「夜道は怖いわ。鵺にさらわれてしまいそう」


そう言って椛は寄り添うように伏見の腕に手を添えた。
今夜は月が出ているもののあまりに細く、人通りの少ない道であるために人工の灯りもない。伏見の持つ提灯だけが頼りのなか、女がそれを怖がるのは当然のことと言える。
特に、何をするにも気品漂う彼女は恐らく家柄も良く、日の沈んだ時間に歩き回る習慣はなかっただろうし。

しかし椛のか弱さを愛らしく思いつつ、伏見は彼女に向かって呟いた。


「僕には君が鵺のように感じるよ」
「あら、嫌な人ね」


鵺は顔は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎、声はトラツグミに似ているとされる化け物だ。それに例えられたことに気を悪くしたのか、椛はつんと唇を尖らせてそっぽを向いてしまった。

伏見は慌てて「そうじゃないんだ」と恐縮した声で謝った。
椛のような美しい女性を化け物に例えるなど普段なら決してしない。けれど彼女は上品でありながら魔的な魅力を携え、常に神秘さを身に纏い、物語の中で見てきた美しい妖の女のように感じることがあった。


出会って一年経つが彼女の家の出も生業も、自分以外の交友関係も、それどころか本名すら知らずにいる。しかしそれでも構わぬと思う自分がおり、それを知れば彼女を手放すことになるのではとすら感じる。昔話で妖怪の妻を娶った男が、女房の正体を知った瞬間姿を消されてきたように。


馬鹿げた考えであるのはわかっている。つまりはそう思わせるほど、椛は不思議な妖艶さを持っているということだ。自分以外に彼女をそう思っている男があと何人いるだろうか。


「ここだよ」


伏見がそう言い、貸し切りの札のかかった小さな居酒屋を提灯で指した。
裏長屋地域にほど近い、平民区の奥の路地にある小さな店。幕廷の目は届かないだろう場所。伏見が引き戸を開ければ、店主と三人の客が笑顔で彼の名前を呼んで二人を迎えた。
椛を連れていることを冷やかされると、伏見は頬を赤らめて「からかわないでくれ」と制止した。すると椛が可笑しそうに口角を上げたので、またバツが悪そうに頭を掻いた。


「はじめまして、明智です。想像していたよりずっとお美しい」
「あら、お上手ね。ありがとうございます」


明智と名乗った男は椛の前に跪き、手の甲にそっと口づけした。
椛は慣れた様子でそれに答え、微笑んで会釈した。


「本気で女を巻き込む気か」


神経質そうな男が低い声で伏見に言い、伏見は少し顔を強張らせた。すると明智が「改革を望むのに男も女もないぞ!」と明るい声で言った。それに励まされたのか、


「心配ないさ。とても頭のいい人だから」


伏見はそう笑って言って、椛をカウンターの席に座らせた。
隣には神経質そうな男。その隣は明智の席なのか空いていて、一番奥に座る男は未だ一言も喋らず、体を横に向けて肘をつき、ただにやにやと笑いながら彼らを眺めていた。
店主は元より話に入る気はないらしく、黙々と鶏を焼いていた。


「世直しを望むのは暴徒だけじゃない。冥府は幕廷を中心に回っているわけじゃないんだ」


伏見が椛の隣に座り、真剣な面持ちで彼女に言った。椛はそれを黙って聞き、誰も喋らないことを確認してから、きょろきょろ店の中を見回した。客は彼女を含めてわずか五人。


「…これで全員?」
「集まりはいつもこの四人だけ」


奥に座っていた男が相変わらずにやにやと笑いながら答えた。


「暴徒の仲間もいる。信用させるのに三年かかったよ」
「…私のことは?」


椛の言葉に、全員が驚いたように目を丸くした。椛は目を細め、彼らの様子に愉しげに口元に笑みを浮かべた。


「人が人を信用するのには、絆と時間が要るわ。貴方たちは本当に私を信じて下さるの?」


その言葉も笑顔も挑発的な仕草だったが、それと同時にひどく妖艶で息を呑んだ。
神経質そうな男がそれをごまかすように大きく咳払いをして、明智は静まった店の中でわざと明るい声を出した。「伏見さんが信用するなら!」


「そーね。リーダーが信じるなら、信じるわ」
「そんな柄じゃないと何度も、」
「でも、オレらを纏めたのはあんただ」


奥に座る男が、にやにやと笑いながら、けれど冗談ではなくそう言うので、伏見は頬杖をついてバツが悪そうに眉間に皺を寄せた。そして椛がじっと自分を見詰めていることに気づき、ふっと笑って


「信じているよ」
「共犯者になるのね?」
「もう共犯者だよ」


椛はくすくす笑った。伏見も笑った。
きっと何処かで、秘密を共有することで、他を出し抜ける気がしていたのかもしれない。あまりに滑稽なことだ。今思うと。

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