「せっかちさんやねえ。そんな焦らんでも、ウチはどこにも逃げたりしませんし」


男に組み敷かれた女がくすくす笑う。暗がりの部屋にある明かりは、障子窓から差し込む月明かりだけ。畳中に巻き散らかすように広げた女の長い髪をひと束、男がそっと掴み上げる。


「イツ。頼みがある」
「なんでしょ」
「頼む。足洗ってくれ」


男の懇願する声に、イツと呼ばれた女性は笑みを浮かべていた唇を真一文字に結んだ。


「今更何を言いますの」
「そもそもなんでお前みたいな女がいるんや。お前は自分の暮らしに不満はないやろ」
「ウチにはなくても紛争地域の人にはある」
「オレはお前を危ない目に遭わせたくない。わかってくれ」


畳に寝転がったまま男に抱き締められ、イツはしばらく黙っていた。その顔は、恋人に心配され抱き締められる女の顔には見えない、冷めた瞳の無表情だった。


「何をよ。女だからってバカにしとるんちゃいますやろね。ウチ、警察なんかちいとも怖くない…」
「警察に捕まりゃ、運は上等にいいや。本当に怖いのは鎮圧軍さ」
「鎮圧軍の何が怖いって言うの」
「捕まったことのある暴徒から話を聞いたもんはみんな言っとる。拷問小隊の黒川に捕まるくらいなら死んだ方がマシだってな」


イツは一瞬目を丸くしたかと思うと、ぷっと吹き出してまたくすくす笑い出した。男は真面目に聞いていないなと顔をしかめたが、次の瞬間にはだんっと背中を打ち付けられて今度は自分が目を丸くすることになった。

今の今まで床を背に自分の下で転がっていた女が、天井を背景に自分の上に乗っかっていた。それも色っぽく馬乗りになっているわけではなく、膝を立て男の耳元に足をつき、鼻先に拳銃を突きつけて冷ややかな目で男を見下ろしていた。


「鎮圧軍や」


男の様子になど全く意に介さず、拳銃を向けるイツは低い声で吐き捨てる。


「持っとる情報、洗いざらい話して貰おうかいのう、旦那ァ」







鎮圧軍は白壁の角張った建物で、休憩室にはテラスが隣接していて天気の良い日はそこで犬を洗ったりする。そこから大して離れてない位置に猛獣を囲う広場があった。それは入り口が地下室にあるので勿論鎮圧軍と隣接していた。木園荘一はその日虎やライオンや狼にぐるり周りを囲まれながらそこで昼寝をしていた。

伊万里時雨は久しぶりに荘一と二人で夕食が食べたくて、別にそのことに意味なんて無くてただの気まぐれだったのだがどうしてもそうしたくて彼を探してそこまで辿り着いた。
勿論猛獣のいる広場に入るのは危険なので彼女は動物園のような牢獄のような白い柵とその向こうにある電流の流れる有刺鉄線を挟んで彼を見つけた。


「荘一兄ちゃん、夜に一緒にご飯食べようよ」
「いいねえ。鍋はまだ早いから焼き肉かなあ」
「二人でだよ」
「そう。じゃあ何が食べたい?」


二人は全く赤の他人だったが荘一は時雨を妹として愛していたしまた時雨も荘一を兄として慕っていた。二人で食事をすることにはなんの意味もない。
荘一は立派なたてがみの生えたライオンの腹を枕にして目を閉じていた。時雨が声をかけるのと同時に目を開けたが、時雨が話すことが無くなり黙るとまたまぶたを閉じた。ライオンは大きな欠伸をしてついでのように鳴き声を上げた。


「荘一兄ちゃんはどうして動物と仲がいいの?」
「お喋りが出来るからだよ」


薬液に浸けた血液から武器が作られれば本人の意思に関係なく強制的に鎮圧軍に入れられることになっていた。
木園荘一の血液から作られたのは動物の言葉が理解できるようになる液体だった。文献に残るその液体を飲んだ鎮圧軍の職員は専らそれを鳥や猫に協力を仰いで調査に使ったが、荘一は第拾小隊への異動が決まったときから猛獣を飼い慣らし拷問や後始末に使うようになった。荘一はだって普通なら猛獣と仲良くなんてなれないでしょうと言って笑っていた。


「ねえ、夜には何が食べたい?」







「黒川ちゃーん!電話ー!」
「はーい!」


小走りで休憩室に飛び込んだ今宵は、六呂から受話器を受け取り電話に出た。


「お電話代わりました…あ、アニキ。お疲れ様です。明日?はいわかりました。…はい。お疲れ様でした。気をつけて」


がちゃん。


「みじかっ!」
「わたし電話はいつもこんな感じですけど…」
「女ってもっと電話長いもんとちゃうの」
「勤務中は別だと思いたいですね」
「衣束なんだって?」
「明日戻られるそうです」
「三条君は?」
「まだ連絡がないのでお戻りになるのはまだ先かと」


鎮圧軍には電話が一台しかないので基本的に内容は筒抜けだ。六呂、闇慈、青葉が口々に今宵に声をかける。小隊長たちに囲まれていても今宵には緊張の色が一切見られない。
無表情で淡々と話す姿は常日頃誰に対しても変わらないので、今更それを無礼だと憤慨する者はいない。


「ただいまー!」


爽やかに笑いながら荘一が休憩室に入ってきた。後をついてきた時雨もそのままソファ、闇慈の隣に座り、彼が摘んでいた金平糖に手を伸ばした。
荘一は今宵の傍まで歩み寄り、会話を求めるようににっこり笑いかけた。


「おかえり。よく寝れた?」
「はい。やっぱり動物と寝ると安心できていいですね」
「ライオンと昼寝して安心できる奴なんて他にいねえよ」
「あははははは!」
「今アニキから電話あって、明日には帰るって」
「本当ですか?なんか進展あったんですかね」
「どうだろうね。何も聞いてない」
「まあどうせ明日報告書持ってくるでしょう」


青葉がそう言うと今宵は黙って頷き、用は済んだので小隊室に帰ると言った。休憩室を出る途中、時雨が数粒金平糖を掌にのせて今宵に突き出し、今宵はお礼を言ってそれを受け取ると口に放り込んだ。
今宵が傍を通ると鈴をつけた黒猫が起き上がり、くあーっと大きく欠伸をして伸びをして、今宵の後をついていった。


「僕も仕事に戻らなきゃ」


今宵の背中が見えなくなると荘一がそう呟いた。時雨は金平糖をすっかり平らげて、他に何かつまみはないかと休憩室の戸棚をあさっていた。


「時雨は?」
「アタシはまだ昼休み」
「お前ガキの頃からよく食うなあ。太るぞ」
「つーか太ったよな時雨。腰こんなに肉あったか?」


六呂が時雨の腰をまじまじと見つめ、首を傾げながらそう言った。時雨は雷に打たれたようなひどくショックを受けた顔になり、戸棚をあさる手を止めた。


「六呂おじちゃんはそんなだから女の人にもてないんだ!!」
「な、なんだと!?おじちゃんこれでも学生時代はもてたんやぞ!」
「学生時代の話じゃん」
「何十年前の話なの」
「おじちゃんらにとってはいつまでも子供かもしれないけど、アタシはちゃんと成長してんだよ!もう立派な女なんだよ!失礼な事言うな!」
「勤務中にも上司にタメ口使っちゃうような子を大人とは認められませんー。お前はまだ子供ですー」
「僕からしたら六呂君も子供だけどね」
「六呂おれらより先輩なのにな」
「もー!もおおお!」


ぎゃあぎゃあやかましい休憩室を、荘一はとっくに出て行っていた。犬も猫もいつものことだととうに慣れていて、変わらず眠りこけていた。


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