に気がつくと、ふっと不敵に笑ってみせた。ジルは目をそらせた。


(もういい。どうせ訊いたって口が利けないんだから)


諦めたふりをして、ジルは詳しい事情を知ることから逃げた。最初からわかっていた筈なんだ。とんでもない男と関わってしまっただなんて。



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