朝、通学路にて神奈を見つけた赤城は、その肩を叩いておはようと挨拶した。振り返った神奈は普段の元気いっぱいの笑顔ではなく、疲れ切った不機嫌顔だった。

「……休みボケか?」
「ちょっとね」

力なく笑いながら、神奈は赤城におはようと返した。夏休み明けの始業式の朝なので、少しあたりを見渡してみてもだらけた様子の生徒が多かったが、やはり疲れ切った様子の神奈は珍しいので気になる。「ちょっと」の内容を訊いてみようかと赤城は口を開きかけた。それは背後からの大声で押しとどめられた。「だから言ってるだろ!」

「どうせ飼うならそりゃ可愛いのがいいけど、今見られるものよりまるきり異形のものの方がいいだろう!」
「ワタ兄は何もわかってない。普段身近な生き物が実は化け物だったっていうのが最高に燃えるんだろうが」

朝からわけのわからんやりとりが聞こえてくると思ったら水沼と福也であった。二人も神奈たちに気づくと、大股で近づいてきて後ろについて歩き始めた。

「お前たちも言ってやってくれ!妖怪を飼うならすねこすりだよなぁ!?」
「化け猫ですよね」
「俺はお前たちがなんの話をしているのかもわからないんだが」

福也たちの方を見向きもせず、俯き加減に黙って歩いている神奈に気づき、水沼はおやと首を傾げた。

「どうした日暮、珍しく元気がないじゃないか」

そう言われ、神奈はカラ元気にすらなっていない笑顔でへらっと笑い、赤城に言ったのと同じことを短く繰り返した。

「ちょっとね」
「ちょっとじゃわからん」

はないちもんめのリズムで水沼がさらに促すと、神奈は心底鬱陶しそうな顔を向けて大きくため息をついた。

「捨て子を押しつけられて里親に渡してきたんですよ」
「朝からすごいことしてますね」
「良いことをしたんだから嫌なことだったように言うものではないよ」

どう考えてもわけのわからないことを言っているとしか思えない赤城は困惑した表情でオカ研メンバーの顔を順に見回したが、水沼も福也も平然とした顔をしたままだし、神奈は赤城の視線に気づかないばかりか突然ワッと泣き出すように顔を両手で覆って叫び声をあげた。

「だってどうせ善行積んで天国行きになったところで白澤様はいないんでしょ!だったらわたし地獄行きでいい!どっちだって同じよ!」

赤城の困惑は増すばかりであった。

「神奈先輩、なに言ってるんですか」

お前が言うのに同意だと、赤城が福也の方を振り返ったが、その期待は裏切られた。

「倭人たるもの白澤よりも鬼灯様でしょう!」
「るっせー!わたしはいつもにこにこしてて物腰の柔らかな男が好きなんだよ!」
「やめろ日暮!赤城君に失礼じゃないか!」
「水沼先輩!関係ないどころか話についていくことすら出来ない俺を巻き込むのはやめてください!なに?こいつらなんの話してんの?」
「地獄の沙汰もイケメン次第って話だよ」
「これだから女ってやつはよぉ!」



昇降口で水沼会長らと別れた神奈と赤城は靴箱に靴を放り込んで上履きに履き替えた。

「秀!」

名前を呼ばれて赤城は後ろを振り返った。神奈もつられて首をひねると、黒々と焼けてますます軽薄そうな容姿になった茶谷が焦った表情で廊下の奥から手招きしている。
茶谷のいる方にも階段はあるが、教室に最短で着く階段とは反対方向で上った先には滅多に使われない特別教室が並ぶばかりであるはずだ。一体何をしているのだと眉間にしわを寄せて赤城は友人の方に向かって歩く。神奈も後をついてきた。
廊下の奥の角を曲がって二人は「ぎゃっ」と小さく悲鳴を上げた。階段の一番下に、金井がうつ伏せになって倒れていたのである。

「えっと……ゴールデン!目ぇ開けろゴールデン!」

神奈がひざまずいて金井の体を引っ張り、床に仰向けに寝ころばせて頬をぺちぺちと叩いた。返事がないので更に力を入れてバシバシ音を立てて叩いても、表情は強ばったものの金井の目は開かなかった。

「名前覚えてないからって即興であだ名つけんな!おい、剛!」

赤城が神奈から奪うように金井の胸ぐらを掴んで引き寄せ、思い切り平手うちすると金井の体は床にうつ伏せに倒れ、頬を押さえながらよろよろと立ち上がった。

「お前ら乱暴すぎんだよ!なんで二人していきなり叩くの!?バファリン見習えよ!」
「起きたんならもう行こうぜ。始業式始まっちまうだろうが」
「聞けよ!聞いてよ!なんで俺がここで倒れてたのかとか訊いてよ!」

聞けよと涙目で訴える金井と、訊いてあげてと目で訴える茶谷を無視して赤城が教室に向かおうとする。自分の前を通り過ぎる赤城を見送って、神奈は金井の方に顔を向けた。

「剛ちゃん、なんでこんなとこで倒れてたの?」
「日暮ちゃん!」

金井がくるりと体の向きを赤城から神奈へ変える。その勢いに任せるように金井が神奈の肩を両手で掴んだので赤城はぐっと足を止めてその場に踏みとどまった。
同じ年頃の男に肩を抱かれて向かい合っているというのに神奈は平然として笑っている。

「俺もうオバケ憑いてないよね!?大丈夫だよね!?」
「うん。見えないよ」

神奈が頷くと金井は心底ほっとしたように大きくため息をついた。

「良かった。じゃやっぱり足滑らせただけなんだな」

胸に手を当てて肩をなで下ろす金井の片手がまだ神奈の肩を掴んでいたので、赤城はその手を叩いて払いのけた。

「要するに上の空き教室でサボろうとして足滑らせて落ちたんだな」

呆れたような目で自分を見下ろす赤城を金井はばつの悪そうな目で見つめ返した。
でも本当のところを言うと足を滑らせた感じではなかった、と金井は小さな声で言った。じゃあ何故落ちたのかと思うとわからず、その不気味さのせいでしばらく立ち上がれなかったと続ける。

「まさか誰かがイタズラで糸とか……」

言いながら赤城は階段を上っていった。注意深く階段を観察しながら、もうすぐ踊り場に上るというとき、

「ぎゃああああ!」
「赤城ぃいいいい!!」

赤城も足を踏み外して悲鳴を上げた。
咄嗟に手摺りにしがみついたので落ちたのは二、三段だが、左足がしっかりと階段を踏みしめているのに対し右足がだらんと伸びているのがまだ落ちていこうとしているようで痛々しい。右足を慎重に動かして左足と同じ段に乗せ、赤城は俯いたまま振り返り、手摺りをしっかりと握って階段を降りてきた。

「すごい大袈裟に叫んじゃった……」

恥入るように赤城がか細い声で言うと、神奈が宥めるように声をかける。

「だ……大丈夫、階段で足引っ張られたら誰だって焦るよ。それより怪我ない?」

この言葉に驚いたのが茶谷と金井である。揃って青い声で悲鳴のような声を上げた。

「引っ張られた!?」
「ひひひ引っ張られたってどういうことよ!?足滑らせたんじゃないの!?ねえ!」

赤城と神奈は怯えた様子の二人の顔を見た後、申し訳なさそうな表情で互いに顔を見合わせた。それから再び茶谷たちの方に顔を向けると、赤城は首を横に振った。

「いや……今のは絶対引っ張られた」
「引っ張ってる手見えたよ。まあそんなことより早く体育館行こうよ。始業式始まっちゃう」
「そんなことより!?」
「そんなことより!?」
「そんなことより!?」



始業式が終わり、四人は再び件の階段の元に集まっていた。
赤城が手はまだあるのかと訊くと、神奈は見えないと首を横に振った。金井がじゃあもういないのかと嬉しげに訊くと、神奈はまた首を横に振った。

「いるにはいる」
「うええ……どうすんだよ、もうこの階段使えないよ……」

金井が力ない声で言い、なんとかならないかと神奈に頼んだ。神奈は顎に手を当ててうーんと唸った。それからぱっと顔を上げるのと同時に茶谷の方を向き、階段を指さした。

「じゃあ京ちゃん、のぼって」
「ええ!?なんで!?」
「手が見えるのは人を引きずり下ろしてるときだけだから。剛ちゃんと秀ちゃんはもう引っ張られたじゃん」
「よくそんな乱暴なこと当たり前のように頼めるな……大人しそうな顔してるくせに」

ぶつぶつ言いながら、茶谷は手摺りを掴みながら恐る恐る階段を上っていった。そして踊り場まで上りきり、二階まで着いてしまった。「あれ?」呟いてからまた手摺りを握り直して階段を降り始める。茶谷は何の問題もなく階段を往復した。

「ええ……?」
「はあ……?」
「マジで……?」
「お前ら友達が無事だったことに対してなんでそんな不満そうなんだ」

もう一度行ってこいと三人が険しい顔でしつこく詰め寄るのを茶谷が断固として拒否していると、「何をしているんだ?」と穏やかな声で訊ねてくる者がいた。
振り返ると、帰り支度を整えた水沼と新谷が並んで立っていた。昇降口を通り越し、此処まで来たということは用事があって階段を上るか、神奈たちの声がよほど大きかったかであろう。

「会長たちこそ」
「いや、上の空き教室で自習しようと思ってな」
「あの……家とか図書館では……」
「図書館では教え合えないだろう」
「俺は自室を持っていないし、新谷の部屋で集中して勉強など出来ると思うか?」
「死ね」

新谷と水沼は話しながら神奈を追い越し、階段に足をかけた。
「ああっ!」神奈が慌てて手を伸ばしたが届かず、「み、水沼先輩!待ってください!」赤城が焦って声を上げる。「先輩!」「先輩っ!」水沼たちと面識のほぼない茶谷、金井も叫んで止めようとする。

次の瞬間、階段から生えるように現れた男の手が新谷の足首を掴んだ。神奈が息をのみ、息をのむ声に気づいた赤城が咄嗟に階段の下へ手を伸ばし、茶谷と金井もそれに続いた。
しかし徒労に終わった。体のバランスを崩してすぐ水沼が新谷の腕を掴んだので、新谷が階段から落ちることはなかった。

「気をつけろ。受験生だろ」

呆然とした顔のまま新谷が「ありがとう」と言いながら、慎重な動作で階段を踏みしめ体勢を直した。ようやく水沼が手を放し、ふと振り返って肩越しに神奈たちを見下ろした。
いつまでも階段の下にいて自分たちを見つめている四人の後輩たちに、何の用があるのかもわからず水沼は不思議そうな表情を浮かべていた。

「なんだ?先生方にはちゃんと許可を貰っおぉあっふ」
「会長ーーーーー!!」

階段から生えてきたように突然ぬっと現れた手が水沼の足を掴み、そのまま勢いよく下へ引っ張った。水沼は手摺りのない壁際を歩いていたせいで踏みとどまることも出来ず、一階まで引きずり下ろされた。

「か、会長……」
「早く言え」

階段に突っ伏するように倒れたままの水沼に、神奈が恐る恐る声をかけると、聞き慣れない低い声が返ってきた。

「あの……」
「何かいるなら早く言え」
「すみません……」

ふうと一息ついて水沼は立ち上がり、顎に手を添えて階段を眺め始めた。

「確か七不思議に階段についての話があった気がするな」
「七不思議なんてこの学校にあったのか。それよりお前大丈夫なのか」
「オカ研の自作ファイルにまとめた記事があったのを記憶している。ま、次の部活のときにでも見てみよう。今日は試験の対策をせねば」

水沼は肩に掛けていた鞄を持ち直し、手摺りを握りながら階段をのぼって新谷と共に上階に消えた。

「すげえ……好きな子の目の前で階段から滑り落ちたのに全く心乱されてねえ……!」
「でも絶対アレ弁慶の泣き所8hitはくらってはずだよ!絶対かっこつけのやせ我慢だよ!」



後日教室移動の際、件の手が女生徒の黒タイツに包まれた長い脚の足首を掴むのを神奈は見た。
あっと思って目を見張った瞬間、女生徒がチッと舌打ちをして脚で手を振り払った。手の霊は消え、女生徒は何事もなかったかのようにすたすたと階段を上っていった。
女生徒の背中まで伸びた艶やかな黒髪と、堂々とした姿勢の背筋が印象的であった。
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