「秘密よ」


彼女について、いつ何をどう訊いても椛の答えは一律してそれだった。
椛と出会ってあっという間に季節は一周し、私は彼女が何者なのかを知るのをとうに諦めていた。出会った頃は彼女について知るために沢山の質問したものだ。彼女の家族について、職について、私といるとき以外は何をしているのか。

しかしそれに対して彼女はいつも意地悪く微笑して、「秘密よ」と一言言うのみだった。
彼女からの質問に答えた後、こちらが同じことを訊ねてもそう返すものだから、不公平だと言っても彼女は悪戯っぽく笑ってこう返した。


「あら、言いたくないことは拒否して下さって結構よ?」


普段なら腹を立てるだろうこうした受け答えも、彼女相手ならば敵わないなあと溜息をつくに留まった。
自分のことについて答えようとしない代わりに、私が持ってきた本や幕廷の内情を聞かせると、その見解は知性のあるもので感心したものだ。

彼女について知ることはとうに諦めて、依然として名前も教えてもらえぬ状態だったが、不思議と信頼はできた。事務的な情報を教えない代わりに、彼女がそうして自分の考えや思いは素直に伝えてきたせいかもしれない。


「伏見さまは暴徒についてはどう思う?」


絨毯のように地面に落ちた紅葉を一枚拾い、指先で弄んでいた椛は伏見の方を振り返り、唐突にそう問いかけた。


「暴徒?」


面喰らったように伏見が繰り返すと、椛は可笑しそうにくすくす笑った。


「そうよ。ここからずぅっと向こうにある紛争地帯にいる、”暴徒”」


椛が弄んでいた紅葉を手放し、地面に落ちて他の落ち葉と混ざった。
赤い木履でさくさくとそれを踏み鳴らし、椛は伏見のいるベンチに座った。膝の上に両手を重ね、隣の伏見ににっこりと笑いかけて、質問の答えを待つ。
伏見は頭を掻き、「そうだね…」としばらく茶を濁そうとしていたが、椛が依然として口角を吊り上げたままじっと見つめてくるので観念したように口を開いた。


「僕らがこうして平穏に暮らす間も、多くが飢えと争いで死んでいる」


椛は笑うのを止め、伏見の方に体を向けて聞く体勢を取った。無言で続きを催促され、伏見は一度椛を横目で見ると、また紅葉や銀杏の木が伸びる正面へ視線を戻した。


「あまり大きな声で言えることじゃないけどね、」


「貴族や幕廷の職員が甘い汁をすするなか、その何倍もの人々が苦汁を嘗めさせられている。世直しを望み、それでなくとも食糧が足らず争いが起こるのは当然なのに、お上は元を正そうともせずに鎮圧軍が有無を言わさず彼らを殺している。」


膝の上に置いていた手を組み直し、伏見は何もない一点をじっと見詰めていた。


「話を聞くたび、胸が痛むよ」


今まで口を真一文字にして、黙って話を聞いていた椛がまたくすくすと笑い出した。
それを見た伏見は、考えてみれば彼女には無縁な世界の話だし、真剣な答えを求めていたわけじゃないんだなと思った。


「伏見さま、私、知っているのよ」


口元に持って行った手を少し下ろし、椛は妖艶に微笑んだ。
そしてそっと腰を浮かせ、伏見の耳元に顔を近づけた。今までにない至近距離に感じる彼女の息づかいと、ほのかに匂う甘い花の香水に伏見の心臓が跳ねた。
しかし次に聞こえた椛の言葉は、その心臓も一瞬凍りつかせた。


「貴方が暴徒を解放させようとしてること」


椛は伏見から顔を離し、ベンチに片膝をついて彼の両肩に手を置いた。
伏見は「何を馬鹿な」と笑ったが、椛はその場を動かず、ただじっと伏見を見詰め続けた。伏見は笑うのを止め、真面目な面持ちで


「どうして?」
「私、貴方のことならなんでも知ってるのよ」
「怖いなあ」
「怖いことないわ。脅すわけじゃないもの」


すっと体を離し、椛は立ち上がって紅葉の絨毯へ木履を降ろした。そのまま歩いて行こうとする椛の手を、伏見が掴んだ。華奢で真っ白な手は、汚れに一度も触れたことがないもののように感じた。


「秘密を知られたままじゃ怖いからね。共犯者になってもらおうか」


伏見は口元に笑みを浮かべてそう言った。
椛は一度驚いたように目を見開いて、すぐにいつものように妖艶に微笑んで見せた。


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