白い宝玉1


昔々、人間は町から離れた森や朽ち果てた遺跡に暮らす魔物を警戒しながら、それでも平和に暮らしておりました。

ところがある日、とっても強い魔物が現れて、あっという間に多くの魔物を手下にして軍勢を作り上げました。我こそは魔物の王だと名乗り、権力の証として城を築き上げ、人間たちを襲い始めました。
魔王の部下の住まう地の近隣は、献上品や生け贄を捧げなければなりませんでした。逆らう者は容赦なく殺されました。凶暴化した魔物たちに人間は町から出ることも出来ず、怯え震えて暮らすようになりました。

それを打ち破らんと、剣を携え旅立ったのは一人の若い戦士でした。彼は旅の途中に仲間を見つけ、彼らと共に魔王城に向かいました。
互いに傷つき心身ともにボロボロになりながらも、彼らは魔王を封印することに成功し、世界に平和が訪れました。彼らは英雄として城に招かれ、沢山の褒美と名声を手に入れました。
特に魔王を封印した剣を持つ戦士は『勇者』の称号を手に入れ、歴史に永遠に語り継がれることとなりました。

しかし勇者本人は、自分がそう呼ばれ、世界の英雄となったことを知ることはありませんでした。それは勇者が自身の魂を以て魔王を封印したからでした。



それから何百年と経った頃、平和の戻った世界に再び恐怖と混乱が訪れます。魔王の封印が解けてしまったのです。魔王は以前以上に人間への憎悪に燃え、更に過激に残虐に世界の侵攻を強めていきました。
勇者の称号と世界の平和を求め、多くの戦士が立ち上がります。皆が魔王を封印した勇者の剣を探し求めましたが、剣を引き抜くことが出来た者は誰一人としておりませんでした。やがて剣を求める者はいなくなり、いつしかこんな噂が囁かれるようになりました。


「あの剣を抜くことが出来るのは、かの者を継ぐ勇者となる者だけである」


魔王が再び玉座に腰掛けはや百年。それは誰もが知る予言の年。
大陸中最も大きな国の城の中、魔王の心臓を貫く運命を背負う赤子の誕生の予言。
魔物の大陸統一が急激に進められてゆく混沌の時代、勇者誕生の予言に国中が、大陸中が歓喜しました。



そして、その予言に告げられた勇者が魔王城へ出発したのが勇者が十八歳のとき。それから半年掛けた旅の終焉、勇者が魔王城の玉座へ辿り着いたとき、なんと魔王は一匹の魔物によって既に息絶えておりました。

そこで生まれた新生魔王。彼は先代魔王の悲願、それも完遂間近であったとされる『魔物による大陸統一』の野望を根本から覆すことに尽力し、皮肉なことに世界の平和は魔王によって着々と戻っていきました。


では、本来平和を取り戻す役を担う筈だった勇者はどうしていたのか。
物語は彼女が魔王城から帰ってきて三年後、新緑の季節に移るのです。








「次ぃ!」


向かってきた剣を薙ぎ払い、一人の騎士が控える若い騎士たちに向けて叫んだ。
王城の騎士団の鍛錬場。まだ若い新入りの騎士たちが、剣を携え一人の騎士を囲んでいた。囲まれている騎士は兜で顔は見えないものの、スラリとした華奢な体格で、見た目にはそれほど腕の立つようには見えない。

しかし取り囲み、立ち向かっていく若い騎士たちは累々と地面に積まれていき、次に勇んで向かってきた騎士も、あっさりと地面に倒されてしまう。
中央に取り囲まれていた騎士は『次』の号令を発するのをやめ兜を外し、眉根を吊り上げて怒鳴り声を上げた。


「お前らもっとやる気出せぇええ!女一人から一本取れずにどうやって国を守っていく気だ!」


鍛えられ引き締まった体には無駄な脂肪や筋肉は殆ど無い。括った亜麻色の長い髪が剣闘によって少し緩み、汗ばんだ額に張り付いている。
端整な顔立ちは美女と言うよりは凛々しさが前に出て、態度もどこか男らしい女騎士は剣を振りかざしながら、一歩身を引いて体を強張らせている若い騎士たちに向けて尚も荒々しく吠え立てる。


「男だったら惚れた女とそいつが産んだ自分の子供を守りたいと思って当然、そして守れて当然なのが騎士だろうが!遠慮はいらん!殺す気でかかってこい!」


騎士の頑張りも虚しく、正午の鐘が鳴る頃、鍛錬場に立っているのは女騎士だけだった。



「たるんでる!」


城下町のレストラン、女騎士は騎士団の団長の向かいの席に座り、憤りを露わにしていた。団長の方は可笑しそうに笑うばかりで、彼女の気苦労を本気で捉えようとはしてくれなかった。


「団長!真面目に聞いて下さいよ!こんなんじゃ国を守っていけないよ!」
「今日のはまだ新人ばっかりだ。大目に見ておやり」
「だからって殆ど全員が一撃で倒れるのはどうかと思うんだがね!」
「まあ、勇者殿に勝てるもんがそう簡単に出てくるわけがなかろう」
「そうやって負けて当然と思わせるようなこと言うから覇気がなくなるんだよ!」


かつて魔王を討とうと旅に出た勇者は、騎士として王族に仕えていた。
勇者としての役目を果たせなった自責の念から、また旅に出て自分なりに人助けの道を歩むか、それとも実家に戻り家族を助けることまで考えていた彼女だったが、姫の強い希望と何よりその実力から騎士団員として城に残ることとなった。

年月と経験から少しは大人びたように見える勇者だが、父親代わりとも言える師匠の前ではまだ子供が駄々をこねるような仕草を見せていた。


「わたしより強い奴なんていくらでもいるよ!それこそ魔物になんていくらでも…」


そこまで言うと勇者は物思いに耽るように遠い目をして口を閉じた。

三年前、魔王城に辿り着き数ヶ月をそこで過ごした。けれどそれから今まで、互いに忙しかったために彼女と魔王城との繋がりは皆無だった。手紙を送ろうにも伝書に使う怪鳥は国王が管理しているし、会いに行くには暇がなかった。魔王の忙しさは騎士である彼女の比ではないだろう。あんなに仲が良かったのに、立場の重さと違いは距離を作る。
勇者は俯いて溜息をつき、沈んだ声でうわごとのように呟いた。


「魔王城のメイドさん…海の女王…狼のお姉さん…」
「はっはっはそうかそうか!美人が多いなら魔物と共生するのもいいかもなあ!」


勇者は魔王たちとの繋がりが薄れて少し不満と寂しさが残るものの、そこそこ平和な毎日を送っておりました。
それが崩れるのは、この日からわずか数日後のある日、勇者が騎士の宿舎でまだ眠っていた頃のことでした。







夜はまだ明けきらず、空がようやく白み始めた頃。外が騒がしく、勇者は目を覚ました。他の女騎士が慌てて彼女の部屋の戸を開け、青ざめた顔で叫ぶ。


「魔物の数が尋常ではありません!町にも多く…このままでは城へも入ってきてしまいます!」
「なんだと!?」


城下町には魔物避けのまじないがかけられていて、下級の魔物は侵入できないはず。こんなことは初めてだった。勇者はすぐに鎧を着て宿舎を飛び出し、目の前に広がる光景に驚愕した。

ところどころが赤く染まった真っ黒な雲に空は支配され、澱んだ空気がまるで霧のように漂い視界をどす黒い赤色に濁らせている。そして高台にある騎士の宿舎から見える、城下町を囲う外壁の向こうでは、おびただしい数の魔物が集まってきていた。蠢く魔物たちの影はまるで一匹の大きな生き物のようで、その数は後ろからどんどん足されてゆき、いくらでも増えていきそうなのである。


「あばばばばばば」
「落ち着きなされ勇者殿!」
「だだだ団長これどういうこと!?」
「まだよくわからん。だが城下町には魔物が入ってきてるらしいぞ。騎士はみんな町へ行かせるつもりだ」
「わたしは城の…王様たちの様子を見てくるよ。避難した人たちは城に集めて!」
「おう、わかった!」
「そっちにもすぐに行くからね!」


団長と別れて城へと入ると、中は混乱し、皆涙に滲んだ目で慌てふためくばかりだった。勇者は城への魔物の侵入がまだ進んでいないことを確認したかった。そうしてまた走り出そうとしたときに、何者かにその腕を捕まれた。振り返ってその主を見ると、女王が寝間着のまま部屋から出てきていた。


「これは…どういうことですか?」
「わたしも起きたばかりで詳しくはわかりませんが、魔物が町にも侵入しているそうなのです!」
「なんてことなの」
「だから魔王など信用するべきではなかったのだ!」


背後から責めるような怒鳴り声を聞き、勇者は首を捻って声の方に顔を向けた。黒髭を蓄えた、分厚い鎧に身を包んだでっぷりとした武人が、血走った目で勇者を睨み付けてくる。


「まずは信用させて、それから侵略するつもりだったのだ!私はずっとそう睨んでおったのだ…。小娘の信頼などまったくアテにならんと私にはわかっておった!」
「女王様、城中の呪術者たちを集めて城に結界を張っていただけませんか。せめて城下町の者だけでも!」
「え?ええ。そうですね、しばらくはそれでなんとかなるでしょう」
「よろしくお願いします!」


女王に一礼すると勇者は走り出し、城と町とを隔てる堀の橋へと向かった。


この魔物の侵入が魔王の仕業だとは勇者にはとても思えなかった。恐らく人間の中で魔王のことを一番よく知っているのは自分だと、三年の空白が経った今でも自信を持って言えた。あのいい加減で単純ストレートな男にそんな狡猾な真似が出来るはずがない。やるなら堂々宣戦布告してくるはず。

しかし、魔王のことを知らない者たちはどう思うだろうか。あの鬱陶しいオヤジの言うようなことをきっとすぐに頭に思い浮かべ、他者に言われればあっさり信じてしまうに違いない。そうなれば…


考えに耽りながら疾走していた勇者は堀に着くと足を止めてしばし絶句した。城下町と城を繋ぐ、堀の橋が上がっているのだ。焦って冷静さを欠いている勇者は、怒りにまかせて橋番の門兵につかみかかった。


「おい、どういうことだ!?橋を下ろせ!」
「ゆ、勇者様!?ごごご心配なさらず騎士たちならとうに町へ…」
「これでは町の者が城へ避難できんではないか!さっっ、さと橋を下ろさんかい!」
「落ち着いて下さい勇者様!橋を下ろせば魔物がこちらへ渡ってくるやもしれません!」
「あ、そうか。じゃあ騎士団長にも女王陛下にも城へ避難民を集めるように言ってあるから、町の者が来たらすぐに橋を下ろして…」


アオーン


「!?」
「狼か!?夜も明けたというのに…」
「魔物に野獣まで触発されて向かってこられたらひとたまりもありませんぞ!勇者様!」


アオオーン


ひときわ大きく、狼が鳴く。見ると片耳の欠けた大きな狼が、朝日を浴びて毛皮を金色に輝かせ堀の向こうに座っていた。狼はぐっと身を構え、体のバネを最大限に使って堀を飛び越えた。


「ひぃいいっ!」
「な、なんだこいつデカすぎるぞ!」
「まさかこいつも魔物か!?」


目の前に立った金の狼のあまりの迫力に、門兵二人は完全に腰が引けてしまっていた。勇者一人がその場から後退りも剣を構えることもせず、呆然とその狼を見つめ続けていた。
そして一歩、また一歩と狼に近づいていき、門兵たちが止めるのも聞かず、むしろ聞こえていなかったのではないかと思えるほどまっすぐに、狼の瞳を見つめながら手を伸ばした。


「…獣王様?」


勇者がそう狼に呼びかけると、ぴくりとも動かず勇者の瞳を見つめ返していた狼はその姿をヒトに変えた。
狼の毛色と同じ髪。ぎらぎらと鋭く光る瞳。毛皮のロングコートから覗く、胸板から腹にかけて斜めに入った大きな傷。


「嬢ちゃん、随分立派になったじゃねえか」
「獣王さまああああ!」


懐かしい姿に勇者が抱きつくと、獣王はそのまま勇者をひょいと肩に抱え上げた。


「え?」
「ゆ、勇者様!」


門兵たちは震えながら獣王の方へ槍を構え、獣王はそれになんの怯みも見せず口角を上げてこう言い放った。


「東の森の獣王より、国王殿に勇者殿をお借りするとの伝言をお頼み申しあげる」


獣王の足元からブワッと風が起こり、それは竜巻のように螺旋を描いて彼らの体を囲んでいく。


「ちょ、じゅ、獣王様!?」
「世界の平和を守るのは勇者様の仕事だろ」
「そうだけど…え!?何これちょっ」


風が止むのと同時に獣王と勇者の姿は消えた。




目次
メインに戻る
トップに戻る
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -