かじかむ指と染まる頬







手袋に手を通すと、黒い生地の先から肌色がのぞいた。
いつ開いたかもはっきりしないが、だいぶ長く使っていたもののように思えた。


教授は仕方なしに手袋を外して鞄に放り込んだ。
暖房の効いた汽車から降りた瞬間、刺すような寒さを感じてくしゃみが出た。今まで暖かかったぶんの反動が強いせいもあるだろうと思った。



駅のホームにはつがいだろうか猫が二匹棲みついていた。人馴れしているようで、教授が手を伸ばしても逃げようとはしなかった。

しかし喉を掻いてやっても、ごろごろという音は鳴らさなかった。
少しずれたマフラーを巻き直し、教授はホームを出た。




教授は出不精な男だった。
ふらふらと近所を散歩することはあるが、遠出して旅行に行ったりを進んでするような男ではない。


しかし、大学の教授、殊に文学に手を出す者ともなれば資料、小説の舞台に足を踏み入れる必要もある。彼は専門は生物学だが嗜好の話になれば文学や歴史の方がよっぽど好きだった。
それを聞きつけた他の大学博士たちは是非自分たちの研究にも参加してくれと彼を誘う者も多かった。若いながらも、彼の名は他のどの大学教授より知られている。


それがなくとも他の国からさえ講演を頼まれることすらある。
人ごみ嫌いな彼は観光すらせず、必要最低限にしか動かないが、興味をそそられるもの、付き合いから行かねばならないもののためにこうして汽車に乗る。




二週間。
今回彼が家を開けて経った時間だ。いくつもの大学に講演を頼まれ、結局長期旅行になってしまった。数年に一度、こうした講演旅行を行わざるを得ない。


しかし自分の講義に一体どれだけの価値があるのか、わざわざ遠方の大学からこんな若造を呼び出して何か意味はあるのか。彼本人にはさっぱりわからなかった。


しかし実際、彼の講義はわかりやすい。
小難しいことをだらだらと続け、勉強した気にはなるが結局内容はよくわからないまま終わる者や、脱線した話が面白く、人柄は良いがそれ故講義が先に進まず最後は急ぎ足になる者はよくいる。
教授は難しい内容をかみ砕き、解り易く説明するのが巧い。それはまさしく、彼自身が内容を理解しきっていることを指す。


しかし、彼は昔から称賛の声をかけられても、何か具体的に賞を与えられたとしても、特に喜びを感じたことはなかった。

実験の成功、発見、それらに喜びは感じる。そうでなければ学者など続けられるわけがない。
ただ人からの注目が強くなるほどに教授は不愉快に思うようになった。


いっそ自分の研究成果を誰かに売ってもいい。そう思うことすらあった。
しかしもしばれたら自分まで信用を失いかねない。そんな馬鹿らしいことは御免だと、さすがに実行しようと思ったことはなかった。


今までで最も嬉しかったのはいつだ?なんのことだった?
ふう、と息を吐けば一瞬にして凍り、真白に形づけられてすぐに消えた。



あのときだ。
生まれて初めて見た化け猫。
まと来いよ、と言ったらこちらを振り返って返事のように長く鳴いた。
そのあと本当に会いに来た。
きっとあのときほど嬉しかったことはない。



「みゃあ──お──う」



駅を出てすぐにある花壇の縁に黒い猫が丸まっていて、教授の姿を確認すると大きく鳴いた。教授が自分に気づいたことを確認し、自身の黒い体に積もった雪を毛を逆立たせて振るい落とし、黒猫はもう一度鳴いた。



「…なにやってんの」

「みゃあ」



呆然と、久し振りの挨拶も忘れて教授はそう言った。
ヴィオラは他に人もいるせいか言葉は話さず、また鳴き、花壇の縁から教授の肩に飛び乗った。
猫の身体能力に感心するよりも早く、ヴィオラがごろごろと喉を鳴らしながら首に頭を押し付けてくるので、教授は指先が冷たくかじかんでいるのをのをすっかり忘れてしまった。
















おかえりなさい。






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