滴り落ちるものがどうか涙ではありませんように。赤く鮮やかな血でありますように。
血が噴き出すことはあっても涙が溢れることはありませんように。
最期の瞬間は痛みさえ感じぬままに死ねますように。


私はそう思うからみんなもそうであって欲しいと願うのに。素直に言えば楽にしてあげるのに。どうせ言うまで解放してあげないのに。


「あのぅ、早くしていただけませんか?」
「殺せ」
「いや、知らないなら知らないでいいし、嘘ついてもいいんで、とにかく情報をくださいよ」
「殺せよ…」
「一応仕事なんで、そんな勝手なことしたくないんですよ。自分で舌噛めばいいじゃないですか」


対峙するのは緑縞の着物の男と、紅梅の柄の黒い振り袖の女。ひんやりとした地下室に響くのは、ひゅうひゅうという男の息遣いだけ。

いつまで経ってもそんな調子なので、今宵は不快さを露に眉間に皺を寄せ、大きく溜め息をついて舌打ちした。







今宵が第拾の小隊室へ戻ったとき、いるのはソファに座って本を読んでいる荘一だけだった。


「どうでした?」
「ダメ。言わない」
「えー。どうすんですか」
「もういいよ。あたしお風呂入る」


飾り気のない黒のバレッタを外し、今宵はそれをローテーブルの上に放り投げるように置いた。


馴染みと技術の関係で冥府の建物に洋風のものは少ないが、鎮圧軍の施設は十数年前実験的にモダンな造りに建て替えられ、各小隊室に狭いユニットバスがつけられた。
鎮圧軍は幕府側にも朝廷側にもつかない特殊機関なので、たびたびこうした贔屓を受ける。


「荘一、後でミィちゃんに餌あげてきて」


そう言うと、今宵はバスタオルを用意して脱衣所へ消えた。「はーい」子供のような返事をして、荘一は読んでいた本を栞もささずに閉じた。


「何処に行くの?」


荘一がソファから立ち上がり、脱衣所の前を通ると扉越しに今宵が声をかけた。それと同時に聞こえる帯をほどく音が気になった。


「地下です」
「キリの良いところでいいんだよ」
「あの本つまんないんです」


すると脱衣所の扉が少し開き、隙間から白い腕が伸びて鍵が幾つも付いた輪を荘一に差し出した。「ありがとうございます」荘一が鍵を受け取ると、いってらっしゃいと言って今宵は扉を閉めた。







地下への扉は錠が二つ付けられ、捕虜を置いている牢にも鍵があり、それらは全て第拾小隊が管理している。
今宵から渡された輪にかかる鍵は形が似ているし、念のためにとダミーが幾つも付けられているが、荘一は迷うこともなく鍵を差し込んで地下へ降りていった。


地下は窓もなく、壁に蝋燭が灯っているがそれも数本蝋が溶けきって、炎が消えていて薄暗い。
五、六段程の小さな階段を降り、右手に曲がれば捕虜の牢があるが、荘一は真っ直ぐ進んで奥にある白い扉の前に立った。それは目立って新しいもので、そこの鍵は荘一が個人的に管理しているらしく、袂から財布を取り出して、小銭入れの中に紛れていた。

ドアノブにある鍵穴に差し込んだその鍵は随分小さく、可愛らしい虎の根付が付けられている。



捕虜のいる檻は灯りがなく、荘一は暫く壁にもたれかかって目が慣れるのを待っていた。
目が慣れると、右から二番目の、三人の男がいる広い牢に向かい、腰を折って中を覗き込んだ。


「こんにちはー。生きてますかー?」
「今はこんにちはの時間?」
「はい」


荘一は牢の前に座り込み、奥に座る男にまで聞こえるように声を大きく、すぐ近くに座る男に話しかけた。


「あのぅ、本当に何も教えていただけませんか?」


男はじっと荘一を睨みつけるように見詰め、黙ったまま視線を逸らし溜息をついた。奥に座る男二人の表情は暗いせいで判らなかったが、どちらも荘一から目を背けていた。


「そうですか…」


立ち上がり、荘一は牢の鍵を開けて近くに座り込んでいた男を引っ張り出した。
捕虜の暴徒たちがにわかにざわつき始め、牢の外に出された男は茫然と、牢の鍵を閉め直す荘一を眺めていた。


「ミィ、ミィヤ」


荘一は暴徒たちの方を見向きもせず、廊下の方へ歩いていった。
牢から出されたとはいえ、捕虜は逃走を図られないよう両足の骨を折られ、手枷も付けられている。


「いい子で我慢できたね。さあ、おいで」


廊下から、姿は見えないが荘一の優しい声が聞こえた。そして、それからすぐに戻ってきた荘一が連れ立っていたものを見て、暴徒たちは戦慄した。



毛並みの良いベンガルトラが、荘一に甘えるようにくっついて歩いてくる。荘一の腋の下から頭を通し、撫でろと催促するように掌を頭に乗せたりもした。
荘一は笑って、引っ掻くように虎の頭を撫でながら、「別嬪さんでしょう?」と捕虜たちに自慢するように言った。


「さあ、ミィヤ。食べていいのはあの人だけだよ」


荘一が指さした先にいる、一人牢から出された男を見ると、虎の瞳が可愛らしい“ペット”のものから野生のそれに変った。


獲物をじっと見詰めたまま、虎はじりじりと前に進んだ。距離を詰め、しばらく獲物の様子を窺うように動かなかったが、ぎらぎらと輝く瞳は一度も獲物から離れなかった。


「やめろ!」


悲鳴が上がり、次に肉が裂ける音が聞こえた。断末魔、命乞い。ばきばきと骨を噛み砕く音と共に聞こえる汚い嗚咽。最後に虎の咆哮が地下に響いた。


荘一は壁にもたれて、それを優しく微笑みながら見ていた。








「おいしかった?」

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