海の女王1


ふかふかのベッド。気持ちの良いシーツの手触り。カーテンの隙間から覗く太陽の光。ほのかに感じる、美味しそうなスープの匂い。
きっともうすぐお母さんが起こしに来るんだ。いつになったらひとりで起きられるようになるのって少し怒りながら、ベッドの前までやってくる。


「勇者様」


そうだったら良かったのに。
目を開けて、支度をしたらわたしはあの黒い城に行かなければならない。半年かけてやっと辿り着いた、わたしが今まで生きてきた目標。魔王を倒して、世界に平和を。この悲しい笑顔ばかりの、暗く沈んだ最後の町に、心からの笑顔を真っ先に届けるの。


「さあ勇者様!朝食の用意が出来ましたよ!お目覚めになられまして?」


そうだったら良かったのになぁ〜。
わたしを起こしに来たのは、可愛らしい八重歯を覗かせて笑う、つるつるとした太いドラゴンの尻尾を生やした魔王のメイドさんだった。


「今朝は人魚でダシを取ったスープですよ!人間は滅多に食べないと聞いたので、勇者様のためにこしらえましたの!」
「え、ええ……?わざわざすみません……」
「さぁさ、女性は支度が長いですからね!わたくしは魔王様と側近様を起こして参りますわ!」


メイドさんは鼻歌を歌いながら、尻尾を振って部屋から出て行った。
何故わたしは魔王城でこんな丁重にかつ親しみ深く扱われているんだろう。




わたしが支度を終えて食堂へ行くと、もう側近さんが夕べと同じ席に座ってコーヒーを飲んでいた。


「おはようございます、勇者様」
「おはようございます、側近さん」


側近さんのつやつやとした黒髪は腰まで長々と伸びている。それは綺麗な直毛で、傷んだ様子も跳ねた寝癖も見られなかった。
わたしは昨晩と同じ席、側近さんの向かい側に座った。しばらく話題もないしまだ眠いしで二人とも黙ったまま静かだった。
そのうちぺたぺたと廊下から裸足で歩いてくる足音が聞こえ、魔王が腹を掻きながら現れた。


「おはおー……」
「魔王様、朝弱いんですか」
「なんて締まりのない挨拶だ……」


魔王の黒に近い紫色の髪は寝癖で数箇所跳ねていて、赤い瞳の目は眠そうに細まっていた。魔王も昨日と同じ席に座り、上座で威厳なくうなだれた。


「おはよう。あんたなんで上裸なの」
「知らん……。起きたらこうなってた。ズボンもベルト外れてチャック全開……」
「なんでだよ」
「ああ、それは昨晩勇者様が『あんた見た目は人間と殆ど変わんないけど魔族と人間ってどう違うのー?』と言って魔王様に馬乗りになられて」
「脱がせたのお前かよ!」
「テヘヘ」


そういえば昨日のワイン一気飲みしてからの記憶が殆ど無い。ヤケ酒は良くないことだ。
メイドさんがパンの入ったバスケットやスープマグを長机の食卓に並べる間に、魔王は三回は欠伸した。魔王のくせにちゃんと口を手で覆っていた。


「お召し上がりくださいませ」
「いただきます」
「「いただきます」」


魔王が手を合わせて言うのにわたしと側近さんも倣った。魔王はまずパンをちぎり、わたしはメイドさんに言われたスープマグに口をつけ、側近さんはジュースをグラスに注いでくれた。


「さて、魔王様」


三人分のグラスに注ぎ終えたジュースの瓶を脇に置いて側近さんが声をかけたとき、魔王はパンを持ったまままだ眠そうにうとうとしていた。右腕を掴んで起きろ起きろと揺さぶってみても、焦点の合わない目でぼーっとしたまま。側近さんは特に気にしていないようだった。


「これからなされたいことはございますか?」
「城の模様替え」




「それでなんで本当にやってんのかね。魔王自ら」
「ペンキ足りっかなー」


魔王城は中も外も黒塗りの壁で、掛けられたタペストリーやら骸骨の装飾やらで、昨日まではひどく不気味でおどろおどろしかったというのに、今は引っ越しでもするかのようにホールはがらんどうになっていた。
ホールだけではない。今魔王城では先代魔王の施した悪趣味な飾りや家具を取り払うために魔物が城中を駆け回っていた。朝に魔王がそう命じたからだ。
魔王も自らどこから持ってきたのか薄汚れたツナギを着て、大きなペンキ缶を両手に抱えてホールにやってきた。手伝おうかとハケを受け取り、ペンキ缶の蓋を開けてみると、あろうことか色は白だった。


「なに魔王城を清潔なイメージにしようとしてんだよ!」
「え!?な、なに?何怒ってんの?」
「このペンキ何に使うつもりだよ!?」
「壁が真っ黒で悪趣味だから……」
「馬鹿野郎てめえ白壁の魔王城なんてあたしは認めんぞ!!」


家具を取り替えるのは解る、髑髏だ鬼だの装飾を取っ払ってしまって、普通に高貴な調度品を使うというのは許せる。しかし魔王城の持つ『黒』『闇』『悪』。これらのイメージを消し去ろうというのは許さん。白を基調にするなんて魔物の王がしていいことではない!


「そもそもペンキ代がとんでもないことになるよ」
「あ、確かに」


納得したのか魔王はペンキの蓋を閉じ、傍を通ったおどろおどろしい椅子を抱えた魔物に、外に出るついでに倉庫に戻してくれと缶をつき出した。魔物は恐縮した様子でペンキ缶を受け取り腕に掛けて、開けっ放しの城の玄関から出て行った。


「先代のもの集めてどうするの?」
「取り敢えず外に出して貰ってるからな……。焼き芋でもするか?」
「そんな呪われそうなイモ食いたくねーよ。”先代魔王の調度品”とか銘打って売ればそこそこ値段つく気がする」
「勇者……お前頭良いな!」
「魔王様!」


側近さんが血相を変えて、吹き抜けの二階から叫んだ。そのまま黒いマントを翻して階段を駆け下り、息を切らせながら魔王の前に立った。どうかしたかと魔王が訊くと、側近さんはさっき駆け下りた階段の方へ魔王の背中を押した。


「着替えて下さい!早く!ちゃんと魔王らしい格好をして!」


確かに魔王がツナギ着てペンキのハケ持ってるというのはどうかと思うが、それを抜きにしても側近さんの様子は明らかにおかしい。青ざめ、汗をいっぱいにかいているのはさっき走ったせいだけとは考えにくい。


「どうしたんですか?」
「海の女王が来たんですよ!」
「海の女王?」
「南の海を統治するマーメイドの女王です」
「マーメイド!」
「魔王様、何を期待してるか知りませんが、早く着替えてきて下さいよ」


側近さんがそう言ってまた魔王の背中を押し、魔王は面倒そうに階段を上っていった。早く行け。
二階に上がりきったところで魔王はふっと窓の外を見た。するとぎょっと目を見開いて、肩を跳ねさせた。


「な、なんだあれ!?」
「え?なに?」


わたしは階段を駆け上り、確認する前に魔王の指さす窓を開けた。途端に聞こえたのは、ザザザザザザという大きな波音。魔王城に向かって水色の線がどんどん伸びてくるのが見えた。なんだあれ!?


線が近づくにつれ、その先頭に青い馬車のようなものがあるのが見えた。あれに乗っているのが海の女王なのだろうか。
青い馬車の前には兵隊の帽子を被ったタツノオトシゴがいて、先導しているのは彼のようだ。馬車を引くのは背びれからイルカのように見える。馬車って言うのかな。
その青い箱には、周りを取り巻くように、トビウオや先導の子より地味な兵隊帽を被ったタツノオトシゴ、警護のためか武装した魚人。船に乗っているのもいるし、泳いでくるのもいる。

先頭のタツノオトシゴは城の入り口の前に止まり、きりっと背筋を伸ばして魔王城の最上階を見つめた。残念だけど魔王様そこにいないんだよ。
一行が落ち着いたことで我に返ったのか、呆然としていた魔王がはっとした表情をしたかと思うと、すぐに上階に駆け上がっていった。
ホールにいた側近さんは、黒いマントと装束の乱れを直し、長い髪に少し手櫛を通すと毅然たる態度で城の外へ出て行った。さっきまでの狼狽っぷりが嘘みたいだ。もう側近さんが魔王やればいいのに。

わたしは上階とホールと窓の外を一度ずつ見て、少し迷ったけれど側近さんの後をついていった。


目次
メインに戻る
トップに戻る
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -