あと六日


魔王と勇者の国の姫君が婚約したと報じる号外が出たのは日が傾きかけた頃だった。


「うわあああああああああ!!!」
「最悪だぁあああああ!」
「いやだああああああああああ!!」


号外を握りしめ、涙に濡れているのは国の騎士団の中で私設に作られた姫様親衛隊の者たちである。
いつか姫様が嫁いでいくのはわかっていた。もう年頃で、美しく成長された姫様がいつまでも子供のように遊んでおられるわけにもいかないだろう。
そんなことはわたしにもわかっていた。ここで泣いている者たちもわかっていただろう。けれど相手が魔物であるなどと、一体誰が予想できようか。わたしは虚ろな気持ちのまま、皮袋に回復薬や保存食を詰めて懐にしまい、階段をゆっくり踏みしめながらみんなのいる食堂へ降りた。


「魔王殺しに行くけど誰かパーティー組まない?」
「気持ちはわかるが落ち着けよ……多分誰と組んでも無理だから」
「幸せ絶頂の新婚赤毛野郎にわたしの気持ちがわかるものか!姫様親衛隊隊長のわたしが殺しに行かずに誰が行くってんだコンチクショウ!」
「せめて勇者として行ってくれ」


床に膝をつき、拳で床を殴り、男泣きさながらに頬を濡らすわたしを一体誰が責められることだろう。貰い泣きに濡れて更に大声を張り上げる姫様親衛隊の同士たちも、誰にも叱責されるいわれは無いのだ。あの可憐で美しい花の精のような姫様が無骨な三代目魔王の妻となるなどと、それこそ神への冒涜である。許されようはずがない。姫様を慕う者であるならば、わたしらの反応こそ当然なのだ。


「式は六日後って……、随分急な話ですね」


騎士の一人が号外を読みながら呆れたような声で言った。確かにあまりに性急すぎる。魔族の感覚に合わせたのか、それともとにかく早く決めてしまいたいのか。なんにせよこの性急さが国王様の意志であることは間違いなかった。
魔王が姫様に逃げられないよう焦っているのだと噂する者もいるが、そんなはずはない。逃げられたら逃げられたで、あの男はちっとも気にしないに決まっている。


「とにかく、この婚礼が恙無く済めばこの国は安泰だ。魔物の権力者と王族が確固たる繋がりを持つのだから」
「姫様にはお可哀想なことだが、今の魔王はそう悪くもないらしいから……」


時が経つにつれ徐々に嘆く声が小さくなり、互いに慰め合いどうにか納得しようという意思が濃く部屋に漂い始めた。わたしも立ち上がり、埃を払って剣を背負い直した。何処までも納得がいかないのはきっとわたしだけであろうという気がした。

食堂を出て騎士の宿舎に戻ろうとしたところ、城の侍女がひょっと顔を出してわたしを呼んだ。
姫様が呼んでいらっしゃるから、すぐにでも姫様のお部屋に行ってくれということだった。





「覚悟はありましたわ。いつかはお父様の決めたお相手とこうなることになったのですから」


部屋に通されるなり時節の挨拶すら無く、姫様は婚礼の話を始めた。城の中ではこの婚約に対して、目立った反抗はしないものの姫様を憐れむような目で見る者が殆どだった。
それに反して姫様は平気な顔をして、平生通りにこにこと上品に微笑んでいた。相手が魔物であろうと人間であろうと、自分で決めた相手と結ばれることのない彼女にとっては同じことなのだろう。そう思うとますます姫様がいじらしく思えた。


「それに私、魔王様でしたら構いませんわ」


姫様のはっきりとした物言いが、わたしの胸をざわめかせた。胸が締め付けられる思いがした。いっそ嫌だ嫌だと泣き叫んでくれれば良いものをとすら思った。
姫様はにこにこと笑いながら、強がりから嘘をついているとは思えないような弾む声でこう言ったので、わたしは何も言えなくなってしまった。


「だって魔王様は勇者様ととっても仲の良いお友達ですもの。嫌なお方のはずがありませんもの」


確かにわたしは魔王と親交深く、もはや宿命の敵という概念を放り捨てただの友人であった。隣に並んでカフェやレストランに足を運ぶこともあり、魔王城に泊まることもあり、初めて会ったときから妙に気が合うもので話始めれば延々と言葉が続いた。奴にわたし以上の友はいないだろうと思われる。同時にわたしにとっても奴以上の友はいなかった。

しかしそれと今回の婚約問題とは別だ!
わたしは絶対に認めない。よりクズな男を並べて「まあこいつよりはマシか」とは言えても、「魔王こそ姫様にふさわしい!」とは口が裂けても言えないのである。これ以上の不幸があろうか、叶うのならば姫様をさらって田舎で二人静かに暮らしたい。
身分不相応なことを考えていると、姫様が近寄ってきてそっとわたしの手を取った。


「それでね勇者様。私、貴女にも一緒に来ていただきたいの」


姫様はわたしの手を両手で優しく包み込みながら可愛らしく微笑みかけてくださった。何故わたしが剣を取るのかと考えれば、いきつく答えはこの笑顔のためである。


「私の騎士として、嫁いだ後も変わらず傍にいてほしいの」


わたしはこの国の騎士団に所属しているが、実質わたしの主君は国王様ではなく姫様だ。
こんなにも愛くるしい笑顔と懇願の声を聞いて、「勿論です、我が君」以外の返答をする選択肢をわたしは知らない。



魔王から怪鳥を介してわたし宛に晩餐に招待する手紙が届けられていたので、その上から赤いインクで「死ね」と書いて送り返した。



晩餐に招待する手紙を出したら文を塗りつぶすように赤いインクで「死ね」と書かれて送り返されてきた。インクが乾ききらないうちに紙を縦に吊したとみえて、文字からだらだらとインクが流れていて、さながら血文字のようだった。どう考えてもわざとやったとしか思えない。
隣から覗き込んできた側近がその書状を見るなり、黒目を流れるように動かして俺の顔を見た。同じようにして俺も側近と目を合わせた。予定していた晩餐は恐らく中止であろう。

怒っているだろうと思ってはいたが、まさかこうもとりつく島もない状態であるとは予想外だった。今までは、いくら乱暴な言葉を吐き捨てて冷たい態度を取ったとしてもいつの間にか機嫌を直して平生通りに戻るものだから、申し訳ないと思いつつその優しさに無意識のうち甘えていたのやもしれない。
そう側近に言われると「確かに」と頷くよりほかなかった。いくら腹を立てていても最後は許してくれるだろうという確信があった。それを甘えだと言われればそれまでだ。


「しかしもう決まったことだぞ」
「それでも勇者様がお怒りになるのは当然です」
「今更拒絶して何になるんだ」
「そういう問題ではないでしょう。やはり初めに貴方から言うべきだったのではないですか」


側近は平生通り事務的な口調で辛辣なことを言うと、長い髪をかき上げながらさっさとどこかへ歩いていってしまった。腰まで伸びた側近の髪を眺めていると、よくあそこまで長々と伸ばしてつやつやと輝くように手入れをしていられるものだと思う。さぞかし面倒であろうに。
改めて手紙を見返してみると、絶望的な光景を描いた絵画であるように思えてきた。死ねと本気で思っているいないに関わらず、憎悪にも近い怒りを抱いてこの文字を書いたことは明らかである。深いため息をつきながら手紙をくるくると丸めて、自室に戻って引き出しにしまった。捨ててはいけないような気がした。

損ねた機嫌を戻すために何をすれば良いかと考えてみるが、女の機嫌を直すために何かした覚えがないのでさっぱり方法が思いつかなかった。そんな面倒なことをしたいと思ったことすらなかった。
結局思いついたのは素直に謝罪を入れて、件のことに自分の口から説明をした後なにか旨いものでも食わせてやろうということだけだった。つまり、やはり晩餐に連れてくるべきだということだった。




人間の城を訪れるつもりであったのが、偶然にも城下町で王国騎士団の団長に会ったので勇者に会いに来た旨を伝えた。団長は逞しい手指で顎を撫でながら、首を傾げてこう言った。


「聞いてませんか。勇者殿なら休暇を貰って今朝方郷里に戻られましたよ」
「休暇……?」
「そういえば昨日の夜申し出たそうだから、そりゃ聞いてないのも無理はありませんな」


俺の怪鳥が勇者のところへ着いたのが昨日の日暮れであるはずなので、休暇を申し出たのは俺の手紙を見た後だということになる。
そんなにか。そんなに俺に会いたくないか。


「まあ近いとこ城を離れることになるから、その前に家族に会っておこうと思ったそうで」


そう言われると、誘いを拒絶されたことへの不服も不満もみな消えてしまった。その理由で故郷に帰ったのなら、俺のせいであると言わざるを得ないからだった。
団長とはそれで別れた。団長はまだ何か話したい風であったが、俺は礼だけ言ってすぐ城下町を後にした。客人を招いての晩餐は中止であるとメイドたちに伝えなくてはならないので、なるべく早くに魔王城に戻ろうと思ったからだった。
団長が最後の挨拶に、背後から「ご婚約おめでとうございます」と声をかけてきた。歩きながらに声をかけられたので、振り返ったとき既に団長とはだいぶ距離が離れていた。団長は笑って手を振っていたのでこちらも振り返した。


このとき俺はもっと団長と話をするべきだったのだ。そうであれば、きっとあそこまで大事にはならなかっただろう。


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