大陸西に広がる王国は、大陸一の広さと人の数、それと豊かな自然の恵みがある。
その王国一番の宝ものは、大陸一の美姫とも言われるリリア王女。
心優しく臣下をも気遣い、騎士たちに労いを忘れない。城の中庭の一角に自らの庭園を持ち、花を愛でる姿はまるで精霊のように可憐である。


「ね、ね。お願い。今度のお花はわたくしにお世話をさせてくださいな」


リリア姫は白い手袋をはめた華奢な掌を合わせ、侍女に頼んだ。金色の髪に乗せた銀のティアラが、陽の光を反射してきらきらと光っている。


「まあ、リリア様。いけません。お花を育てるのは思ったほど綺麗なことではないのですよ。鋏で手を切ってしまわれるやもしれません。土をいじれば手に汚れがこびり付いてしまうし、虫もいっぱい出るのですよ。お姫様がすることではありません」


侍女がきっぱり断ると、リリア姫はぷうと頬を膨らませた。
中庭の一角にあるこの小さな庭園は、父である国王が姫の十歳の誕生日にくださった場所である。自分のものの筈なのに、花の世話を侍女たちがすべてしてしまうことに、リリア姫はなんとなく合点がいかなかった。
庭園には白いテーブルと二脚の椅子が置いてあり、ピンク色の薔薇がつたうアーチがその頭上を跨いでいる。姫は椅子の一つに腰掛け、両手で顔を覆うようにして頬杖をついた。

切り傷なんてそのうち治るだろうし、土の汚れなんて洗えば落ちるじゃない。虫は苦手だけれど、それこそ花の世話をしていればきっとそのうち慣れてしまうわ……。


姫は唇を尖らせ、むくれた顔で花の世話に戻った侍女の背中を見つめている。その姿を、生け垣の隙間から見つめる人影があった。


「あぁんもぅ、ほっぺ膨らませた姫様可愛すぎるよ。抱きしめて慰めてさしあげたい」


リリア姫の庭園と中庭を区切る高い生け垣の隙間から、姫の姿を盗み見ようと試みる者は少なくない。ただし、女の身でそのような真似をしたがるのは城に使えるもの多しといえどもこの者一人である。
生け垣の向こうにいるのは宮廷騎士団の白い制服を着た背の高い痩躯の女。安麻色の髪を男のように短く切り揃え、後ろ姿だけを見れば男と間違える者もいそうなほどだ。

女の名前はファナ・ヒルベルト・ソル。
かつて世界を掌握せんと非道の業を重ねた魔王を倒すべき存在だという予言のもとに生まれた、"予言の勇者"である。背中に吊された大剣は、大昔初代勇者が魔王を封印したという、精霊と神々の守りを受けた伝説の剣である。
三年前魔王城に向けて旅立ち魔王と退治したが、色々あって勇者としての責務は果たせなかったどころか、魔王と友人になって帰ってきた。現在は宮廷騎士として城に仕え、魔物たちとの友好関係の維持のため大陸中を飛び回っている。
この国が世界に誇る、ふたつ目の宝である。


「おいファナ、いい加減にしろよ。バレたら今まで猫被ってきたのが水の泡だぞ」


勇者の背後で小さな噴水がサラサラと澄んだ水音をたてている。その向こうにレースのような美しい形の背もたれが付いた白いベンチが置かれている。そのベンチに座っていた赤毛の騎士が、呆れたように声をかけた。


「猫被ってなんかいねーし」
「そうですね。猫を被ると言うとまるで可愛らしい女の子の振りをしていたようで少し違いますね」


勇者が姫の方にかじりついたまま吐き捨てるように言うと、その隣で同様に生け垣の向こうを覗いていた長髪の騎士が、爽やかな笑みを湛えて赤毛の方を振り返った。背中には通常よりも細長い剣が吊されている。


「振りなんかしなくてもあたしは可愛い女の子だからね。猫被る必要なんてないね」
「寝言は寝て言え」
「冗談にのっかることも出来ねぇのかよ。つまんねー男だな。なんで生きてるの?」
「そこまで言う!?」
「シィッ!でかい声を出さないでください、バレてしまいます!」


長髪が人差し指を唇に当てて赤毛に怒鳴った瞬間、大きな鷹が低空飛行で庭に突っ込んできた。


「「「わあああああああ!!」」」


死線をくぐり抜けてきた騎士たちとは思えない間抜けな悲鳴をあげ、三人は顔を庇いながら地面に伏せた。鷹は強い勢いそのままに、生け垣を突っ切って姫の庭園に飛び込んだ。
侍女の甲高い悲鳴が聞こえ、勇者は起き上がった。生け垣には大きな穴が開いている。こんな窓が出来てしまってはもう覗きも何もなかろう。勇者は庭園の姫と侍女に向かって声をかけた。


「姫様、侍女の方、お怪我ありませんか!」
「あら勇者様」


姫は勇者に気が付くと、ドレスの裾を抱えて小走りに穴の開いた生け垣へと走り寄っていった。


「驚いたぁ……。どうしたのかしら、立派な鷹でしたけれど」
「鷹は何処にいきましたか?」


勇者が訊ねると、姫は後ろを振り返り、きょろきょろと辺りを見回した。首を傾げ、庭園の奥の方へと足を向けたとき、侍女の声がした。


「勇者様、こちらへ来てくださいな!」


切羽詰まったような助けを求める声に、姫は心配そうに顔をゆがめ、勇者の方を振り返った。
勇者は穴をくぐって庭園に入り、侍女の声がした薔薇のつたうアーチの向こうへ走った。
侍女が胸の前で手を重ね、何か覗き込んでいる。視線の先を辿ってみると、暗褐色の鷹が背の低い生け垣に埋もれてぐったりとしている。


「怪我は?それとも疲れてるの?」


勇者が思わず声をかけると、鷹は生け垣に埋もれたまま、翼を広げて一声鳴いた。怪我はなさそうだ。勇者は顔を綻ばせた。
よく見れば鷹の右足に、くるくると捻った小さな紙が括りつけられている。勇者は「ん?」と眉を顰めた。


「……どこかでお会いしませんでした?」


侍女と姫は身を縮こまらせて勇者の様子を眺めていたが、鷹が返事をするように一声鳴くと小さく悲鳴を上げた。
鷹が手紙を括りつけられた片足を突き出したので、勇者は手紙を外してその場で開いた。勇者が手紙に目を通している間、鷹が勇者の方を見つめてヒョコヒョコ片足を上げたり下げたりしていた。


「ね、あたしのこと覚えてる?」


勇者が声をかけると、鷹は嬉しそうに短く一声鳴いた。


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