勇者の予言
荒ぶる魔物の頂点に、君臨するは我こそと、魔王が玉座に腰掛けはや百年。魔物の暴挙に人々は、殺され怯えて悲しんで、町の外へも出られない。
人の世界の各国で、魔王を討てと王が戦士を募る。何十年も昔から、多くの戦士が魔王を討つため城へ行き、誰も魔王を倒せない。暴君極まる魔王様、未だ玉座で足を組む。
人の世界で一番大きな国で、ある日城中が歓喜した。国一番と評判の、老婆の魔女が予言した。
『あと三度太陽が昇ったら、東南にある小さな村で、魔王の心の蔵を貫く赤子が産まれよう。』
暴君極まる魔王様、予言は知らずに玉座で頬をつく。
*
予言から18年。
黒塗りの大きな城の前で、目深に被った長いマントを風にはためかせながら剣士が一人立っていた。城の頂点を見つめると、剣士はまっすぐ城の門へと歩いて行った。
「……おかしい」
誰もいない廊下で剣士は一人、呟いた。
門番はいないし、城の中に魔物は居ないし、罠はことごとく壊れてるし、エレベーターやらの仕掛けは作動させ放題でショートカットし放題。一体この城はどうなっているんだ。
父の形見の懐中時計に目をやると、案の定城に入ってから大した時間は経っていなかった。しかし剣士は無傷で最上階まで辿り着いてしまっていた。
横幅の広い廊下には、燭台が広い間隔を開けてぽつりぽつりと灯っているだけ。暗く、その先に何があるかは見えない。魔王の玉座は、本当にこの先にあるのだろうかと不安に思えてくる。
剣士のブーツがコツコツと鳴る音以外は、城の中は至って静かなもので、襲いかかる魔物の気配はなかった。しかし、しばらくすると廊下の奥に、ぼんやりと蝋燭の光があるのが見えた。壁につけられた燭台のものではない。誰かが持っている。
腰につけた短剣と、背に吊るした剣の位置を確かめ、剣士はその光に向かって歩いて行った。
蝋燭の三本ついた燭台を手に持つのは、艶やかな黒髪が腰まで伸びた華奢な男だった。黒いローブを着ているので魔族か魔法使いかだ。男は剣士をまっすぐ見つめ、「通りますか?」と静かに言った。
「通るつもりですけど……」
「そうですか。では私のことはお気になさらず。どうぞ」
「いやいやいや」
黒い男は剣士を促すように廊下の先を腕で指す。剣士は頭を抱えた。
ますます意味がわからない。
魔王城にいるのだから、魔法使いだったとして魔王討伐に協力してくれるとか、魔族だったとして人間の自分の邪魔をしてくるとか、選択肢としては大体そんなかんじだろう。お気になさらずってなんだ。
剣士はマントを被っているので、男に表情は見えない。しかしあからさまに困惑した仕種で頭を抱えてその場から動かないので、黒い男は剣士にまた話しかけた。
「つかぬことをお聞きしますが、貴方は魔王討伐に来た人間でしょうか?」
「そうですが」
「なら、どうぞ通って挑んでご覧なさい」
どうせ勝てるわけありませんけどね。言葉の端から彼の本心が聞こえた。
黒服の男が改めて指した先を見ると、少し遠くに大きな扉が見える。あの先に魔王がいるのだろう。しかし、
「……つかぬことをお聞きしますが、貴方は一体何者でしょうか?」
「私は僭越ながら魔王様の側近をさせて頂いております」
「普通側近の人って『魔王様のお手を煩わせるまでもない!私がお相手いたしましょう!』とか言って邪魔してくるもんじゃないんですか?」
「私、政治担当というか、弱いんです」
「……じゃあ、本当に行っていいんですか?背後から攻撃とかないですか?」
「ありません。安心してお行きなさい」
「魔王のところに行くのに?」
「では。この廊下の間だけ、つかの間の安心を」
「……行ってきます」
釈然としないが剣士は魔王の側近に会釈して魔王の居るらしい扉へ歩いて行こうとした。そのとき、激しい轟音と共に城中に響く振動があり、剣士と側近は驚いて玉座の方へ目をやった。
剣士はてっきり魔王城に施された仕掛けか何かで城が崩れるのではないかと思ったが、側近も当惑した顔をしていたし、何より振動はすぐに止んだ。剣士は走って廊下の奥の重い扉を開けた。
扉を開けると、広い玉座の間の一面に大量の血が流れていた。開いたときは気がつかなかったが、赤黒い血が扉の隙間からも流れて廊下へ伝っていた。
自分の前に来た討伐者が魔王の前に倒れたのかと、剣士は青ざめた顔をゆっくりと上げた。きっと目の前にいるのは、返り血を浴びてにやにや笑う、異形の化け物、魔王。
そう思っていたが、予想は大きく外れた。
装飾を多くつけた巨大な赤いドラゴンが床に横たわり、その体から随分離れたところに黒い宝石を額につけた首がうつ伏せに転がっている。
「これが玉座か。一回座ってみたかったんだよなー」
玉座の方を見ると、返り血なのか彼本人のものなのか、血まみれの若い男が上機嫌で足を組んでいた。人間と殆ど変わらない容姿をしているが、紫の髪に、赤い瞳。笑う口から立派な牙が覗き、背中から黒紫の翼が生えている。
呆然としている剣士の背後から側近が現れ、大した感慨もなさそうな声で呟いた。
「勇者ではなく魔物が倒したってことは、彼が次の魔王さまってことになるんですかねえ」
剣士がふらりと目眩を起こして地べたに膝を突くと、青年は慌てて玉座から降りて手を差しのばした。
「おい、大丈夫か!」
「優しくすんな!完全なる八つ当たりだがふざけんなよ!どうすんだよもう!」
「どうかしましたか」
「母さんになんて言おう……。王様には?城の皆様になんて……それに魔物に先を越されたなんて民がどう思うか……」
剣士はマントの上から頭を抱え、掻き毟ってマントにぐしゃぐしゃと皺を作った。
側近と魔物の青年は腰を屈めてその様子を眺めていた。側近は大した興味もなさそうな顔をしていたが、青年は眉を八の字にして気の毒そうに剣士を見つめていた。
「色々と期待を背負ってこられたようですね」
「人間でこの若さってことはまだ子供だろ?酷いことするなあ人間は」
「自分だけの責任ならまだいいけど!予言者の方がなんて言われるか!」
剣士が俯いていた顔を二人に向けて怒鳴るように言った。目深に被っていたフードから剣士の顔が初めて覗き、側近と青年は目を丸くした。
「貴方が予言の勇者だったんですか」
「人間は本当に酷いことするな……」
「全くです」
魔物たちにも心あり。我らが魔物の頂点に、君臨するはてめえじゃねえと、年若の竜が牙をむく。暴政極まる魔王様、遂に地べたに額をつける。
出遅れて現れた、予言の勇者に側近と竜は声を揃えて驚いた。
『年頃の娘を魔王に向かわせるだなんて!』
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