ホワイトボードに直線を引くたびに、きゅうぅと甲高い音が静かな会議室に響く。

八人の小隊長たちとその補佐官らは、席に着いたまま身動きもせずホワイトボードを険しい顔で見つめていた。


ボードに阿弥陀の線を引き終えると、ただ一人立っていた隊長、青葉氷月は黒いペンの蓋を閉めて振り返った。


「ハイ上に番号書いて!早いもん勝ちね!」





休憩室では数人の隊員たちが隣の物音に耳をそばだてていた。惣次、詩臣、愁介と副隊長たちが会議室側の壁に耳をへばりつけて様子をうかがっているのに対し、今宵は無関心そうにソファに座って膝に乗ってきた黒猫を撫でていた。


「…何やってんの?」
「「シィッ!」」


現れたアゲハの問いかけに、惣次と詩臣が同時に反応した。愁介は一層身体を壁にくっつけて、今宵は猫の額に唇を押しつけていた。
また壁の方に意識を集中させる詩臣たちを異様なものを見るような眼差しで横目に見つつ、アゲハは今宵の傍へ寄っていった。


「何してんの?」
「長期出張」
「え!?決まるの今日だっけ!?」
「おい花群うっせーぞ!」
「惣ちゃんうるさい!」
「すいません」
「あっ!決まっ…決まったっぽい!」


会議室がにわかに騒ぎ出し始め、愁介が叫んだ。アゲハもその隣まで走って壁に耳を押しつけた。


「うぬぅう…。六呂隊長の声うるさすぎて他が何も聞こえないわ…」
「あっ!今桃宮隊長の歓声聞こえた!やったーあたし行かなーい!」


詩臣が万歳と両手を挙げると、惣次と愁介は詩臣を見、互いに顔を見合わせ、諦めたように溜息をついて壁から離れた。アゲハはまだ壁に張り付いている。


「もういいの」
「良くないけど諦めたよ。隊長の声なんてちっとも聞こえないもん。まあキャイキャイ騒いで喜ぶようなタイプの人じゃないからねえ、仕方ないか。本発表まで待つよ」


今宵の膝で眠っていた黒猫が、愁介が隣に座った瞬間目を開いた。今宵が背中を優しく撫でてやるとゴロゴロと喉を鳴らしながらまた目を閉じたが、耳は愁介の方を向いたままでいる。


「行きたくねえなー…」


重い溜息をつきながら惣次が深刻そうに呟いた。今宵は猫の背を撫でながら惣次の方を向いた。


「なんかいつもより深刻そう」
「オレ寒いの駄目なんです」
「今回ってどこだっけ。どのくらい?」
「みちのくの方。予定は一年だけど、どうだろうね」
「…寒いね」
「ただでさえこれから寒くなるのにね」
「…ていうかなんで黒川さんは補佐官なのにここにいるんですか。なんか他人事だし」


隣から大した物音も聞こえなくなったので、アゲハは壁から顔を離して今宵に向けた。今宵はきょとんとした表情でアゲハと向かい合う。


「だって他人事だもん」
「第拾小隊は本部での活動以外無いんだよ。短期はともかく長期出張は有り得ないの」
「何それズルイじゃん!」


愁介の付け足しに、アゲハは思わずヒステリックに叫んだ。「狡いかなあ」今宵が口を開くと周りの者は静かになる。


「人を相手にする仕事だからそう簡単に担当外れるわけにいかないでしょう」
「………」
「………」
「……花群」
「ごめんなさい…」


休憩室に沈黙が訪れるのと反対に、廊下がザワザワと騒がしくなり始めた。人の声と足音が一斉に響き渡り、すぐに散って小さくなる。


「…会議終わった?」
「終わったっぽい…」


アゲハと惣次が確かめ合った直後、休憩室の入り口から飛鷹が顔を出した。
黒いネクタイは緩めて首にかけられ、シャツはボタンがいくつか外されだらしなく胸元が開いている。金色の髪は汗で顔に張り付いていた。


「麦茶くれ…」


言うより早く既に愁介が立っていた。飛鷹はだるそうにソファに座り、渡された麦茶を一気に飲み干した。ふうと一息つくと大股に広げていた足を、右足を上に組んで両手をソファの背もたれに引っ掛けた。


「あーくそあっちぃ。あんな狭いとこに野郎詰め込むもんじゃねーよ全く」
「飛鷹隊長、出張どこに決まったんですか?」
「防人に…」
「!?」


詩臣が質問すると飛鷹が口を開く間もなく、暗く沈んだ声が休憩室に現れた。声の主である男は、がっくりと頭を垂らしたままフラフラと力無く中へ入ってきた。


「防人に…行くは誰が背と…問う人を…見るがともしさ…物思いもせず……」
「青柳さん…」
「なぜ万葉集…」
「メリケンかぶれのくせに」
「メリケンかぶれにも万葉集くらい読ませてやれ」
「出張…第捌に決まったんですね…」


青柳は俯いたまま両手で顔を覆い、はあーと深く溜息をついた。その声に反応して、寝ていた大型犬がすっくと立ち上がり、青柳の足元にぴったりと身体をくっつけた。


「やあ…慰めてくれるのかいセルバンテス三世…。Thank you very much for your kindness…」
「おい犬首傾げてるぞ」
「当たり前じゃないですか。急に英語でお礼言われたら人間だって首傾げますよ」
「青柳さん、落ち込んでるときまで無理にキャラ付けしなくたっていいんですよ?」
「キ、キャラ付けとか言うな!」





昼には騒がしかった休憩室も、真夜中にはしんと静まりかえっていた。人との生活に慣れた犬や猫は、瞼を閉じて静かに寝息を立てている。ただ一人起きているのは、ソファに座って薄い雑誌を眺める今宵だけだった。

ページをめくる今宵の手はなかなか動かない。ゆっくりと視線を流し、雑誌に載る写真の一枚一枚を丁寧に眺めている。


長い時間聞こえるのは動物の寝息と外から聞こえる虫の音ばかりだったため、突然かかってきた電話の音に今宵の肩は大袈裟に跳ねた。

今宵は雑誌をソファに置き、立ち上がって電話に出た。交換手に繋いで下さいと伝えて程なく、上司の声が電話口から聞こえてきた。


「三条だ」
「お疲れ様です。黒川です」
「一人か」
「夜番の方はいらっしゃいますよ。必要ならお代わり致しますが」
「いや、構わん」


三条の最後の言葉には優しく微笑む気配があった。今宵は受話器を両手で持ち、上司の次の言葉を待っている。


「変わりないか」
「みちのくへの長期出張する隊が決まりました」
「この時期にみちのくか。どこになった」
「第捌です」
「捌か」
「ええ」


互いに無駄なことを挟まず話すので、二人の会話は弾まない。しかし今宵も三条もそれに不快は感じていなかった。むしろ互いに相手のそういうところを気に入っていた。
少しの間続いた沈黙の後、三条がふっと笑った。


「そろそろ帰れそうだよ」


その言葉を聞くと、今宵は目を少し見開いてすぐに細め、嬉しそうに口元を綻ばせた。


「そうですか」
「ああ、秋も終わるし切りが良い。ところで、買いたい物は決まったか?」
「今カタログ見てたんですけど、沢山あって決められなくて」
「そうか。みんなで相談して仲良く決めなさい」
「はい」


拷問具の写真が並ぶページが開かれたまま置いてあるソファの前に、背を向けて立つ今宵が、受話器越しに隊長にあてて呟いた。


「わたしは悲鳴が上がらないやつがいいなあ」




防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨しさ物思ひもせず(万葉集巻二〇・防人歌)

「防人に行くのは誰の夫なの」と訊く人を見るのは羨ましい。なんの物思いもしないで。


みちのく…奥州。陸奥(福島・宮城・岩手・青森と秋田県の一部)の別称ですが、本作中の常世の地理はものすごくアバウトなので、とりあえず北の方ぐらいに思ってください。

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