迎え火の後、神奈は花屋で買ってきた桔梗、萩、撫子などの花を盆棚に飾り、茄子の牛と胡瓜の馬をその隣に置いた。祖母の手製の牡丹餅が既に供えられていた。 神奈は障子戸を開けて縁側に腰掛けて涼んでいると、いつのまにか祖父が庭に立っていた。橙色の夕焼けに照らされて、霞むようだった。
「おう、神奈。元気か?」 「うん」
祖父は神奈の肩越しに、天井から吊されている蚊帳があり、その中に二組布団が敷いてあるのを見た。それからよっこいせと声を出しながら神奈の隣に腰掛けた。
「お前まだ兄ちゃんと寝とんのか」 「だって蚊取り線香アレルギーなんだもん。夏の間だけだって毎年言ってるのに」
そうだったかなぁと鼻をかきながら祖父が言うと、今度は背後から兄が歩いてきた。皿の上に載せた大きな二切れの西瓜を神奈の隣に置き、兄はそれを挟むように縁側に座った。
「おじいちゃんが来てるよ」
神奈が言うと、兄はそうかと小さく言って、西瓜をくわえたまま立ち上がって行ってしまった。
「せわしないなぁ」
祖父が兄の背中を見送りながら残念そうに言った。ほどなくしてぱたぱたと小走りに近づいてくる足音が聞こえてきた。腰にエプロンを巻いたままの祖母が、神奈に「おじいさんが来てるって?」と訊ね、腰を曲げてお辞儀した。
「今年もゆっくりしていってくださいね」
お萩がありますよ、と祖母が言うと、祖父は嬉しそうに笑って縁側から家の中に上がり、盆棚に置かれたお萩をひとつ取って食べ始めた祖母は縁側に腰掛け、西瓜を食べ終えた神奈は何も言わずに立ち上がり、裸足をぺたぺたいわせて歩いていった。
* 記憶が残っているなかで初めて幽霊を見たのは三歳の時、家で行われた葬儀の片づけをしているときだった。 当然手伝いなど出来ようはずもなく、母の「お兄ちゃんに遊んでもらいなさい」という言葉に従うべく四つ上の兄を探して家中を歩き回っていた。
我が家は古くて大きな日本家屋で、弔問客が多いなかでは兄一人を探すのさえ骨が折れた。必死に兄を呼ぶものの田舎の者は声が大きい。親戚やその他縁の方々の声にかき消されて兄に届きようもなかった。 葬儀のこともよくわからない三歳のいたいけなわたしは、同じ恰好したたくさんの知らない人がひしめきあう空間が我が家なのに我が家でないような心細さを感じ、父も母も兄も傍にいないしで途方に暮れてしまった。 そこでふと縁側の方へ目をやると、祖父が中庭に立っているのが見えた。にこにこと優しく笑って、
「どうした神奈。ほれ、じいじが抱っこしてやろ。おいで」
そう言って腰を屈めて腕を広げてきたので、わたしは喜んで「じーじ!」と叫んで縁側から中庭に降りて祖父の腕に飛び込んでいった。そしてそのまま中庭の砂利に顔から突っ込んで盛大に転んだ。 わたしは立ち上がって、大声を上げて泣いた。手に赤い血が滲んでいたことよりも、おろしたての黒いワンピースが砂まみれに汚れていたことよりも、お気に入りの模様の入ったタイツが破けてしまったことよりも、祖父の姿がなかったことが悲しかった。
縁側のある部屋は葬儀を行った部屋でもあったので、弔問客がまだたくさんいた。でも泣くわたしの姿を皆呆然と見るばかりで中庭に降りてくる人はいなかった。 泣き声を聞いて真っ先にわたしの傍に来てくれたのは兄だった。兄は怪我をした膝と掌を見てすぐにわたしを家に上げようとしたが、わたしは泣き叫ぶばかりでそこから動こうとしなかった。
「じーじがぁ、じーじだっこしてくれるっていったのにぃ!」
喚く合間にそう言うと、兄は驚いた顔をして、わたしの手を握ったままきょろきょろとあたりを見回した。でもすぐに困ったような顔をしてわたしと向かい合った。
「にーにが抱っこしてやるから、ガマンしろ」
わたしは兄の首にしがみついてだき抱えられながら、少しずつ嗚咽を鎮めていった。 縁側の端っこにずっと静かに腰掛けていた祖母が、ハンカチを顔に押し当てて啜り泣き始めた。わたしを支える兄も泣いているようだった。
それは祖父の葬儀の日の出来事だった。
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