「後を尾けろ」


椛がいなかった日、川井が不機嫌そうにそう言った。
明智と伏見は神経質な彼が爪を均等な長さに揃えてヤスリで削ることには何とも思わないほどに慣れていたが、その言葉には驚いて川井を見た。
鮎川は三人がよく見える部屋の奥で、ただにやにやと笑っていた。


「あの女は何者だ」


川井が伏見を睨み付け、伏見は困ったように眉を寄せた。何者かと訊かれて、答えられる情報は何もないのだ。川井が立ち上がり、そのまま詰め寄っていった。


「確かに教養は大した物だが、あんな素性の知れない女を本気で信用しろと言うのか!?」
「それは、」
「何を訊いても『秘密』だと?信用するにはあっちが私たちを信用していないじゃないか!」
「そんなことはないさ」
「ああ、あんたの人柄は知っている。だが、それにしても彼女は――」
「川井」


そこで今まで黙っていた明智が口を開いた。川井は不機嫌そうな表情のまま明智の方に顔を向け、明智は川井と目が合うとゆっくりと目を細めた。


「黙れ」


伏見の不安の色の濃さが増し、川井の眉間の皺が深くなり、鮎川の口角がますます上がった。
明智は四人の中で一番育ちの良さそうな優男で、暴徒という単語から一番遠い外見と性格をしていた。長い足を組み、白く長い指を顎の下に置いて頬杖を突き、細めた目のまま川井を見上げていた。


「伏見さんが信用するならオレたちも信用する。最初にそう言ったろう?」
「……」
「伏見さんの人を見る目は知っているだろう?彼が声をかけた人から裏切り者は出たことがない」
「わかっている」
「不服そうだね?」


明智は首を傾げて俯いた川井の顔を覗き込んだ。そしてその表情を確認すると、ふふんと笑って立ち上がった。椅子の背に掛けていた上着を腕に抱え、すっと背筋を伸ばしてまた川井と向き合うと、優男特有の、どこか人を挑発するような笑みを口元に浮かべた。


「どうしても気になるなら、もっと彼女と話しなさい」


そう言って明智は仕事があると出て行った。伏見は力無く笑い、川井は俯いたまま唇を噛んだ。鮎川は三人の様子を部屋の奥で眺めながらにやにや笑っていた。







風が吹けばさらさらと流れる薄い色の直毛。真っ白な肌。目を伏せれば影を落とすほどの長い睫毛。華奢な体。

椛が初心な男を惑わすには充分すぎるほどの容姿を持つことが、川井には既に胡散臭く見えた。伏見のことは信用している。真面目で性質の優しい良い男だ。しかしそれ故に、女性への免疫があまりない。そこに関しては信用ならない。


本人がしないなら、自分がやるまでだ。


川井は椛の後を尾けていた。道行く男の殆どが振り返り、それでいて声をかけようとはしない。椛は何処へも寄り道せず、まっすぐ何処かへ向かっているようだった。
彼女は高い生け垣のある家の角を曲がり、川井は少し距離を置いてそれを追いかけた。


「ばあ!」
「ぎゃあ!」


角を曲がってすぐに現れた椛に驚いた川井を見て、椛は可笑しそうにケラケラ笑った。小さな子供のように無邪気な声を上げて笑う椛に、川井はいつから気づいていたかと詰め寄る気も失せてしまった。


「何かご用?」
「君のことを知りたくて」


しまった。これじゃあ口説いているようではないか。
しかし椛はそれをからかうこともせず、口元に人差し指を当てて、いつものように言った。「秘密よ」


「しかしね、隠し事には限度があるよ」
「ないわ。嘘にはあるけれど、何を言うか言わないかは本人の自由よ」


川井が顔を歪めると、椛は笑うのを止めた。


「いいわ。じゃあ貴方がわたしを信用できないなら、もうわたしは会合には出ません」
「何もそこまで言っているわけじゃない」


極端なことを言い出したと、川井が慌てて椛を宥めようとしたが、椛は静かに首を横に振った。


「伏見さまは言いました。四人全員が頭だって。なら、そのうち一人でも信用できない人間がいるならそれはそこにいるべきではありません」


川井はまさか彼女がここまで言うとは思っていなかった。もし納得いかないと言う人がいたらそれは自分から説明するとまで椛は言った。


「ああ、でも…。伏見さまと会うことだけは、許してくださいね」


最後に椛はそう言って少し頬を染めた。
許さないと言っても聞かないのだろうと川井が冗談交じりに言うと、椛は笑って


「ええ。わたしの恋路を邪魔する権利は貴方にはありませんもの」

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